コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

救世軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
救世軍
救世軍日本本営
救世軍日本本営
創立者 ウィリアム・ブース
団体種類 包括宗教法人[1]
設立 1865年
所在地 イギリスの旗 イギリスロンドンセントラル地区(本部)
東京都千代田区神田神保町2-17(日本本営)[1]
法人番号 2010005000538
主要人物 スティーブン・モーリス(日本司令官)[2]
活動地域 全世界
従業員数 約1,650,000人
ウェブサイト http://www.salvationarmy.org/
テンプレートを表示

救世軍(きゅうせいぐん、: The Salvation Army)は、キリスト教プロテスタントの一派、および慈善団体。

世界133の国と地域[3]伝道事業(宗教活動)、社会福祉事業、教育事業、医療事業を推進する。軍隊を模した組織が特徴で、クリスマスを中心とした年末に行われる募金活動「社会鍋」で有名。日本では1895年(明治28年)に伝来し、日本福音同盟に加盟している。

英語の「The Salvation Army」を「救世軍」と日本語に翻訳したのは尾崎行雄である[4]

プロテスタント諸派の一つでありながら、「小隊」と称する分教会を各地に持つ。

概要

[編集]
創立者ウィリアム・ブース

救世軍は、1865年イギリスメソジスト教会の牧師ウィリアム・ブースと妻キャサリンによって、ロンドン東部の貧しい労働者階級に伝道するために設立された。

設立当初は「キリスト教伝道会」(東ロンドン伝道会)と称する超教派の伝道団体だったが、当時は教会が上流・中産階級のサロン的な場所となっており、庶民を教会に導いても伝道者や会員が受け入れに熱心ではなかった。そこで、「身分階級によらず、実績のみで評価される組織」として軍隊式の組織編制、メンバーの制服制帽階級章類の着用、軍隊用語の使用などを採用し、1878年に「救世軍」と改称した。改称に当たってウィリアムは「義勇軍に非ず、救いの軍なり(Not volunteer army, but Salvation army.)」という天啓を受けたという[5]。1880年代に爆発的に教勢が伸張し、ブリテン諸島から海外に拡大した。改称に伴い、教理もメソジスト・ホーリネス色が濃いものとなっていく。

現在、救世軍は国際連合経済社会理事会 (ECOSOC) において1947年以降、特別協議資格を持つ国連NGOである。米国経済専門誌『フォーブス』の1997年8月11日号ではピーター・ドラッカーから「全米で最も効率の高い組織」として評価され、1991年と2004年にはノーベル平和賞候補に挙げられた。世界福音同盟の加盟団体でもあり、世界メソジスト会議英語版および世界教会協議会とも非加盟の提携関係にある。

全世界で1万2千ヵ所近くの社会福祉施設、教育機関、医療施設を運営している。

救世軍の軍旗「血と火」は「救いと聖潔(きよめ)」を意味し、救世軍のモットーでもある。

日本

[編集]
救世軍
The Salvation Army
種類 宗教法人社会福祉法人
本社所在地 101-0051
東京都千代田区神田神保町二丁目17番地
神田神保町ビル(日本本営)
設立 1912年(明治45年)1月19日(財団法人)
1895年(明治28年)9月22日(任意団体)
業種 宗教社会福祉教育医療
法人番号 2010005000538 ウィキデータを編集
事業内容 宗教活動、社会福祉事業、教育事業、医療事業
代表者 大佐 スティーブン・モーリス(日本軍国司令官)
大将 ブライアン・ペドル(万国総督)
従業員数 654名<https://www.salvationarmy.or.jp/about-org>
関係する人物 山室軍平(日本人初の士官、日本軍国司令官)
ウィリアム・ブース(創立者)
外部リンク http://www.salvationarmy.or.jp/
特記事項:軍隊を模した組織で活動を行っている
テンプレートを表示
日本人初の日本軍国司令官となった山室軍平

ウィリアム・ブースが1890年に著した『最暗黒の英国とその出路(In Darkest England and the Way Out)』は日本でも早くから知られ、片山潜安部磯雄がこの書を手引きとして救世軍事業を視察したほか[6]1891年には植村正久がロンドンの救世軍本営を訪れてブースと面会した[7]。また、慈善事業家の石井十次濃尾地震に際して「東洋救世軍」なる団体を組織して救護活動を行っている[8]

