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遠軽町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
えんがるちょう ウィキデータを編集
遠軽町
瞰望岩と石北本線の特急「オホーツク

正旗

略旗
遠軽町章
遠軽町旗 遠軽町章
2005年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道オホーツク総合振興局
紋別郡
市町村コード 01555-5
法人番号 1000020015555 ウィキデータを編集
面積 1,332.45km2
(境界未定部分あり)
総人口 17,684[編集]
住民基本台帳人口、2024年11月30日)
人口密度 13.3人/km2
隣接自治体 紋別市北見市常呂郡佐呂間町紋別郡滝上町湧別町上川郡上川町
町の木 エゾヤマザクラ・藤
町の花 コスモス
遠軽町役場
町長 佐々木修一
所在地 099-0492
北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目1-1
北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度 / 44.06208; 143.52758座標: 北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度 / 44.06208; 143.52758
外部リンク 公式ウェブサイト

遠軽町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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瞰望岩から望む遠軽市街地(2016年9月)
遠軽市街地(西町1丁目より南町・豊里方面、2016年9月)

遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内、紋別郡にある

なお現在の自治体としての遠軽町は、2005年平成17年)に当時の遠軽町、生田原町丸瀬布町白滝村の紋別郡3町1村が対等合併して新たに設置された自治体であるが、本項では便宜上合併以前の旧・遠軽町、およびその前身の旧・遠軽村についても述べる。

概要

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オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内と接している。人口は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在[1])、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在[2])。面積の広さは「市町村」としては全国9位・道内5位(北方領土内の留別村を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町(いずれも道内)に次ぐ全国3位である。

町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。

1919年大正8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がそれぞれ遠軽村(→町)から分村されたが、前述のとおり2005年(平成17年)に4町村が新設合併して(新)遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の指定自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域に指定されている。

町名の由来

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現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語の「インカルシ(inkar-us-i)」(眺める・いつもする・所)に由来する[3][4]。かつてはここで見張りをしたという[4]

湧別村時代の1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、学田農場付近に設置した新局に「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[5]

地理

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上川管内・上川町との町境にそびえる北大雪山系東麓から、湧別川およびその支流の流域にあたる東西47km、南北46kmの広い町域を持ち、その大半は山林であるものの河川沿いには農業・酪農に適した平地も多くある。最高所は上川町との境界に位置する武利岳(標高1,876m)で、これはオホーツク管内の最高峰でもある。市街地は旧4町村(遠軽、生田原、丸瀬布、白滝)のそれぞれにあり、市街地の標高はもっとも低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。

気候

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ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 (Dfb)に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を下回ることが多いが、降雪量は道央の日本海側より少なく、雪質は軽い。

町内の気象庁アメダス観測地点は遠軽(東町、1977年10月24日観測開始)、白滝(白滝北支湧別、1993年1月27日観測開始[8])、生田原(生田原、1977年10月25日観測開始)、丸瀬布(丸瀬布武利、1984年10月5日観測開始)の4か所。いずれも有線ロボット気象計による観測で、遠軽、白滝、生田原は4種目(遠軽、白滝は積雪の深さも観測)、丸瀬布は降水量のみ観測している。以下は1981年から2010年までの30年間の観測データに基づく遠軽の気候表である。

