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2022年10月7日 (金) 03:56時点における版
大分県立宇佐高等学校 | |
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北緯33度31分50.9秒 東経131度22分41秒 / 北緯33.530806度 東経131.37806度座標: 北緯33度31分50.9秒 東経131度22分41秒 / 北緯33.530806度 東経131.37806度 | |
過去の名称 |
大分県中津尋常中学校宇佐分校 大分県立宇佐中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
併合学校 | 大分県立四日市高等学校 |
校訓 | 剛健・友愛・創造 |
設立年月日 | 1897年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000291 |
高校コード | 44161K |
所在地 | 〒872-0102 |
大分県宇佐市大字南宇佐1543 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立宇佐高等学校(おおいたけんりつ うさこうとうがっこう)とは、大分県宇佐市にある高等学校である。2007年(平成19年)4月には、大分県立四日市高等学校と統合され、新たな大分県立宇佐高等学校となった。略称は、宇佐高。
概要
旧制大分県立宇佐中学校を前身とする。1948年(昭和23年)、新学制により大分県立宇佐高等学校(男女共学)となった。
校地は宇佐神宮付近の老上ヶ丘(ろうじょうがおか)にあり、付近には国宝宇佐神宮、大楽寺、円通寺など寺社が多い。
沿革
1897年(明治30年)、中津尋常中学校(現大分県立中津南高等学校)の宇佐分校として開校した。当時は大分、中津、杵築、臼杵、竹田に次ぐ県内6番目の中学校であり、宇佐以外はいずれも城下町であることから、宇佐の地の教育熱の高さ、地元有力者の努力の跡が窺える。 1901年 (明治34年)、大分県立宇佐中学校と改称し、県下で六中学校時代となった。 1948年 (昭和23年)、新学制により男女共学の大分県立宇佐高等学校となる。 2007年(平成19年)4月には、大分県立四日市高等学校と統合された。[1]
年表
- 1894年(明治27年) - 大分尋常中学校中津分校設置。
- 1897年(明治30年) - 大分県中津尋常中学校宇佐分校設置。宇佐神宮宣教館(能舞台)を仮校舎とする。
- 1899年(明治32年) - 老上ヶ丘(現校地)に校舎を建設。
- 1901年(明治34年) - 大分県立宇佐中学校と改称。
- 1948年(昭和23年) - 新学制により大分県立宇佐高等学校となる。
- 2007年(平成19年) - 大分県立四日市高等学校と統合。[1]
設置学科
施設・設備
- 管理棟 (昭和55年)
- 普通教室棟 (平成23年)
- 特別教室棟 (昭和57年)
- 体育館 (平成元年)
- 柔剣道場 (昭和47年)
- 屋内相撲場 (昭和47年)
- ウエイトリフティング場 (平成19年)
- テニスコート (平成5年)
- 卓球場 (平成19年)
- 弓道場 (昭和56年)
- プール (昭和63年)
- 老上ヶ丘会館 (平成8年)[2]
部活動
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所在地
- 大分県宇佐市大字南宇佐1543
北緯33度31分51秒 東経131度22分41秒 / 北緯33.53083度 東経131.37806度
交通
最寄駅:九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線宇佐駅 宇佐駅より国道10号を中津方面へ、車で約5分。国道10号宇佐高校入口交差点を右折。
主な出身者
- 三好輝彦 - 海軍少将
- 草地貞吾 - 陸軍大佐、関東軍参謀 / シベリア抑留後帰還、国士舘高元校長
- 豊田隈雄 - 海軍大佐、作家
- 大慈弥嘉久 - 通産事務次官、アラビア石油社長
- 鹿島俊策 - 俳優
- 是永修治 - 宇佐市長