救世軍の側でも1890年ごろから日本伝道を検討し、資金面・人材面での見通しが立った1895年7月にエドワード・ライト大佐以下14名を日本に派遣した。彼らは9月4日に和服姿で横浜港に上陸し、同月22日に東京神田基督教青年会館で宣戦式を行った[9]。その直後に入隊した山室軍平らにより大規模な伝道活動が行われ、廃娼運動を皮切りに、現在では医療施設や社会福祉施設の運営、他国の救世軍と連携しての内外の災害発生時の支援活動なども行っている。

他に著名な信徒・元信徒としては、自由民権運動家の村松愛蔵落合寅市ルーテル教会牧師川瀬徳太郎(妻は板垣退助の孫[10])、元組合派牧師金森通倫(政治家の石破茂の曽祖父)、婦人民主クラブ呼びかけ人山室民子(軍平の長女)、聖書神学渡辺善太ヤマト運輸元社長小倉昌男日本聖書協会副理事長朝野洋(救世軍中将、元日本軍国司令官)、伊藤富士雄(廃娼運動活動家・伊藤文學の祖父[11][12][13][14])、軍平の長男山室武甫およびその妻で作家の阿部光子学校法人桜美林学園初代学園長清水郁子[注釈 1]らがいる。

1896年6月、明治三陸地震の被災地支援のために義捐金募集を行い、同年9月、免囚保護所を開設して出獄者の更生保護事業に着手した[15]

1906年、救世軍は東京ので貧者救済の観点から無料の職業紹介所を開いた。このことがきっかけで無料の公設職業紹介所が設置されるなど、第二次世界大戦以前の日本の労働行政に大きな影響を与えた[16]

1914年9月2日、廃娼運動(自由廃業の擁護)に関わっていた救世軍メンバーが、深川の遊郭暴力団と衝突。メンバー1人が重傷、娼妓2人が負傷[17]1916年11月23日中野結核療養所を開院[18]

当時日本の勢力下にあった朝鮮半島では1908年に活動が始まり[19]1928年ごろに京城府明治町(現在のソウル特別市明洞)で、社会鍋による募金活動が始まった[20]

1940年(昭和15年)に山室軍平中将が死去すると、憲兵隊により救世軍幹部らが取調べを受け(救世軍スパイ事件)[21]、救世軍解散を迫られた[22]。そこで、日本救世団と組織変更して万国本営から離脱することになった。団長に救世軍士官学校校長だった渡辺林太郎が選出され[23]、1940年9月23日に結団式が挙行された。

1941年6月に日本基督教団が設立されると、第11部として加入した[24]。また、救世軍士官学校は救世学院、東光学院への改称を経て1943年(昭和18年)に日本東部神学校に統合された[25]

1946年9月に日本基督教団を離脱して、救世軍が再建される。ロンドン万国本営との関係を回復する。1947年2月渡辺団長が死去するが、植村益蔵少将が日本救世軍司令官に就任して再建活動を展開する。士官学校の再開、『ときのこえ』の復刊、社会鍋、連隊制度などを復活させ今日に至る。

現在の救世軍の日本での活動は、東京都千代田区神田神保町二丁目に法人本部である「日本本営」を置いている。

歴史

[編集]

1891年にウィリアム・ブースは著書『最暗黒の英国とその出路』を出版し、都市植民・農業植民・海外植民の三段階からなる社会改良計画を発表。10万ポンドの事業資金を公募し、大規模な社会福祉事業に着手した。

組織

[編集]

国際組織として

[編集]
救世軍万国本営(ロンドン)
ウィリアム・ブース記念士官学校英語版

救世軍は、世界本部である「万国本営」をイギリスロンドンに置き、最高会議において士官の中から選出される単独の最高指導者「大将」によって統率される。大将の任期は原則5年(70歳定年)で、2022年現在の大将は21代目のブライアン・ペドル。なお、創設当初から男女同権の思想が強く、女性の士官も多い。過去にも女性の大将が3名選出されている。

救世軍の法的根拠は、イギリス議会の個別法(Private Act of Parliament)である「規約証書」 「増補規約証書」 「1980年救世軍法」に規定され、その変更にはイギリス議会の承認を必要とする。

