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「東京都立墨田工科高等学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 01:55時点における版

東京都立墨田工業高等学校
地図北緯35度41分6.8秒 東経139度48分25.3秒 / 北緯35.685222度 東経139.807028度 / 35.685222; 139.807028座標: 北緯35度41分6.8秒 東経139度48分25.3秒 / 北緯35.685222度 東経139.807028度 / 35.685222; 139.807028
過去の名称 東京府職工学校
東京府立職工学校
東京府立実科工業学校
東京都立墨田工業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都の旗 東京
校訓 自治・勤労・敬愛
設立年月日 1900年明治33年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 (全日制)
機械科
自動車科
電気科
建築科
(定時制)
総合技術科
学期 3学期制
学校コード D113299906223 ウィキデータを編集
高校コード 13185H
所在地 135-0004
東京都江東区森下五丁目1番7号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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東京都立墨田工科高等学校の位置(東京都内)
東京都立墨田工科高等学校

東京都立墨田工業高等学校(とうきょうとりつ すみだこうぎょうこうとうがっこう)は、東京都江東区森下五丁目に所在する都立工業高等学校。 略称は『墨工(すみこう)』。

設置学科

沿革

  • 1900年明治33年)
    • 2月18日 - 東京府職工学校設立を公示し、本所区本所林町1番地76(現・墨田区菊川一丁目)に設立。
    • 7月21日 - 開校式を挙行。
  • 1901年(明治34年)6月22日 - 東京府立職工学校と改称。
  • 1920年大正9年)4月15日 - 東京府立実科工業学校と改称。
  • 1927年昭和2年)11月18日 - 深川区富川町3番地(現校地)に校舎を新築、移転。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 都制施行に伴い、東京都立墨田工業学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)4月1日- 学制改革に伴い、東京都立墨田工業新制高等学校と改称。
  • 1949年(昭和24年)11月5日 - 創立50周年記念祭を行う。
  • 1950年(昭和25年)1月26日 - 東京都立墨田工業高等学校と改称。
  • 1954年(昭和29年)10月16日 - 創立55周年記念式典を行う。
  • 1959年(昭和34年)10月17日 - 創立60周年記念式典を行う。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 学校所在地、住所表示変更により江東区森下五丁目1番7号となる。
  • 1985年(昭和60年)10月19日 - 創立85周年記念式典を行う。
  • 1996年平成8年)4月1日 - 同年度新入生より、進学対応を目的とした理工類型制を設置。
  • 2000年(平成12年)10月28日 - 創立100周年記念式典を行う。
  • 2001年(平成13年)
    • 4月1日 - 機械科2学級のうち1学級を学科改編し、自動車科を設置。
    • 6月 - 国土交通省より自動車整備士一種養成施設指定。
  • 2023年(令和5年)4月 - 東京都立墨田工科高等学校にと改称(予定)。

校歌

特色

年1回行われる体育祭では、鳳凰(機械科)、白虎(自動車科)、玄武(電気科3組)、麒麟(電気科4組)、青龍(建築科)の各団による応援合戦が行われる。その為,体育祭前より昼休みで各団ごとに「声出し(応援)」の練習をする。(各団ごとに,応援歌が存在し,応援団(通称・援団)の団長が指揮をとる) また、2月の予餞会では,1年生全員と希望者(教諭も含む)が全校生徒の前で「演芸(一発芸や合唱)」などを披露する。バスケットボール部は1949年の選手権(現インターハイ)で準優勝となった。

事故

2016年7月14日、午前中のプール授業で3年生男子生徒が保健体育男性教諭の飛び込み指導で水深1.1mのプール底に頭部を強打し首を骨折、胸から下が麻痺の状態[1]

この事故について、捜査をしていた警視庁は2020年10月、該当教師を業務上過失傷害の疑いで書類送検し、検察略式起訴した。ところが東京簡易裁判所は、書面での審理だけで処分を決める略式命令は相当ではないと判断し、正式な裁判を開くことを決めた事が2021年1月に伝えられた[2]。 2021年11月22日の判決で東京地方裁判所は求刑通り、罰金100万円の判決を言い渡した。

著名な卒業生

著名な教職員

関連項目

脚注

外部リンク