後藤敏博
引退 | |
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愛称 | ゴッチ |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1966年9月10日(58歳) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
身長(現役時) | 190cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 83kg (183 lb) |
キャリア情報 | |
出身 |
修猷館高校 中央大学 |
選手経歴 | |
1989-1994 1994-1998 |
熊谷組 いすゞ自動車 |
指導者経歴 | |
2000-2005 2005 2006-2012 2012-2015 2016 2017-2018.01 |
トヨタ自動車アンテロープス・コーチ 福岡レッドファルコンズ監督→アシスタントコーチ トヨタ自動車アンテロープス・コーチ トヨタ自動車アンテロープス・ヘッドコーチ 朝日丘中女子 仙台89ERS・ヘッドコーチ |
代表歴 | |
キャップ | 1990,1991,1993 |
後藤 敏博(ごとう としひろ、1966年9月10日 - )は福岡県福岡市出身のバスケットボール選手・指導者である。選手としては主にガードポジションを務め、JBL優勝5回、オールジャパン優勝3回を経験し、1998年に引退した。
2000年からは指導者に転身し、2012年にはWJBL・トヨタ自動車アンテロープスのヘッドコーチに就任、このシーズンのオールジャパンで優勝した。ほか、JBLスーパーリーグ・福岡レッドファルコンズ、Bリーグ・仙台89ERSのヘッドコーチを務めた。
来歴
[編集]選手として
[編集]修猷館高から中央大学に進み、全日本大学バスケットボール選手権大会優勝を経験。
卒業後の1989年、熊谷組に入社。同期の外山英明らとともに日本リーグ2回とオールジャパン1回の優勝に貢献する。
熊谷組休部後はいすゞ自動車に移籍し、日本リーグの優勝3回、オールジャパンの優勝2回。
またバスケットボール男子日本代表として1990年のアジア競技大会、1991年と1993年のバスケットボールアジア選手権、1993年の東アジア競技大会に出場した。
いすゞ自動車所属時の1998年に現役を引退した。
指導者として
[編集]2000年、Wリーグ・トヨタ自動車のコーチに就任し、就任初年度のWJBL 2000-01シーズン、トヨタは3勝18敗で最下位(8位)に終わり、下部のW1リーグとの入れ替え戦でも日立那珂スクァレルズに敗れ、降格した。
翌、WJBL_2001-02シーズンはW1リーグ2位に入り、入れ替え戦を経てWリーグに復帰した。
2005年、この年よりJBLスーパーリーグに参入した福岡レッドファルコンズの監督に就任するが、シーズン開幕を前にした9月、体調不良を理由に辞任し、アシスタントコーチに退いた[1]。このJBLスーパーリーグ 2005-06シーズン、福岡は経営難によりシーズン途中で解散した。
2006年、トヨタ自動車のコーチに復帰。
2009年U-19世界選手権日本女子代表ヘッドコーチ。
2009年東アジア大会、アジア大会、日本女子代表アシスタントコーチ。
2012年、トヨタ自動車ヘッドコーチに就任。2013年にはトヨタ自動車アンテロープスをオールジャパン優勝に導く。Wリーグ 2014-15シーズンを最後に退任し[2]、その後カナダやアメリカに留学しコーチングを学んだ[3]。
2017年6月、Bリーグ・B2の仙台89ERSヘッドコーチに就任[4]。B1から降格したばかりのチーム再建や若手の育成を託された後藤は、組織的なプレーを目標に掲げた[5]。
後藤は守備を重視する戦術を採用したが[6]、新たに加入した選手は攻撃を得意とする選手が多く[7]、戦術の浸透が遅れ、全60試合のうち1/4にあたる15試合を消化した時点で6勝9敗と負け越す。後藤は選手らとのミーティングを経て、それまでの守備重視の戦術から攻撃重視に転換した[8]ものの、主力選手であるオルー・アシャオルの故障離脱も重なり、2017年が終わった時点で13勝15敗と地区4位に低迷した[9]。2018年1月仙台89ESSヘッドコーチ退任。
脚注
[編集]- ^ “【バスケット】原田新監督を発表…福岡レッドファルコンズ”. サンケイスポーツ (2005年9月29日). 2006年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月5日閲覧。
- ^ “【トヨタ自動車アンテロープス】 §後藤敏博ヘッドコーチ退任のご挨拶§”. トヨタ自動車アンテロープス (2015年6月5日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ “【Bリーグ】2部降格の仙台・後藤新HC、万能日本人選手育てる”. スポーツ報知. (2017年6月21日) 2018年1月5日閲覧。
- ^ 『【お知らせ】仙台89ERS 2017-18シーズン 後藤敏博ヘッドコーチ契約締結のお知らせ』(プレスリリース)仙台89ERS、2017年6月7日 。2017年6月7日閲覧。
- ^ “仙台後藤HC就任会見 B1昇格へ「チームで勝つ」”. 日刊スポーツ. (2017年6月22日) 2018年1月5日閲覧。
- ^ 伊藤卓哉 (2017年12月1日). “<B2仙台>まさかの低空飛行 序盤戦終え7勝10敗 守り不調、攻撃力に活路”. 河北新報 2018年1月5日閲覧。
- ^ 伊藤卓哉 (2017年12月20日). “<B2仙台>中村代表、B1復帰諦めない「攻めの戦術、選手とマッチ」”. 河北新報 2018年1月5日閲覧。
- ^ “【Bリーグ】仙台、超攻撃型に変わる 1試合100点取る”. スポーツ報知. (2017年11月17日) 2018年1月5日閲覧。
- ^ “【Bリーグ】B2仙台が後藤敏博HC解任、後任は高岡大輔ACが昇格”. スポーツ報知. (2018年1月5日) 2018年1月5日閲覧。