救世軍の組織統治は、信仰面においては、十一か条の「救世軍教理」とその公式解説書である「教理便覧」に示される基準に拠り、実行面においては、「軍令および軍律」とそれらを補足する「覚書」に示される基準に拠り、監督政治を通じて行われる。信仰上および実行上の逸脱に対しては、「兵籍調査会」・「士官審査会議」・「調査委員会」が行う審査に基づいて、公務禁止・停職・除名等の規律が執行される。

「教理便覧」と各種「軍令及び軍律」は、大将の権威によって発行され、随時改定される。

日本における救世軍組織

[編集]
救世軍日本本営

現在の日本の救世軍は、法的には以下の2つ(かつては3つ)の法人格で活動している。

(以上の住所は東京都千代田区神田神保町2丁目17番地)
  • 財団法人としての「在日本救世軍財団」は政府の公益法人制度改革を受けて2013年3月に解散し、その財産は宗教法人救世軍と社会福祉法人救世軍社会事業団に移行した。
(住所は東京都千代田区神田神保町2丁目17番地1号)

2012年現在の代表者は日本軍国司令官・スティーブン・モーリス大佐(在任:2021年4月1日〜)[2]。 書記長官(軍国司令官補佐役)は西村保大佐補(在任:2019年5月1日〜)[26]

日本では概ね5年に1回のペースで全国大会が開かれており(2005年、2010年など、年の末尾に0と5の付く年。但し2015年は開催されず、2016年に開催された)、組織に関する議論や決定が行われるほか、万国本営より大将や参謀総長らが呼ばれ、大規模な伝道集会が開かれている。伝道集会の説教者には軍外の人も呼ばれており、過去には村岡花子ミッション・バラバメンバーらが説教をしている。

