コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「岐阜県立羽島高等学校柳津分校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の高等学校
{{Infobox 日本の学校
|校名 = 岐阜県立羽島高等学校柳津分校
|校名 = 岐阜県立羽島高等学校柳津分校
|画像 = no
|画像 = no

2022年10月7日 (金) 04:26時点における版

岐阜県立羽島高等学校柳津分校
国公私立の別 公立学校
設置者 柳津町
設立年月日 1954年
閉校年月日 1981年
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 普通科
所在地 501-6115
岐阜県羽島郡柳津町丸野2丁目170-1[注釈 1]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

岐阜県立羽島高等学校柳津分校(ぎふけんりつはしまこうとうがっこうやないづぶんこう)は、かつて岐阜県羽島郡柳津町(現・岐阜市)にあった公立高等学校分校

概要

  • 羽島高等学校の定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は柳津町であった[1]
  • この地域の繊維会社の従業員のために設置されたこともあり、校地は岐阜紡績(現・トヨタ紡織岐阜工場)に隣接していた。また、一部の施設(講堂・運動場・プールなど)は岐阜紡績の施設であった。
  • 廃校後、校舎等は改修され、防災倉庫と社会体育館となった。2019年現在、跡地は岐阜市消防本部南消防署柳津分署となっている。また、豊田紡織の施設でもあった講堂、運動場などは、2019年現在、商業施設のカラフルタウン岐阜の敷地となっている。

沿革

  • 1953年(昭和28年)3月24日 - 柳津村議会文教委員会にて、定時制の羽島高等学校柳津分校の設置を議決する。
  •  1954年(昭和29年)
    • 3月30日 - 設置の認可を受ける。
    • 4月18日 - 羽島高等学校柳津分校として開校。岐阜紡績内の建物を仮校舎とする。開校時の生徒数は120名[注釈 2]
  • 1956年(昭和31年)9月26日 - 稲葉郡佐波村と羽島郡柳津村が合併し、羽島郡柳津町となる。
  • 1958年(昭和33年)11月9日 - 現在地に校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成。岐阜紡績敷地内に、柳津分校との共用施設(講堂・運動場・プール)が完成。
  • 1961年(昭和36年)8月 - 特別教室(木造平屋建)が完成。
  • 1966年(昭和41年)8月 - 管理棟(鉄筋コンクリート造2階立)が完成。
  • 1968年(昭和43年)3月1日 - 岐阜紡績が豊田紡織岐阜工場になる。
  • 1981年(昭和56年)
    • 2月8日 - 閉校式を行う。最後の卒業生は21名。
    • 3月31日 - 廃校。

脚注 

注釈 

  1. ^ 現・岐阜市柳津町丸野2丁目170-1。
  2. ^ 柳津百科では174名。

出典

  1. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。(和良村史P.930)。

参考文献

  • 柳津町史 柳津編 (柳津町 1972年) P.444 - 445
  • 柳津百科 町制施行30周年記念要覧 (柳津町 1986年) P.28 - 29
  • 写真でつづる柳津町史 町のあゆみ (柳津町 2005年) P.16 22 32 37 62

関連項目