コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小浜元孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小浜 元孝
Mototaka Kohama
故人
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1932-10-17) 1932年10月17日
没年月日 (2017-01-12) 2017年1月12日(84歳没)
出身地 東京都の旗 東京
キャリア情報
高校 墨田工業高等学校
大学 ケンタッキー大学
経歴
選手時代:
1951-1958日本鉱業
コーチ時代:
1982-2005秋田いすゞ/いすゞ自動車/横浜ギガキャッツ
2007-2017イカイレッドチンプス

小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2017年1月12日)は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者。

来歴

[編集]

選手時代

[編集]

墨田工業高校選手権(現インターハイ)に出場、2年次には準優勝となり最優秀選手に選ばれる。

卒業後、日本鉱業に入社しバスケット部に所属。ガードとして活躍した。

1958年に現役引退し、指導者を目指すためケンタッキー大学に留学。

指導者として

[編集]

帰国後、昭和学院高でコーチキャリアをはじめ、安田生命日立戸塚法政大学で指導に当たる。

1979年全日本男子の監督に就任。同年のアジア選手権準優勝に導いた。

1982年秋田いすゞ自動車のヘッドコーチに就任。第59回オールジャパンで優勝を果たした。

1986年にいすゞ自動車に移管後も引き続き指揮を執り、日本リーグ優勝6回、オールジャパン優勝5回となるいすゞの黄金時代を築く。

いすゞのヘッドを務める傍ら、日本協会強化部役員を務め、1984年から1989年1998年にも全日本ヘッドに就任。31年ぶりに出場した世界選手権でも指揮を執った。

いすゞ廃部後は後継チームとして横浜ギガキャッツを設立。ヘッドも引き続き務め、2003年-04にはオールジャパンベスト8入りも果たした。

ギガキャッツ休部後は解説者を経て、2007年、静岡県で活動するイカイレッドチンプスの顧問に就任。後に監督となる[1]

2017年1月12日、肺炎のため東京都内の病院で死去した[2]。84歳。

2022年、日本バスケットボール殿堂に表彰される[3]

経歴

[編集]
  • 墨田工業高校 - 日本鉱業(1951年〜1958年)

脚注

[編集]
  1. ^ 会社案内 > スポーツ活動”. ikaigp.co.jp (2015年). 2018年4月30日閲覧。
  2. ^ 小浜元孝氏死去(バスケットボール元男子日本代表監督) 時事ドットコム 2017年1月12日
  3. ^ INDUCTEES/ 掲額者一覧

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]