メンバーの階級

[編集]
救世軍士官の制服(ジョルジュ・フランドル、1942年)
現在の救世軍の制服・制帽(第18代大将ショー・クリフトン)
準兵士(道友者)
  • キリストを救い主として認め、救世軍への入隊希望を表明し認められた人。他教団における洗礼準備者。入隊式までの間はキリスト教や聖書、教会、救世軍などについて詳しく学び、入隊に備える。
兵士
下士官
士官候補生
  • から召命を受け、生涯を奉仕に捧げる士官となるために士官学校(神学校)に在学中の神学生
  • 制服は兵士と同じ物だが、肩章に赤い線が入る(線1本が1年生、線2本が2年生)。
  • 士官学校は2年制であり、卒業時に士官に任官される。入校資格は原則として高校卒業以上で所属小隊士官または所属教会牧師の推薦を受けた18歳から48歳までの兵士・下士官またはクリスチャン(入校時に救世軍に入隊し、士官として奉仕する意思があれば、入校前の所属教会が救世軍でなくてもよい)。 
士官
  • 神から召命を受け、生涯を奉仕に捧げるために士官学校で専門的な教育訓練を受けた伝道者。他教団の牧師に相当。制服の襟章は赤地に「S」、肩章は赤地で階級により入るマークが異なる[31][32][33]
  • 士官の階級は、士官学校[34]入校が認められた者の入校前の呼称は準候補生、士官学校入校時および在学期間中は士官候補生で、卒業すると中尉となる(中尉の階級は2001年に一旦廃止されたが、2008年に復活した[35]。現行の制度では士官学校卒業時に中尉に任官され、奉仕年数第5年目に大尉に昇任する。なお少尉の階級は過去には存在したが、現在は廃止されている[36][37])。
  • その後奉仕年数により、任官後15年で少佐・大佐補・大佐中将と昇任していく(准将少将の階級は無い)。戦前の階級に「校」があった。校は尉官と佐官の中間で連隊長の主な階級が中校だった。(なお、台湾救世軍中国語版では今も「校」が使われており、小隊指揮官の多くの階級は少校である。)現在、ほとんどの士官は少佐の階級を退役まで保持する。これは2001年の軍律の改訂により、大佐補以上の階級の士官は軍国司令官・書記長官などの一部の役職に限定されたためである[38](現在の日本軍国の書記長官の階級は大佐補であり、書記長官以外の本営の役員や士官学校校長、連隊長などの階級はほとんどが少佐かそれ以下である[注釈 7][39])。
  • 過去には存在したが、現在の救世軍士官の階級には中佐が無く、代わりに一般的な軍隊の士官には存在しない階級の「大佐補」が存在する。これは旧救世軍中佐の原語である「Brigadier」が「中佐」と訳されていたが、その「Brigadier」の階級が廃止されて「Lieutenant Colonel」の階級が新たに制定されたため、「Brigadier」と「Lieutenant Colonel」を区別するために作られた新語である。
  • かつて「中尉」と訳されていた「Lieutenant」は、現在の日本の救世軍においては准尉制度の導入に伴う中尉の階級の廃止とその後の復活という紆余曲折を経て、Lieutenantを准尉中尉に訳し分けながら併用されている。
  • 世界代表で「万国総督」とも呼ばれる現役の大将は1名のみ。
  • 万国総督の補佐役で大将に次ぐ役職として、中将が務める参謀総長が設けられている。
  • 参謀総長の下には地区別・担当任務別に複数の、やはり中将が務める「万国書記官」が設けられている。
  • 他教団の管区に相当する「軍国」の代表者は軍国司令官である。また、軍国の本部は「本営」と呼ばれる。
  • 各軍国司令官の補佐役としては書記長官という役職が設けられている。
    • 本人の意思もしくはなんらかの事情により士官にはならない(または「なれない」、例えば年齢制限により士官学校への入学資格を失った人、夫婦での士官学校入校ができなかった人、特定政党に所属している人など)が、下士官として一定期間(最低3年間、最高9年間)フルタイムで奉仕する人は准尉(旧制度の「特務大尉」 (Auxiliary Captain) および「特務曹長」 (envoy) にほぼ相当)に任官される[38]。准尉は下士官だが、有給の専従職員である。
  • 特殊な例としては士官学校入校の年齢制限を超えた人で特別に訓練を受けた野戦任官士官である「特務大尉」という階級も存在したが、准尉制度の実施に伴い、「特務大尉」および「特務曹長」の階級は順次的に廃止されることとなった[38][注釈 8]
  • 士官は65歳で定年退官となり、引退士官となる。しかし、所属の小隊で説教などの奉仕を続けることがある。
軍属
  • 士官および准尉以外の救世軍人で社会福祉部門、医療部門、教育部門、法人本部などにおいて雇用される職員(例:法人本部の事務職員や病院看護師など)。なお、救世軍以外の教団・教派に所属するクリスチャンや、クリスチャンではない者でも「法人としての救世軍の職員」には採用されるが、そのような者は「救世軍軍属」とは呼ばれない。
軍友
  • 他教団所属で、救世軍と協力関係にあるクリスチャン[注釈 9]。またはクリスチャンでなくとも救世軍に協力している者。
同友者
  • 諸事情により、軍令軍律から外れ兵士としては入隊できないが、救世軍の主義や行動に賛同して救世軍を所属教会と宣言して認められ、兵士同様に月定献金をしているクリスチャン。例えば酒造・酒販業や、居酒屋スナックバーなど酒の提供を主とする飲食業煙草製造・販売業の人など。同友者は「救世軍の一員」の中に含まれる。兵士と異なり、禁酒禁煙を守らなくてもよい。
サポート会員
  • 救世軍の活動を支えるために、会員登録し定期的に献金(個人:年3000円以上、法人・団体:年10000円以上)している人。クリスチャンでなくてもなれる。
コミュニケーション・ケア・ミニストリーズ(CCM)会員
  • 救世軍の奉仕活動に参加の意思がある人で、小隊士官の推薦を受けた人。クリスチャンでなくてもなれる。2015年まではリーグ・オブ・マーシー(LOM)という名前だった。LOMは1994年に発足し、活動20周年を記念して名称変更された。
家庭団
  • 他の教会における女性部、婦人部に相当。
柏寿会
  • 60歳以上の高齢者の集まり。クリスチャンでなくても入会できる。

下士官、兵士、準兵士、同友者は無給のボランティア(下士官のうち准尉のみ有給の専従職員となる[38])。士官(士官候補生および准尉を含む)、軍属、一部の軍友が宗教法人・社会福祉法人・財団法人の専従職員となる(これもまた軍隊に倣ったもの。士官は救世軍の活動を本業とする“職業軍人”、下士官までが生業を別に持つ“志願兵”)。また、準兵士以上の救世軍人同士は戦友 (comrade) と呼び合う。

