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「岐阜県立中津高等学校苗木分校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 04:27時点における版

岐阜県立中津高等学校苗木分校
国公私立の別 公立学校
設置者 苗木町 → 中津川市
設立年月日 1949年
閉校年月日 1969年
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 普通科
所在地 509-0101
岐阜県中津川市苗木1695-2
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岐阜県立中津高等学校苗木分校(ぎふけんりつなかつこうとうがっこうなえぎぶんこう)は、かつて岐阜県中津川市にあった公立高等学校分校

概要

沿革

  • 1948年(昭和23年)12月 - 苗木町議会で中津高校苗木分校の設置が議決される。校舎は苗木町苗木4598[注釈 2]に新築となったが、諸般の事情で新築は断念する。
  • 1949年(昭和24年)5月 - 恵那郡苗木町に岐阜県立中津高等学校苗木分校として開校。昼間定時制で農業科を設置。設置者は苗木町。校舎は苗木町大字苗木字並松の旧・青年学校校舎を使用する。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 中津町と苗木町が合併し、中津川町が発足。同時に設置者は中津川町となる。
    • 9月 - 苗木中学校の校舎に移転。昼間農業科を廃止し、夜間普通科を設置。普通科に商業・農業・家庭コースを設置。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 中津川町が市制施行、中津川市となる。同時に設置者は中津川市となる。
  • 1955年(昭和30年) - 岐阜県より募集停止の勧告を受けるが、陳情などのより回避される。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 岡洋裁学院を吸収し、女子家庭コースを設置。
    • 5月 - 苗木中学校の隣接地に独立校舎が完成。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 募集を停止する。
  • 1969年(昭和44年)3月 - 廃校。廃校時の生徒数は15名。

脚注 

注釈 

  1. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。
  2. ^ 現・苗木公園の一部

出典

参考文献

  • 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.119
  • 中津川市史 下巻 現代編Ⅱ (中津川市 2012年) P.1683 - 1685 1702 - 1707

関連項目