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「鳥羽市立鏡浦中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 09:28時点における版

鳥羽市立鏡浦中学校
地図北緯34度26分46.0秒 東経136度54分1.8秒 / 北緯34.446111度 東経136.900500度 / 34.446111; 136.900500座標: 北緯34度26分46.0秒 東経136度54分1.8秒 / 北緯34.446111度 東経136.900500度 / 34.446111; 136.900500
過去の名称 鏡浦村立鏡浦中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鳥羽市
設立年月日 1947年(昭和22年)4月
閉校年月日 2014年(平成26年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 517-0025
三重県鳥羽市浦村町1744番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鳥羽市立鏡浦中学校(とばしりつ かがみうらちゅうがっこう)は、かつて三重県鳥羽市にあった公立中学校鳥羽市立鳥羽東中学校に統合され、2014年(平成26年)3月31日をもって閉校した[1]

閉校直前の2014年(平成26年)3月25日現在の生徒数は2人[1]で、同年3月の卒業生を含めると10人であった[2]

概要

全校生徒は例年20〜30人という小規模校であった[3]。この小規模校の特性を生かしたきめ細かな指導、確かな学力の育成が模索されていた[4]。生徒の祖母のほとんどは海女をしているが、生徒の生活は地域産業から離れつつあり、漁業体験・調査学習を通して、漁業と自分のつながりを実感していた[3]

生徒数
年度(年) 生徒数
平成 2(1990) 93[5]
平成14(2002) 49[4]
平成19(2007) 23[6]
平成23(2011) 26[7]
平成26(2014) 10[2]

校地は伊勢湾口にある生浦湾(おうのうらわん)を見下ろす高台にあり[7]、鳥羽市鏡浦地区の避難所・一時立ち退き場所になっていた[8][9]三重県の想定では東南海地震東海地震南海地震の3地震が同時発生した場合、生浦湾に最大3.23mの津波が押し寄せるとされており、2011年(平成23年)6月9日には隣接する鏡浦小学校と合同で避難訓練が行われた[7]

地元で開かれる「牡蠣の国まつり」(浦村かきの無料提供・販売などを主としたイベント)に協力者として名を連ねていた[10]

沿革

海と関わる学習活動

鏡浦中学校では海と関わる学習活動が行われていた。

1999年(平成11年)度から地域で盛んなカキ養殖体験を行っていた[3]2001年(平成13年)から総合的な学習の時間(THE KAGAMIURA)を利用するようになり[6]、年度を追うごとに漁業体験・干物やカキ料理作り・カキ販売など活動の幅を広げ、2010年(平成22年)には年間を通してさまざまな実習・調査活動を組み込んだ[3]。この活動には、学校の近くにある海の博物館との連携も重要な役割を果たしていた[3]。2010年(平成22年)からは総合学習を利用して地元の漁師が行っている生浦湾のアマモ場の保存・再生事業に、環境教育と絡めて積極的に関わっていた[21][22]。アマモを含む藻場は「海のゆりかご」と呼ばれ、稚魚の生育に必要な環境である[22]

2011年(平成23年)2月17日に海の博物館で開かれた、「アマモ場の再生を目指して-漁業者と参加中学生の交流」に参加した[21][23]。この会には、的矢湾で同じくアマモ場再生を行っている志摩市立的矢中学校や漁業関係者、三重大学生物資源学部教授ら約120名が参加し、地域間・世代間を越えた交流が行われた[21][23]。同年6月6日には浦村町の小白浜海岸でアマモ移植体験を行った[22]。この海岸は「こじらはま」と読み、映画ゴジラ』の第1作のロケ地になった場所の近くでもある[24]

学区

旧・鏡浦中学校の学区

鳥羽市立鏡浦小学校と同じであった[25]

  • 石鏡町(いじかちょう)
  • 浦村町(うらむらちょう)

学区は上記の2町だけであったが、通学に約1時間かかる生徒もいた[7]

交通

周辺

  • 鳥羽市立鏡浦小学校
  • 海の博物館

出身者

閉校までに2,808人が卒業した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 鳥羽・鏡浦中、67年の歴史に幕 山川豊さんら母校閉校式”. 伊勢新聞. 47NEWS (2014年3月27日). 2014年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  2. ^ a b c 鳥羽・鏡浦中 最後の卒業生巣立つ 8人が感謝の言葉”. 伊勢新聞 (2014年3月9日). 2014年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e 中学生が通年、地元漁業をフルコース体験・調べ学習”. 農林水産省 (2010年). 2013年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  4. ^ a b 鳥羽市立鏡浦中学校”. 三重県教育委員会学力向上フロンティア事業. 2007年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  5. ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):467 - 468ページ
  6. ^ a b 三重県(2007)"平成19年度鏡浦中学校環境教育プログラム作成にあたって"(2011年8月17日閲覧。)
  7. ^ a b c d 林一茂"避難訓練:鳥羽の鏡浦小・中合同、大津波を想定標高15メートル以上へ/三重"毎日新聞2011年6月10日(2011年8月16日閲覧。)
  8. ^ 鳥羽市総務課防災対策室"鳥羽市/鏡浦中学校体育館"(2011年8月15日閲覧。)
  9. ^ 鳥羽市総務課防災対策室"鳥羽市/鏡浦中学校グラウンド"2011年3月22日(2011年8月16日閲覧。)
  10. ^ 三重漁連ニュース-みえぎょれん-/2008年3月4日号”. 三重県漁業協同組合連合会. 2012年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月16日閲覧。
  11. ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1305ページ
  12. ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1308ページ
  13. ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1316ページ
  14. ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):464ページ
  15. ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):1338ページ
  16. ^ 鳥羽市/鳥羽市の沿革”. 鳥羽市総務課行政係. 2013年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  17. ^ 学力向上アクションプラン”. 文部科学省. 2013年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  18. ^ 学力向上アクションプラン/学力向上フロンティアスクール一覧【三重県:22校】”. 文部科学省. 2013年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  19. ^ 建通新聞"建設業界ニュース中部版【三重】鳥羽市は、小中統合など行政改革プラン策定(2/7)"2011年2月7日(2011年8月15日閲覧。)
  20. ^ a b 片山健生"中日新聞:米国の児童から激励の“俳句”津波でカキ養殖被害の鳥羽市に"中日新聞2011年8月13日(2011年8月15日閲覧。)
  21. ^ a b c 「アマモ場の再生を目指して」鳥羽と志摩の中学生らが地域を越えて交流会”. 伊勢志摩観光旅行ツアー. 2014年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  22. ^ a b c "「海のゆりかご」を守ろう 鳥羽の中学生、アマモ苗移植"朝日新聞2011年6月7日付朝刊、三重版19ページ
  23. ^ a b 漁業者と中学生の交流発表会・・・2/17鳥羽志摩アマモ場再生で”. 三重県環境・生態系保全活動支援協議会 (2011年3月16日). 2014年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  24. ^ 鳥羽の鏡浦中生徒が干潟にアマモを移植-ゴジラが初上陸した近くのコジラ浜で”. 伊勢志摩経済新聞 (2011年6月8日). 2011年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  25. ^ 鳥羽市/小学校・中学校一覧”. 鳥羽市教育委員会総務課庶務係 (2011年3月31日). 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。

参考文献

  • 鳥羽市史編さん室『鳥羽市史 下巻』平成三年三月二十五日、鳥羽市役所、1347pp.

関連項目

外部リンク