浜口炎
ライジングゼファーフクオカ HC | |
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役職 | ヘッドコーチ |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1969年12月17日(54歳) |
出身地 | 東京都 |
キャリア情報 | |
高校 | 東京都立向丘高等学校 |
大学 | 愛知学泉大学 |
ポジション | G |
経歴 | |
コーチ時代: | |
2004-2005 | トヨタ自動車アルバルク(AC) |
2005-2011 | 仙台89ERS |
2011-2020 | 京都ハンナリーズ |
2020-2023 | 富山グラウジーズ |
2023-2024 | ライジングゼファーフクオカ(AC) |
2024- | ライジングゼファーフクオカ |
浜口 炎(はまぐち ほのお、1969年12月17日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール指導者である。
来歴
[編集]東京都立向丘高等学校ではガードとして活躍。
愛知学泉大学に進学し、指導者の道へ。
卒業後、母校のコーチ、米国留学などを経て、2004年にトヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチに就任。
2005年、bjリーグに参戦する仙台89ERSの初代ヘッドコーチに就任。「熱血指揮官」として知られ、試合では、テクニカルファウルも恐れず、抗議をすることも少なくない。プロバスケ! bjリーグtvの特集では「選手がプレーでミスをした」場合は怒らないが、「選手が気持ちのこもったプレーをしていない」と、怒るという。これは浜口が「ヘッドコーチとして選手と共に戦いたいから」という浜口の強い気持ちがあるからである。
2010-11シーズンは東日本大震災の影響でチームは活動休止に追い込まれ、浜口を含めたコーチ陣・選手たちは全員解雇となった。 浜口自身は震災後も仙台でコーチ業を続けようと考えていたが「失礼な条件のオファーしかできない。たとえ会社が自主再建できたとしても契約はしない。なので他(のチーム)をあたって欲しい」というチーム側の考えから浜口は6シーズン過ごしてきた仙台の地を去ることとなった[1]
2011-12シーズンから2019-20シーズンまで京都ハンナリーズのヘッドコーチを務めた[2]。
2020年、京都ハンナリーズHCを退任し、富山グラウジーズのHCに就任した[3]。就任1年目には東地区4位と健闘し、Bリーグチャンピオンシップ出場を決める。クォーターファイナルで西地区1位の琉球ゴールデンキングスに1勝2敗で敗退し、ベスト8。しかし就任2年目は、2021-22シーズンは東地区7位に終わり、プレーオフ進出を逃す。2022-23シーズンは3地区制が復活し、中地区に所属するも、シーズン開幕から成績は低迷し、中地区7位となり、2023年1月16日に、クラブと双方合意の下、契約を解除し、退任した。
2023年、ライジングゼファーフクオカのアシスタントコーチに就任[4]。2023-24シーズン終了後、ヘッドコーチに昇格した[5]。
脚注
[編集]- ^ 「仙台で続けたかった」 元bj仙台HC・浜口氏に聞く(河北新報 2011年5月8日)
- ^ bjリーグ 前仙台HCの浜口氏、京都へ(河北新報 2011年7月1日)
- ^ “浜口炎氏が富山グラウジーズのヘッドコーチに就任…京都ハンナリーズで9季指揮”. バスケットボールキング. (2020年7月21日) 2020年7月26日閲覧。
- ^ “2023-24シーズンヘッドコーチ及びアシスタントコーチ契約締結のお知らせ”. ライジングゼファーフクオカ (2023年6月23日). 2024年6月26日閲覧。
- ^ “2024-25シーズン ヘッドコーチ契約締結のお知らせ”. ライジングゼファーフクオカ (2024年6月22日). 2024年6月26日閲覧。