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2022年10月7日 (金) 04:25時点における版
岐阜県立船津高等学校 | |
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北緯36度18分29.2秒 東経137度18分16.1秒 / 北緯36.308111度 東経137.304472度座標: 北緯36度18分29.2秒 東経137度18分16.1秒 / 北緯36.308111度 東経137.304472度 | |
過去の名称 |
船津実科高等女学校 岐阜県立船津高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜県 |
学区 | 飛騨学区 |
併合学校 | 飛騨神岡高に併合 |
設立年月日 | 1924年 |
閉校年月日 | 1997年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 21164J |
所在地 | 〒506-1143 |
岐阜県吉城郡神岡町小萱2138番地2[注釈 1] | |
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岐阜県立船津高等学校(ぎふけんりつ ふなつこうとうがっこう、英: Gifu Prefectural Funatsu High School)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町にあった公立の高等学校。
概要
- 1997年(平成9年)に神岡町立神岡工業高等学校と統合し、岐阜県立飛騨神岡高等学校の新設により廃校。校地校舎は飛騨神岡高等学校に転用された。
設置学科
沿革
- 1924年(大正13年)6月 - 吉城郡船津町に船津実科女学校として開校。船津第一尋常高等小学校の南舎2階を仮校舎とする[1]。
- 1925年(大正14年) - 岐阜県船津実科高等女学校に改称[1]。
- 1942年(昭和17年)9月25日 - 実科を廃止。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 岐阜県船津高等女学校に改称する。
- 1944年(昭和19年)
- 4月1日 - 岐阜県立船津高等女学校に改称する。
- 11月11日 - 船津町大字船津字スルスワ2142-1[注釈 2]に校舎を新築し、移転。
- 1945年(昭和20年) - 専攻科設置。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 岐阜県立船津高等学校に改称する。同時に男女共学となる。
- 1949年(昭和24年)4月 - 寄宿舎竣工。
- 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町、阿曽布村、袖川村が合併し、神岡町が発足。
- 1954年(昭和29年) - 青雲寮竣工。
- 1967年(昭和42年)5月 - 体育館竣工。
- 1975年(昭和50年)7月 - 神岡町小萱2138-2に新校舎を建設開始。
- 1978年(昭和53年)5月 - 神岡町小萱2138-2に新校舎を新築し、移転。
- 1984年(昭和59年) - 寄宿舎も小菅へ移転。
- 1991年(平成3年)7月 - 高原郷高校教育懇談会を設置。
- 1992年(平成4年)2月 - 高原郷高校教育懇談会により、高原郷(神岡町・上宝村)の高校の統合について報告書が神岡町に提出される。
- 1993年(平成5年)
- 岐阜県内の公立学校で初めて、普通科にスポーツコースを新設。
- 8月 - 高原郷高校問題対策審議会を設置する。
- 1995年(平成7年)
- 11月 - 岐阜県教育委員会が神岡町内の2つの高校(船津高等学校、神岡工業高等学校)の統合を決める。
- 11月21日 - 総合学科設置合同準備委員会を校内に設置。
- 1997年(平成9年)4月 - 神岡工業高等学校と統合し、岐阜県立飛騨神岡高等学校の新設により廃校。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『神岡町史 通史編Ⅱ』(飛騨市教育委員会 2008年)P.268 - 280