遠軽 (1981年 - 2010年平均)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 9.2
(48.6)
12.0
(53.6)
17.1
(62.8)
30.9
(87.6)
32.7
(90.9)
35.3
(95.5)
36.4
(97.5)
36.6
(97.9)
33.3
(91.9)
27.8
(82)
22.8
(73)
16.6
(61.9)
36.6
(97.9)
平均最高気温 °C°F −2.7
(27.1)
−2.1
(28.2)
2.4
(36.3)
10.6
(51.1)
17.0
(62.6)
20.3
(68.5)
23.7
(74.7)
25.5
(77.9)
21.3
(70.3)
15.3
(59.5)
7.3
(45.1)
0.3
(32.5)
11.6
(52.8)
日平均気温 °C°F −8.3
(17.1)
−8.1
(17.4)
−2.9
(26.8)
4.6
(40.3)
10.4
(50.7)
14.3
(57.7)
18.2
(64.8)
19.9
(67.8)
15.3
(59.5)
8.9
(48)
2.1
(35.8)
−4.7
(23.5)
5.81
(42.45)
平均最低気温 °C°F −15.1
(4.8)
−15.4
(4.3)
−9.1
(15.6)
−1.4
(29.5)
4.0
(39.2)
9.0
(48.2)
13.6
(56.5)
15.3
(59.5)
9.9
(49.8)
3.0
(37.4)
−3
(27)
−10.5
(13.1)
0
(32.0)
最低気温記録 °C°F −29.2
(−20.6)
−29.5
(−21.1)
−26.2
(−15.2)
−18.1
(−0.6)
−5
(23)
−0.6
(30.9)
3.7
(38.7)
5.6
(42.1)
0.7
(33.3)
−5.2
(22.6)
−16.6
(2.1)
−23.9
(−11)
−29.5
(−21.1)
降水量 mm (inch) 49.5
(1.949)
32.1
(1.264)
34.4
(1.354)
40.9
(1.61)
54.8
(2.157)
58.2
(2.291)
97.7
(3.846)
114.5
(4.508)
113.7
(4.476)
80.5
(3.169)
51.1
(2.012)
52.9
(2.083)
794.5
(31.28)
降雪量 cm (inch) 162
(63.8)
135
(53.1)
120
(47.2)
30
(11.8)
2
(0.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
24
(9.4)
117
(46.1)
596
(234.6)
平均月間日照時間 92.4 110.2 155.2 166.2 182.9 167.0 144.9 151.1 152.2 143.6 109.8 91.2 1,671
出典1:気象庁[9]
出典2:気象庁[10]

観測史上1位

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歴史

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日本キリスト教会遠軽教会会堂。札幌北一条教会旧会堂の意匠を採って建設された[11]1931年建設、大通南二丁目)
救世軍遠軽小隊が1915年に初代の橋を架橋した救世橋(道道社名淵瀬戸瀬停車場線

遠軽町は1896年明治29年)、プロテスタント日本基督教会(現・日本キリスト教会)が、札幌で活動していた宣教師の信太壽之ら東北学院仙台市)の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会キリスト教徒によって開拓が始まった道内でも珍しい歴史を持つ[12]

当地にキリスト教主義の私立大学を設立することをめざして1897年学田地と名付けた湧別村湧別原野第四小作地(のちの遠軽市街地周辺)に最初の集団入植を行い、現在の岩見通南二丁目1番地付近に「学田農場事務所」を設置したが、翌年にかけて冷害や大水害に見舞われ、最終目的の大学建学は果たせなかった。

しかし学田農場事務主任でのち遠軽郵便局初代局長を務めた野口芳太郎と入植者らが築いた基盤を元に1902年日本基督教会遠軽教会が創設された。遠軽教会は1922年には国内純農村の教会としては初の独立自給教会となった。現在も日本キリスト教会遠軽教会として伝道活動を行っている[13]

また学田の入植者らが基礎を築き、1913年に設立された救世軍北海道連隊遠軽小隊は国内最北の小隊である。学田の名は今も地名(遠軽町学田)として残っている。

  • 縄文時代(約3万年前)は世界最大級の黒曜石産地であったとされる。
  • 1869年 - 北見国紋別郡と命名され、和歌山藩の支配地となる。
  • 1875年明治8年) - 紋別郡湧別村の一部となる。
  • 1893年(明治26年) - 湧別原野植民地解放。
  • 1896年(明治29年) - 北海道同志教育会が結成され、湧別原野第四小作地を学田農場予定地として認可を受ける。
  • 1897年(明治30年) 5月7日、北海道同志教育会の入植団30世帯(新潟県山形県出身)が湧別海岸に到着。学田農場に最初の入植。
  • 1901年(明治34年)2月1日 - 遠軽郵便局開設(遠軽の地名の起こり)。
  • 1910年(明治43年) - 紋別郡湧別村から紋別郡上湧別村(後に上湧別町、現湧別町)が分村。現町域の全域が上湧別村の一部となる。
  • 1919年大正8年) - 紋別郡上湧別村から紋別郡遠軽村として分村、二級町村制施行。
  • 1925年(大正14年) - 遠軽村から生田原村が分村。
  • 1934年昭和9年) - 遠軽村が町制施行、一級町村制施行し遠軽町となる。
  • 1946年(昭和21年) - 遠軽町から丸瀬布村、白滝村が分村。
  • 1953年(昭和28年) - 丸瀬布村が町制施行、丸瀬布町となる。
  • 1954年(昭和29年) - 生田原村が町制施行、生田原町となる。
  • 2005年平成17年)10月1日 - 遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の3町1村が対等合併。(新)遠軽町となる。

