「東京都立第一商業高等学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 01:31時点における版
第一商業高等学校 | |
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北緯35度39分0.7秒 東経139度41分54.9秒 / 北緯35.650194度 東経139.698583度座標: 北緯35度39分0.7秒 東経139度41分54.9秒 / 北緯35.650194度 東経139.698583度 | |
過去の名称 | 東京府立第一商業學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京 |
設立年月日 | 1918年4月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113299902156 |
高校コード | 13187D |
所在地 | 〒150-0035 |
東京都渋谷区鉢山町8-1 | |
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東京都立第一商業高等学校(とうきょうとりつ だいいちしょうぎょうこうとうがっこう)は、東京都渋谷区鉢山町に所在する東京都立商業高等学校。通称は都立一商であるが、多くの在校生や第一商業高等学校を知る企業・大学の関係者らは一商、あるいは第一商業と呼んでいる。
設置学科
概要
東京で初期に設立された公立の商業学校。戦前の旧制第一商業学校時代は、多くの生徒が旧制東京商科大学や旧制第一高等学校などへ進学した[1]。また、多くの卒業生が財界で大企業の重役を努める等功績を残し、天下の一商と呼ばれるようになった[2][3]。現在では都立商業高校の中でも先進的な商業教育(簿記や商学、会計学、英語教育、生活指導等)をしているとして、低迷する商業高校の牽引役を担うリーディングコマーシャルハイスクールに2005年(平成17年)から指定されている[4][5]。
校章
初代校長である陶山斌二郎が作成。三種の神器の一つである八咫鏡の中に「商」の字を戴く。
沿革
- 1918年(大正7年) 東京府立商業学校として設立認可。
- 1919年(大正8年) 現在地に開校。陶山斌二郎が初代校長に着任。
- 1920年(大正9年) 東京府立第一商業学校と改称。附設商業補習学校の授業も開始。
- 1923年(大正12年) 第1回開校記念式挙行。
- 1944年(昭和19年) 中島飛行機の武蔵製作所へ学徒動員として召集。
- 1945年(昭和20年) 太平洋戦争中の東京大空襲により校舎が全焼し甚大な損害を被る。
- 1948年(昭和23年)学制改革により学校教育法に基づき「東京都立第一商業新制高等学校」として設置される。分校の「東京都立第一商業新制高等学校代々木分校」を設置。
- 1950年(昭和25年)教育委員会法に基づき「東京都立第一商業高等学校」と改称。
- 1957年(昭和32年)代々木分校が独立し東京都立代々木高等学校(現:世田谷泉高等学校)となる(2004年廃校)。
- 1979年(昭和54年) 電子計算機室改装、超小型電子計算機新規導入。
- 1993年(平成5年) 校舎全面改築竣工。
- 2003年(平成15年) インターネット導入。
- 2005年(平成17年) 国際会計科が廃止にされ商業科のみになる。
コース
第2学年からコース制を採用。A~Fまでのクラスの内、A組が進学コースで、残りのB~F組がビジネスコースである。
進学コース | 簿記・英語を軸に学ぶ進学者向け教育 |
ビジネスコース | 商業経済系知識を学ぶ就職者向け教育 |
資格・検定
商業高校という特性上、在学中においてより多くの資格の取得が大きな目標となる。2年生より行われるコース制(前述)により、取得できる資格に大きな差異がある。
第一商業高等学校でも資格の取得に力を入れており、主として全商検定の取得を奨励している。ビジネスコースでは授業において直接、検定取得のための授業が行われるが、進学コースの生徒の授業では簿記と英語を除き、電卓検定や商業経済検定、ITパスポートなど大半の検定に対して何ら指導を行っていない。
