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横浜ギガスピリッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横浜ギガスピリッツ
Yokohama Giga Spirits
愛称 ギガスピリッツ
所属リーグ 日本の旗 SBL-SB2
カンファレンス 男子関東
創設年 2005年
チーム史 横浜ギガスピリッツ
(2005年 - )
本拠地 神奈川県横浜市
代表者 小山泰介
ヘッドコーチ 小山泰介
公式サイト 公式ウェブサイト
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横浜ギガスピリッツ(よこはまギガスピリッツ、: Yokohama Giga Spirits)は、神奈川県横浜市を拠点に活動する社会人バスケットボールチーム。現在は男子関東SB2リーグに所属している。

本項では前身である秋田いすゞ自動車いすゞ自動車ギガキャッツ及び横浜ギガキャッツについても詳述する。

歴史

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秋田いすゞ自動車

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秋田いすゞ自動車
Akita Isuzu Motors
愛称 秋田いすゞ
チームロゴ
所属リーグ バスケットボール日本リーグ
創設年 1955年
解散年 1987年
チーム史
本拠地 秋田県秋田市
アリーナ 秋田県立体育館
収容人数 6,000人
チームカラー   レッド
代表者 蒔苗昭三郎
ヘッドコーチ 小浜元孝吉井四郎
笠原成元辻兵吉
優勝歴 JBL2 (1983年)
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東京商大でバスケットをした辻兵吉会長の命に依り、1955年に入社した蒔苗昭三郎(現秋田ノーザンハピネッツ取締役相談役)が秋田いすゞ自動車バスケット部を設立。設立当時、秋田いすゞ本社は、現在の秋田市大町二丁目にあり、その向かいの辻家の邸宅の庭をつぶしてバスケットコートを作った。秋田営林局を主体とした秋友会には、なかなか勝てなかったが、全県下くまなくスカウトして陣容を積み上げていく。秋田国体において、県が支出した強化費で一流コーチ、吉井四郎一橋大監督と、その後任笠原成元監督を迎え、中央チームと戦える力を蓄えていく。60-70年代は、秋田市立山王中学校体育館を練習場として使用していた。[1]

1982年、元日本鉱業選手で指導者として全日本男子も率いた経験を有する小浜元孝が監督に就任、小浜のケンタッキー・コネクションで元NBAアトランタ・ホークスジャック・ギブンスを獲得、快進撃を続ける。1983年11月 、日本リーグ2部優勝。当たり新卒米国籍テッド・ヤングが入団、以後いすゞ一筋に在籍する。

1984年オールジャパンで初優勝。日本リーグ2部チームとして初の優勝となった(現在まででも唯一。決勝進出でさえ他にアンフィニ東京(現・さいたまブロンコス)しか達成していない)。試合の模様は、NHKで全国生放送された。4月に日本リーグ1部昇格。

いすゞ自動車

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いすゞ自動車ギガ・キャッツ
Isuzu Mortars Giga Cats
愛称 いすゞ
チームロゴ
所属リーグ JBLスーパーリーグ
創設年 1987年
解散年 2002年
チーム史 いすゞ自動車リンクス
(1987年~1997年)
いすゞ自動車ギガ・キャッツ
(1997年~2002年)
本拠地 神奈川県横浜市
チームカラー   ゴールド
ヘッドコーチ 小浜元孝ドウェイン・ケイシー
優勝歴 JBL:6回(1988-89,1995-96,1996-97,1997-98,1998-99,2000-01)
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1987年にバスケット部強化の一環としていすゞ本社に移管され拠点も横浜市に移る。以降、日本リーグ1部リーグ(後のJBLスーパーリーグ)における、1995年からの4連覇を含む6度の優勝、オールジャパンにおける5度の優勝、さらに1996年にはアジアクラブ選手権(現・FIBAアジアチャンピオンズカップ)準優勝を獲得するなど黄金時代を築いた。

当初のチーム愛称は「リンクス」であったが、1997年より「ギガキャッツ」となった。ちなみにいすゞのトラックに「ギガ」が存在する。「キャッツ」は、小浜HCが留学していたケンタッキー大学ワイルドキャッツ」からいただいた。

2001年にはアジアバスケットボールリーグに参加。姚明擁する上海シャークスを破り準優勝となる。

しかし、いすゞ本社のリストラにより休部が決まり、2001-02シーズンを最後にいすゞ自動車バスケット部の歴史に幕を下ろした。このとき、野球部も休部となった。

横浜ギガキャッツ

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その後、小浜監督といすゞの一部選手らにより、将来のプロリーグ参戦を前提に市民球団の横浜ギガキャッツとして発足。湘南スポーツエンターテインメントが運営に当たり、サテライトとして湘南ギガキャッツも結成。