経済

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主な産業は商業と農業、林業、木材加工業である。開拓期に学田農場入植者の手で始められたハッカ栽培が戦後にかけて盛んだったほか、1935年には農林省北見種馬所(のち遠軽種畜牧場)が設置された。1950年に設置された北海道農業試験場遠軽試験地(遠軽町福路、1997年廃止)では寒地向けニホンハッカ8品種が開発され、寒冷地のハッカ産業に貢献した。

遠軽駅はかつて、旧名寄本線石北本線の接続駅として栄え、国鉄遠軽機関区などの現業機関が多く設置されていた。1951年には町が旧農林省遠軽種畜牧場跡に警察予備隊駐屯地を誘致し、陸上自衛隊遠軽駐屯地が置かれている。

産業分類別就業者数

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2010年国勢調査における産業分類別就業者数の上位区分(500人以上)は次の通りである。

区分 人数
医療・福祉 1,497人
卸売業・小売業 1,344人
公務 1,234人
建設業 1,008人
製造業 858人
農業・林業 844人
サービス業 548人
教育・学習支援業 506人

立地企業

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  • ヤマハミュージッククラフト北海道(旧・北見木材) - ヤマハが製造するグランドピアノ用木製部材の生産・供給を行う。
  • 王子木材緑化北海道支店遠軽営業所
  • ベル食品遠軽工場 - 旧・エヌケイフーズ。レトルト食品製造。レトルトスープカレー商品を初めて開発した。2007年、主要取引先だった加ト吉香川県観音寺市)が循環取引発覚に伴う手形不渡りを起こしたあおりを受けて倒産。ベル食品が買収して子会社化し、2014年に遠軽工場として統合。
  • ノルディックファーム
  • イト電商事 - 家電・電材・建材販社。家電を取り扱っている岩見通南2丁目の本社所在地は遠軽の開基となった北海道同志教育会学田農場の事務所跡地で、敷地内に記念碑が建つ。

農協・共済組合

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金融機関

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商業

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ショッピングセンター
商業施設

電力

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  • 北海道電力
    • 遠軽ネットワークセンター
    • 湧別川水力発電所 - 出力690kW(湧別川ダム、1924年運転開始)
    • 瀬戸瀬水力発電所 - 出力25,000kW(武利ダム、1980年運転開始)
  • 工営エナジー
    • 白滝発電所 - 出力270kW。村内電化促進のため白滝村と白滝村農業協同組合が湧別川に1952年設置。白滝・旧白滝地籍境界付近の湧別川右岸に、数百メートル上流の取水堰と導水管で結ばれた発電機を設けている。白滝村営(白滝村電気事業委員会)、のち遠軽町営の遠軽町白滝発電所(出力220kW)として運転し、後年は北海道電力に売電していたが、2011年の台風被害で運転を停止。2014年日本工営関連会社の工営エナジー子会社・NK北海道水力発電が無償譲受し、設備の更新工事を行ったのち、工営エナジーがNK北海道水力発電を吸収合併して直営化し[14]2016年7月2日に運転を再開した。固定価格買い取り制度を利用して発電全量を売電している[15]

