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2022年10月7日 (金) 10:44時点における版
五島市立岐宿中学校 | |
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北緯32度43分50秒 東経128度44分40秒 / 北緯32.730611度 東経128.744583度座標: 北緯32度43分50秒 東経128度44分40秒 / 北緯32.730611度 東経128.744583度 | |
過去の名称 | 岐宿町立岐宿中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
(旧)岐宿町立岐宿中学校 岐宿町立川原中学校 岐宿町立山内中学校 |
校訓 |
理想開拓 創造 友愛 勤勉 |
設立年月日 | 1977年(昭和52年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210001249 |
所在地 | 〒853-0703 |
長崎県五島市岐宿町楠原544番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立岐宿中学校(ごとうしりつ きしくちゅうがっこう)は、長崎県五島市岐宿町楠原にある公立中学校。略称は「岐中」(きちゅう)。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革の際に新制中学校として発足した岐宿町内の中学校3校(岐宿・川原・山内)が1977年(昭和52年)に統合されて「岐宿町立岐宿中学校」となった。2012年(平成24年)に統合35周年(創立65周年)を迎えた。
- 校訓
- 「理想開拓 創造・友愛・勤勉」
- 学校教育目標
- 「岐宿中学校は一つ 一歩前 声を出せ・心で動け・汗をかけ」
- 校章
- 校名の岐宿(キシク)の「キ」の字を図案化したものを背景にして、中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は岐宿町校長会、作曲は深町一郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「岐宿中」が登場する。
- 愛唱歌
- 校歌とは別に愛唱歌「空・海・未来」がある。
沿革
- 前史(旧・岐宿中学校)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1949年(昭和24年)- PTAが発足。
- 1950年(昭和25年)- 長崎県立五島高等学校定時制岐宿分校(長崎県立五島南高等学校の前身)が併設される。
- 1951年(昭和26年)- 中学校新校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 唐船ノ浦分校が小中ともに分離し、「岐宿町立旭小中学校」(小中併設校)として独立。
- 1956年(昭和31年)- 台風12号により旧校舎が半壊する。
- 1957年(昭和32年)- 長崎県立五島高等学校定時制岐宿分校が移転し、中学校との併設を解消。
- 1959年(昭和34年)- へき地集会所(体育館)が完成。岐宿町児童生徒会が発足。
- 1963年(昭和38年)- ミルク給食を開始。
- 1965年(昭和40年)- 中学校統合促進委員会が発足。
- 1967年(昭和42年)
- 4月1日 - 旭中学校を統合し、旭分校とする[2]。姫島分校を休校とする。
- 8月31日 - 旭分校(唐船ノ浦483番地、北緯32度45分32.9秒 東経128度47分50.1秒)を廃止。
- 9月1日 - 旧・旭分校の生徒は渡船で本校に通学することになる。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 姫島分校(北緯32度48分22.3秒 東経128度40分41.8秒 / 北緯32.806194度 東経128.678278度)を廃止[3]。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 統合により閉校。
- 前史(旧・川原中学校)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 岐宿第二国民学校の初等科が改組され、「岐宿町立川原小学校」となる。
- 岐宿第二国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「岐宿町立川原中学校」が発足。当初小学校に併設される。生徒数85名(中学のみ)。初代校長は松園文耕。
- 1949年(昭和24年)- PTAが発足。
- 1952年(昭和27年)- 6教室が完成。青少年赤十字(JRC)が発足。ミルク給食を開始。
- 1954年(昭和29年)- 運動場を拡張。
- 1956年(昭和31年)- へき地集会所(体育館)が完成。
- 1963年(昭和38年)- 小学校新校舎完成により移転を完了。これにより併設を解消。
- 1965年(昭和40年)- 運動場を拡張。
- 1968年(昭和43年)- 2教室を増築。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 統合により廃止。
- 前史(旧・山内中学校)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 岐宿第三国民学校の初等科が改組され、「岐宿町立山内小学校」となる。
- 岐宿第三国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「岐宿町立山内中学校」が発足。当初小学校に併設される。初代校長は木場末吉。
- 1949年(昭和24年)- 小中合同学共会(PTA)が発足。
- 1951年(昭和26年)- 校歌を制定。
- 1952年(昭和27年)- 校舎北側4教室が完成。
- 1953年(昭和28年)- 新校舎が完成。運動場を拡張。
- 1955年(昭和30年)- 小学校との併設を解消。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 統合により廃止。
- 統合(現・岐宿中学校)
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 以上の岐宿町立中学校3校が統合され、「岐宿町立岐宿中学校」となる。
- 楠原郷544番地(現在地)に新校舎・技術棟・体育館が完成。生徒数は368名。校長には旧・川原中学校校長の大坪通志が就任。
- 1980年(昭和55年)- 運動場を拡張。夜間照明を設置。
- 1987年(昭和62年)- 岐宿町立学校給食センターの完成により、センター調理・配送方式の完全給食を開始。
- 1994年(平成6年)- 各教室にテレビを設置。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立岐宿中学校」(現校名)へ改称。
交通アクセス
- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「岐宿中学校前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
参考資料
- 「岐宿町郷土誌」(2001年(平成13年)3月31日, 岐宿町)p. 601 -