新潟アルビレックス、さいたまブロンコスなどとも提携を組み、クラブ連盟の大会を中心に参戦していたが、2003年にはクラブ化後初のオールジャパンに出場。翌年度も出場し、スーパーリーグの(元秋田いすゞの中村和雄が率いる)オーエスジーフェニックスを下しベスト8の快挙を成し遂げた(オールジャパンではJBLチームのみ外国籍選手は出場不可だが、横浜はJBL非加盟だったため外国籍起用可だったのも大きい。)。全日本クラブ選手権では初優勝。

その後、横浜の学校法人とのスポンサー契約が決まりかけていたが破談。結局このクラブチームも日本リーグ、あるいはbjリーグ参入を果たすことがなく2005年を最後に解散。ギガキャッツの名前も消えた。

横浜ギガスピリッツ

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その後、ギガキャッツの残った選手らにより、横浜ギガスピリッツという名前で再出発した。ギガスピリッツに「ギガキャッツのスピリッツ」が込められている[2]

2005-06、2006-07のオールジャパン2大会連続出場も果たす。2007年の全日本クラブ選手権ではベスト4の成績を収め、全日本社会人選手権出場も果たすが、2回戦で同大会優勝の九州電力に敗退。

2009年のオールジャパンにも出場。1回戦でJBL2豊田合成スコーピオンズ、2回戦で専修大学を下し、ベスト16まで進出。しかし3回戦でJBL東芝ブレイブサンダースに惨敗。全日本クラブ選手権では2大会ぶりのベスト4となった。

将来のプロリーグ参戦も検討していたが、2011年より県内のプロ化が一本化され、横浜より新球団「横浜ビー・コルセアーズ」がbjリーグに参入した。

2018年、同年発足した新しい地域リーグ(南関東地域)に参戦。

過去の成績

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秋田いすゞ~いすゞ自動車

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旧JBL

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年度 リーグ ディビジョン レギュラーシーズン セミファイナル ファイナル 最終結果
順位
1981 日本リーグ 2部 15 6 4 3位
1982 16 8 2 準優勝
1983 17 14 0 優勝
1984 1部 18 7 7 4位
1985 19 6 8 6位
1986 20 9 5 3位
1987 21 2 12 8位
1988 22 10 5 C2位 優勝
1989 23 10 5 C2位 3位
1990 24 9 6 T3位 6位
1991 25 3 12 T5位 9位
1992 26 8 14 10位
1993 27 4 6 C4位 9位
1994 28 12 4 T2位 3位
1995 29 14 2 C1位 2 1 2 1 優勝
1996 30 14 2 T1位 2 1 2 0 優勝
1997 31 14 2 C1位 2 0 2 0 優勝
1998 32 15 1 C1位 2 0 2 1 優勝
1999 33 12 4 C1位 2 0 1 2 準優勝
2000 SL 34 14 7 2位 2 0 2 1 優勝
2001 スーパーリーグ 1 15 6 3位 2 0 0 2 準優勝

※日本リーグ1部の第22回(1988年)から第33回(1999年)まではC(クーガー)、T(タイガー)のディビジョン制を導入。
※日本リーグ1部の第34回(2000年)のディビジョンはSL(プレスーパーリーグ)、NL(日本リーグ)として実施。

獲得タイトル
  • 日本リーグ - 優勝6回(1988年、1995年、1996年、1997年、1998年、2000年)
  • オールジャパン - 優勝6回(1984年、1994年、1996年、1998年、1999年、2001年)
  • 国体 - 優勝2回(秋田県時代)

横浜ギガキャッツ~横浜ギガスピリッツ

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  • オールジャパン - ベスト8(2004年)

地域リーグ

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*順位欄()内数字は参加チーム数 *CS:全日本社会人バスケットボール地域リーグチャンピオンシップ

年度 リーグ 順位 CS
2018 南関東 5 5 4位(6) ブロック予選敗退
2019 南関東2部A 12 2 1位(8) ブロック予選敗退
2020 南関東1部 2 4 5位(8) 準々決勝敗退
2021 南関東 10 6位(8) ---
2022 関東A 12 6 4位(10) ベスト16
2023 関東A

主な歴代所属選手

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2013年のラボン・ウィリアムズ

秋田いすゞ

いすゞ自動車リンクス→ギガキャッツ

いすゞ→横浜ギガキャッツ

横浜ギガキャッツ

横浜ギガキャッツ→横浜ギガスピリッツ

横浜ギガスピリッツ

脚注

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関連項目

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外部リンク

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