メディア

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  • 新聞社
    • 北海道新聞社遠軽支局
    • 山脈(やまなみ)文化協会 - 遠軽町内唯一の地域新聞『山脈』(月3回刊)を丸瀬布地域で発行する地元住民有志の任意団体。1948年、丸瀬布村の地域紙として、のちに松浦武四郎研究の第一人者として知られた秋葉實1926年 - 2015年)ら丸瀬布連合青年団の団員が中心となり、連合青年団機関紙の形で創刊。
      • 遠軽新聞 - 前身は遠軽町議会副議長や遠軽商工会議所副会頭を歴任した寺戸軍一(1905年 - 1997年)が1946年に創刊した『北東民報』で、創刊年不詳の個人紙を合併して1976年創刊。のち個人紙一家が経営権を掌握するも経営難に陥り2015年廃刊。

商工団体・観光協会

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  • 遠軽商工会議所(岩見通南二丁目)
  • えんがる商工会(丸瀬布中町) - 生田原支所・白滝支所
  • えんがる町観光協会(南町三丁目) - 丸瀬布地域委員会・白滝地域委員会・生田原地域委員会

郵便

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郵便局
  • 丸瀬布郵便局(集配局)
  • 白滝郵便局(集配局)
  • 生田原郵便局
  • 遠軽大通郵便局
  • 遠軽南町郵便局
  • 瀬戸瀬郵便局
  • 安国郵便局
簡易郵便局
  • 遠軽社名渕簡易郵便局
  • 遠軽豊里簡易郵便局
  • 遠軽西町簡易郵便局
  • 神居滝簡易郵便局

宅配便

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遠軽北センター・遠軽南センター

官公庁

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遠軽町役場

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  • 本所(1条通北3丁目1-1)
  • 生田原総合支所(旧生田原町役場・生田原339-1)
    • 生田原総合支所安国出張所(旧生田原町役場安国出張所・生田原安国32番地)
  • 丸瀬布総合支所(旧丸瀬布町役場・丸瀬布中町115-2)
  • 白滝総合支所(旧白滝村役場・白滝138-1)- 遠軽町埋蔵文化財センター・遠軽町白滝ジオパーク交流センターを併設

国の機関

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道の機関

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  • 保健福祉部
    • 北海道立白滝診療所
  • オホーツク総合振興局
    • 遠軽合同庁舎
      • 保健環境部紋別地域保健室遠軽地域保健支所
      • 保健環境部社会福祉課遠軽社会福祉事務出張所
      • 産業振興部網走農業改良普及センター遠軽支所
      • 西部森林室遠軽事務所
    • 網走建設管理部遠軽出張所

警察

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  • 遠軽警察署 - 駅前交番、生田原警察官駐在所、安国警察官駐在所、丸瀬布警察官駐在所、白滝警察官駐在所

消防

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地域

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人口

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遠軽町と全国の年齢別人口分布(2005年) 遠軽町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 遠軽町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
遠軽町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 33,330人
1975年(昭和50年) 30,785人
1980年(昭和55年) 30,428人
1985年(昭和60年) 29,444人
1990年(平成2年) 26,735人
1995年(平成7年) 25,769人
2000年(平成12年) 24,844人
2005年(平成17年) 23,648人
2010年(平成22年) 22,258人
2015年(平成27年) 20,873人
2020年(令和2年) 19,241人
総務省統計局 国勢調査より


消滅集落

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2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[16]

  • 遠軽町 - 奥白滝,白滝天狗平,柏,白竜,弥生

医療

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教育

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  • 中学校
    • 遠軽町立遠軽中学校
    • 遠軽町立南中学校
    • 遠軽町立生田原中学校
    • 遠軽町立安国中学校
    • 遠軽町立丸瀬布中学校
    • 遠軽町立白滝中学校
  • 小学校 - 社名渕小学校は2006年閉校し東小学区に、支湧別小学校は2011年閉校し白滝小学区に、瀬戸瀬小学校は2021年閉校し南小学区に編入。
    • 遠軽町立遠軽小学校
    • 遠軽町立南小学校
    • 遠軽町立東小学校
    • 遠軽町立生田原小学校
    • 遠軽町立安国小学校
    • 遠軽町立丸瀬布小学校
    • 遠軽町立白滝小学校
  • 養護学校
    • 北海道紋別養護学校ひまわり学園

