コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「遠軽町立遠軽中学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{出典の明記| date = 2021年2月}}
{{出典の明記| date = 2021年2月}}
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名=遠軽町立遠軽中学校
|校名=遠軽町立遠軽中学校
|画像=[[ファイル:Engaru Municipal Engaru Junior High School.jpg|280px]]
|画像=[[ファイル:Engaru Municipal Engaru Junior High School.jpg|280px]]

2022年10月7日 (金) 10:46時点における版

遠軽町立遠軽中学校
地図北緯44度03分54秒 東経143度31分46秒 / 北緯44.064889度 東経143.5295度 / 44.064889; 143.5295座標: 北緯44度03分54秒 東経143度31分46秒 / 北緯44.064889度 東経143.5295度 / 44.064889; 143.5295
国公私立の別 公立学校
設置者 遠軽町
併合学校 遠軽町立下社名渕中学校
遠軽町立社名渕中学校
設立年月日 1947年4月
共学・別学 男女共学
分校 望の岡分校
学期 3学期制[1]
学校コード C101255500034 ウィキデータを編集
中学校コード 010622
所在地 099-0404
北海道紋別郡遠軽町大通北5丁目2番地1[2]
外部リンク 公式サイト”. 2014年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月23日閲覧。
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

遠軽町立遠軽中学校(えんがるちょうりつ えんがるちゅうがっこう)は、北海道遠軽町に所在する公立中学校

概要

部活動では吹奏楽[3]マーチングバンド[4]が盛んで、北海道代表として全国大会にも出場している。

全国的にも珍しい民間の児童自立支援施設として1914年に創設された北海道家庭学校内に、2009年から「望の岡分校」を設置している(遠軽東小学校望の岡分校と併置)。

沿革

  • 1947年(昭和22年)4月 - 遠軽中学校が創設
  • 1948年(昭和23年)10月1日 - 帝国製麻会社から用地を譲渡。代金は遠軽中学校PTAが支払い、町に寄贈
  • 1949年(昭和24年)4月 - 第一期工事の校舎が完成し、8学級を収容。同年秋にグランドが完成し、運動会を開催する
  • 1951年(昭和26年)4月 - 分散授業が解消
  • 1954年(昭和29年)6月 - 校旗の寄贈を受ける
  • 1955年(昭和30年) - 野球部が全道少年野球大会で優勝
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 下社名渕中学校を統合
  • 1955年(昭和30年) - 野球部が全道少年野球大会で優勝
  • 1976年(昭和51年)3月 - 新校舎が完成
  • 1976年(昭和51年) - 柔道部が北海道代表として全国に出場
  • 1981年(昭和56年)4月 - 社名渕中学校を統合。遠軽町立南中学校が開校により通学区域を分離
  • 2009年(平成21年)4月 - 望の岡分校を開校

通学区域

通学区域は以下の通り[5]

  • 大通南1、2、3、4丁目
  • 岩見通南1、2、3、4丁目
  • 1条通南1、2、3丁目、2条通南1、2丁目
  • 大通北1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11丁目
  • 岩見通北1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11丁目
  • 1条通北1、2、3、4、5、6、7、8、9、10丁目
  • 2条通北1、2、3、4、5、6、7、8丁目
  • 西町1、2、3丁目、宮前町、清川、丸大
  • 学田1、2、3、4、5丁目
  • 白竜、千代田、社名渕、美山、若松、見晴、留岡

著名な出身者

関連項目

脚注

外部リンク