校則・生活指導
校則と服装
校則に厳しく、具体的には女子生徒のスカート丈は膝より短くしない、男子生徒のシャツは第一ボタンまで付けてネクタイをだらしなくしない、などが挙げられる。
不正行為
近隣住民や商工会議所との親交が厚く、特に生徒が校外の代官山界隈(コンビニ前など)にて問題となる行動を行い、店側から学校に苦情が入った場合には即日もしくは翌日以降、朝のSHR時に校内アナウンスで当該事象について生徒に対し是正するよう勧告するなど、生活指導部より迅速かつ適切な対処がなされる。
また、校外においてタバコを吸ったり飲酒を行う、あるいは窃盗、住居不法侵入、オートバイなどによる交通事故などの犯罪行為を働いた者に対しては厳重な指導を生徒および保護者に行い、該当行為の問題の程度によっては即懲戒退学となる。程度が軽度であったとしても、度重なる指導に生徒が従わなかった場合は同じく懲戒退学となる。
進路
進学
全体の6割程度の生徒が進学する。全体の6割程度の生徒のうちほぼ全ての生徒が指定校推薦で進学している。センター試験利用入試や一般入試を受ける生徒はほとんどいない。AO入試や一般推薦といった推薦方式も近年増加してきたが、利用する生徒は少ない。
第一商業高等学校では大学の授業を視野に入れた英語の授業等を展開しているが、数学や理科(理科総合A、Bは必修科目)といった理系科目に関しては3年生から選択制を採っている。
就職
全体の4割程度の生徒が就職する。第一商業高等学校では、特に生徒の就職活動を重視しており、就職面接や小論文作成などの指導を始め、実に充実した就職活動に取り組んでいる。
その他
ほとんどの生徒が進学か就職するが、縁故就職をしたり自衛隊に入隊したり、(親が自営業者などの場合には)家業を継ぐ者もわずかながらいる。
周辺環境・交通機関
周辺環境
代官山町隣の鉢山町に位置し、旧山手通りに面している。付近にはエジプトなどの大使館が存在する。
旧山手通りなどの付近に面する道路は交通量が多く、授業中において騒音となるなど問題が頻出している。
交通機関
鉄道
バス
- 渋谷駅南口35番バス乗り場から東急トランセ「第一商業高校」下車 乗車時間約2分
部活動
著名な出身者
- 植草甚一 - 評論家、エッセイスト
- 奥山治 - 東京都青ヶ島村元村長、マクロビオティック・東洋哲学思想家
- 梶幹雄 - フリーアナウンサー
- 亀井トム - ジャーナリスト
- 2代目金原亭馬の助 - 落語家
- 重信房子 - 日本赤軍最高指導者
- 白石まるみ - 女優、タレント
- 信欣三 - 俳優
- 辛淑玉 - コメンテーター
- 鈴木文彌 - NHK元アナウンサー
- 高松利夫 - プロ野球選手
- 寺村輝夫 - 童話作家
- 長瀬喜伴 - 脚本家
- 中村隆英 - 東京大学名誉教授、日本学士院賞
- 橋本公亘 - 憲法学者、中央大学法学部教授
- 番場嘉一郎 - 会計学者、一橋大学名誉教授
- 日暮雅信 - 作曲家
- 三好徹 - 直木賞作家
- 森田誠吾 - 直木賞作家
- 良知力 - 哲学者
- 河野一英 - 会計士、大東文化大学名誉教授
- 伊藤達二 - 三菱地所社長
- 相田雪雄 - 野村証券社長
- 浜田博 - 日本エアコミューター社長
- 佐藤光 - 岩手銀行頭取
- 小林栄次 - 大多摩ハム小林商会創業者
脚注
- ^ 第18期から第23期卒業生の進学記録によると、一期平均10人以上が旧制東京商科大学へや一高へ進学している。第23期の記録では旧制東京商大の当時の定員は130名だが内24人が一商卒。
- ^ 東京都立第一商業高等学校同窓会「母校の著名人」
- ^ 東京都立第一商業高等学校「学校長挨拶」
- ^ 目指せスペシャリスト(スーパー専門高校):文部科学省が、「将来のスペシャリスト」の育成に資することを目的として平成15年度からスタートさせた研究開発事業。専門高校の活性化の促進を図る観点から、バイオテクノロジーやメカトロニクスなど先端的な技術・技能等を取り入れた教育や伝統的な産業に関する学習活動を重点的に行っている専門高校を指定し、技能の修得法や技術の開発法、学校設定科目などのカリキュラム開発、大学や研究機関等との効果的な連携方策についての研究等を推進している。
- ^ 文部科学省「都立高等学校等の種類と内容」