学校教育以外の施設

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公営住宅

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道営団地

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  • 中央団地

町営団地

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  • 遠軽地域 - 山の手、豊里、末広、川岸、学田、北2丁目、向遠軽、寡婦住宅、瀬戸瀬、ふくろ
  • 生田原地域 - 学校通、大和、北区、コーポ白樺、栄行、共進、生野、伊吹高原定住、林友定住、安国中央定住、日進
  • 丸瀬布地域 - 新町第1号、新町第2号、新町第3号、新町、新町緑ヶ丘、若葉、若葉第2号、水谷、天神、天神第2号、元町、新町定住1号、新町定住2号、新町定住4号、新町定住5号、新町定住6号、西町定住、天神定住、天神定住2号、上武利定住2号、フレッシュ若葉、やまなみ
  • 白滝地域 - あけぼの、中央、東区、南区、西区、西区第2、上白滝、上支湧別、アゼリアハイツ、しらかば、南区定住

交通

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空港

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鉄道

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「白滝発祥の地」付近を走行するキハ40

かつて存在した駅は次の通り(路線の表記がないものは石北本線)

バス

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遠軽町営バス

詳細は各記事を参照。

道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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北海道指定有形文化財の北海道家庭学校礼拝堂
太陽の丘えんがる公園のコスモス園
ロックバレースキー場(旧ロッジ、遠軽インターチェンジ整備工事に伴う新施設建設のため2018年解体)
ちゃちゃワールド
ホテルノースキング
丸瀬布森林公園いこいの森の「雨宮21号」と井笠鉄道岡山県)客車

文化財

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国の史跡

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国宝

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  • 北海道白滝遺跡群出土品 - 石器、接合資料含む1965点(遠軽町埋蔵文化財センター収蔵)

国の名勝

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  • 瞰望岩(インカルシ)(名勝「ピㇼカノカ」のうち)

北海道指定有形文化財

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  • 幌加川遺跡出土の石器群
  • 北海道家庭学校礼拝堂 - 北海道家庭学校開校5周年の1919年に完成した木造の教会建築

観光

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遠軽地域

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生田原地域

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  • ちゃちゃワールド - 木製のおもちゃをテーマとする観光施設[17]。1998年(平成10年)4月28日に開館[17]
  • 生田原温泉「ホテルノースキング」 - 名称は戦前生田原市街地に隣接して操業した「帝国産金北の王鉱山」にちなむ。
  • ノルディックファーム
  • オホーツク文学館 - JR北海道生田原駅駅舎を兼ねて1993年開館。オホーツクを舞台とした文学作品や作者自筆の原稿などの資料約500点を展示。
  • オホーツク文学碑公園

丸瀬布地域

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  • 森林公園いこいの森 - 北海道遺産指定の武利意森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」を動態保存
  • 丸瀬布温泉
  • 丸瀬布昆虫生態館 - 丸瀬布温泉の廃熱を利用した昆虫館
  • 平和山公園 - 丸瀬布水谷町。ふもとの弘政寺住職が1945年に譲り受けたフジの木をきっかけに戦後増やし続けた延長約1kmのフジ棚で知られ、1973年から毎年6月に「藤まつり」が開かれている。
  • 山彦の滝 - 武利川上流にある高さ28mの滝で、1897年2月に上武利地区在住のアイヌ人青年、村山カムイカウックが発見した。滝の裏側に回り込むことができる道内では数少ない「裏見の滝」。冬季は道路が閉鎖されるが、滝が完全に結氷して巨大な氷柱が現れることから、町教委や町観光協会による観察会やナイトツアーが開かれる。
  • 鹿鳴の滝
  • 十三の滝
  • 道の駅まるせっぷ

白滝地域

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祭事など

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  • コスモスフェスタ(9月 - 10月)
  • コスモス開花宣言花火大会(8月下旬)
  • 湧別原野100kmクロスカントリースキー大会(2月下旬)
  • 遠軽がんぼう夏祭り(7月) - かつては桜祭り、冬祭りも行われていたが遠軽市街地の商業衰退で消滅
  • ヤマベまつり(7月中旬) - ダムがなくヤマベ(ヤマメ)釣りの名所として知られる湧別川支流生田原川の釣り解禁に合わせて開催

