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2022年10月7日 (金) 04:26時点における版
岐阜県立羽島高等学校柳津分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 柳津町 |
設立年月日 | 1954年 |
閉校年月日 | 1981年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒501-6115 |
岐阜県羽島郡柳津町丸野2丁目170-1[注釈 1] | |
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岐阜県立羽島高等学校柳津分校(ぎふけんりつはしまこうとうがっこうやないづぶんこう)は、かつて岐阜県羽島郡柳津町(現・岐阜市)にあった公立の高等学校の分校。
概要
- 羽島高等学校の定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は柳津町であった[1]。
- この地域の繊維会社の従業員のために設置されたこともあり、校地は岐阜紡績(現・トヨタ紡織岐阜工場)に隣接していた。また、一部の施設(講堂・運動場・プールなど)は岐阜紡績の施設であった。
- 廃校後、校舎等は改修され、防災倉庫と社会体育館となった。2019年現在、跡地は岐阜市消防本部南消防署柳津分署となっている。また、豊田紡織の施設でもあった講堂、運動場などは、2019年現在、商業施設のカラフルタウン岐阜の敷地となっている。
沿革
- 1953年(昭和28年)3月24日 - 柳津村議会文教委員会にて、定時制の羽島高等学校柳津分校の設置を議決する。
- 1954年(昭和29年)
- 3月30日 - 設置の認可を受ける。
- 4月18日 - 羽島高等学校柳津分校として開校。岐阜紡績内の建物を仮校舎とする。開校時の生徒数は120名[注釈 2]。
- 1956年(昭和31年)9月26日 - 稲葉郡佐波村と羽島郡柳津村が合併し、羽島郡柳津町となる。
- 1958年(昭和33年)11月9日 - 現在地に校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成。岐阜紡績敷地内に、柳津分校との共用施設(講堂・運動場・プール)が完成。
- 1961年(昭和36年)8月 - 特別教室(木造平屋建)が完成。
- 1966年(昭和41年)8月 - 管理棟(鉄筋コンクリート造2階立)が完成。
- 1968年(昭和43年)3月1日 - 岐阜紡績が豊田紡織岐阜工場になる。
- 1981年(昭和56年)
- 2月8日 - 閉校式を行う。最後の卒業生は21名。
- 3月31日 - 廃校。
脚注
注釈
出典
- ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。(和良村史P.930)。
参考文献
- 柳津町史 柳津編 (柳津町 1972年) P.444 - 445
- 柳津百科 町制施行30周年記念要覧 (柳津町 1986年) P.28 - 29
- 写真でつづる柳津町史 町のあゆみ (柳津町 2005年) P.16 22 32 37 62