姉妹都市・提携都市

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海外

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  • ブラジルの旗 バストス市ブラジルサンパウロ州) - 1972年、旧遠軽町。遠軽出身の移民の子孫でバストス市副市長の信太茂が1971年、遠軽町を訪問したことが契機となり、翌年、遠軽町長の信太隆治との間で姉妹都市提携を締結した。遠軽村出身の技師など多数の湧別川流域出身者を含む日本人開拓団が1928年に入植したブラジル養鶏産業の一大拠点で、市街地には「遠軽町通り」(Rua Cidade de Engaru)や「北海道通り」(Rua Hokkaido)がある。入植90周年の2018年には、遠軽町長の佐々木修一ら遠軽町の訪問団が新町発足後初めて公式訪問した。
  • フランスの旗 モアラン・アン・モンターニュ町フランスジュラ県) - 1998年、旧生田原町。

日本国内

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出身者

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その他の著名人

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「合気道ゆかりの地」碑
  • 水谷政次郎(1877年 - 1950年) - 戦前の日本における製パン最大手「マルキ号製パン」(本店:大阪市西区)の創業者。香川県高松市出身。イースト菌を使用した機械による製パンを日本に初めて導入し広く普及させた製パン工業化の祖で、「東洋のパン王」と呼ばれた。製パンに適した北海道産小麦の大規模生産に取り組み、1922年に遠軽村丸瀬布(当時)の岩井農場を買収して機械化された小麦農場を開設。原料輸送ルートとなる石北本線の敷設陳情活動(カボチャ陳情団)を支援した。功績をたたえ丸瀬布市街地に「水谷町(現・丸瀬布水谷町)」として地名に残る。
  • 植芝盛平1883年 - 1969年) - 合気道の創始者。和歌山県田辺市出身。1912年(大正元年)に紀州団体54戸の団体長として紋別郡上湧別村白滝原野基線235番地(現・遠軽町上白滝23番地)に入植。7年間にわたり白滝地域の開拓・発展に尽力し上湧別村会議員も務めるかたわら、この地で武術の道に入った。入植地跡には旧白滝村が1983年に建立した「合気道ゆかりの地」の記念碑がある。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 統計オホーツク圏 住民基本台帳|オホーツク総合振興局地域創生部地域政策課 - 2017年12月6日閲覧
  2. ^ 市町村に関するデータ集|総合政策部地域主権・行政局市町村課 - 2017年12月6日閲覧
  3. ^ "瞰望岩(がんぼういわ)" 遠軽町
  4. ^ a b アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  5. ^ 「地名の起源」『遠軽町百年史』 遠軽町、1998年8月
  6. ^ 遠軽、瞰望岩 「北海道地質百選」、北海道地質百選検討グループ
  7. ^ 瞰望岩(がんぼういわ) 遠軽町役場
  8. ^ 降水量のみ1975年9月25日観測開始
  9. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2013年8月11日閲覧。
  10. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2013年8月11日閲覧。
  11. ^ 日本キリスト教会遠軽教会 北海道文化資源データベース、北海道2006年
  12. ^ 道内市町村のうちキリスト教の開拓団体入植が開基となっているのは浦河町(赤心社)、今金町(インマヌエル団体)、北見市(北光社)と遠軽町の4市町である
  13. ^ 日本キリスト教会北海道中会遠軽教会 日本キリスト教会
  14. ^ 新曽木水力発電株式会社、及びNK北海道水力発電株式会社の吸収合併について”. 株式会社工営エナジー (2016年6月1日). 2016年10月22日閲覧。
  15. ^ 白滝発電所 - 株式会社工営エナジー”. 株式会社工営エナジー. 2016年10月22日閲覧。
  16. ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級),男女別人口,総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》』(CSV)(レポート)総務省、2017年1月27日https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files/data?fileid=000007841019&rcount=12017年5月20日閲覧 ※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。
  17. ^ a b “「ちゃちゃワールド」28日開館 木製がん具1万点 生田原に まるで世界旅行”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年4月3日)

外部リンク

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公式