その他、まだ信仰に至っていない求道者や、他の教団に所属するクリスチャンが客員として集っている小隊もある。又、地理的な事情(例:救世軍の小隊から遠く離れた地域に仕事などの理由で在住している)等で、他のキリスト教会に集っている救世軍メンバーも存在する。

救世軍人の役職と階級の対応一覧

[編集]

出典:八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』189-191ページより

  • (役職): (階級)(階級呼称の英語表記)
    • 万国総督: 大将 (General)
    • 参謀総長: 中将 (Commissioner)
    • 万国書記官: 中将
    • 軍国司令官: 中将、大佐 (Colonel)、大佐補 (Lieutenant Colonel)
    • 書記長官: 中将、大佐、大佐補
    • 書記長官以外の軍国本営の役員、士官学校校長、連隊長等: 少佐 (Major)、大尉 (Captain)
    • 小隊長、小隊副官、小隊付士官、分隊長等: 少佐、大尉、中尉 (Lieutenant)
    • 救世軍で奉仕する他教団聖職者: 特務大尉(Auxiliary Captain)
    • フルタイムで奉仕する下士官: 准尉 (Lieutenant)、特務曹長 (envoy)
      • (三役の小隊役員、その他小隊での役職拝命者): 下士官 (Local Officer)
      • (一般信徒): 兵士 (Soldier)、同友者(Adherent)
      • (洗礼準備者): 準兵士
    • (その他関係者): 軍友、軍属など

救世軍の教理

[編集]
  • われらは、旧新約聖書が神の感動によりて与えられたること、また聖書のみが、クリスチャンの信仰及び実行に関する、神の法規たることを信ず。
  • われらは、無限に完全なる独一の神ありて、万物の創造者、保持者、また統治者にして唯これのみ、宗教的礼拝の真(しん)の対象たることを信ず。
  • われらは、神の中(なか)に、父、子、聖霊なる三つの人格ありて、本質においては、分かつべからざるもの、権能と栄光とにおいては同等たることを信ず。
  • われらは、イエス・キリストの人格の中に神性(しんせい)と人性(じんせい)とが結合していて、彼は正(まさ)しく真(しん)に神にして、また正(まさ)しく真(しん)に人たることを信ず。
  • われらは、われらの最初の父母が、罪なき者として創造されたが、彼らの不従順によりてその純潔と幸福とを失い、堕落の結果、すべての人みな罪人(つみびと)となり、全く邪悪になり、またかかる者として当然神の怒りを受くべき者なることを信ず。
  • われらは、主イエス・キリストが、その苦難と死とによりて、全世界のために償罪(しょうざい)をしたもうたゆえに、何人(なにびと[注釈 10])でも欲する者は救われ得ることを信ず。
  • われらは、神に対して悔い改めること、われらの主イエス・キリストを信ずること、また聖霊によりて新たに生まれることは、救いに必要なりと信ず。
  • われらは、われらの主イエス・キリストを信ずることにより、恩恵(めぐみ)によりて義とされること、また信ずる者はそのうちに証(あかし)を有することを信ず。
  • われらは、救いの状態の持続は、キリストに対する信仰と服従との持続によることを信ず。
  • われらは、「全く潔く」されることはすべての信者の特権にして、「霊と心と体とを全く守」られて、「われらの主イエス・キリストの来りたもうとき責むべき所なき」に至り得ることを信ず。
  • われらは、霊魂(れいこん)の不滅、身体(しんたい)の復活、世の終わりの総審判、正しき者の永遠の幸福、及び悪しき者の永遠の刑罰を信ず。

創立者の言葉

[編集]
今日そうであるように、女性が泣いている限り、わたしは戦う。
幼い子供が飢えている限り、わたしは戦う。
男たちが刑務所に出入りする限り、わたしは戦う。
酔っぱらいが残っている限り、街頭に哀れな女性がいる限り、
神の光を受けていない一人の魂でもある限り、わたしは戦う。
終わりまで戦う。

この言葉は“WWW”(While Women Weep―女性が泣いている限り)として語り継がれている[40]

事業

[編集]

伝道事業

[編集]
軍国(他教団の管区に相当)
  • 軍国本部は「本営」と呼ばれる。世界本部である「万国本営」はイギリスのロンドンにある。管区長は司令官と呼ばれる。
地区
  • 独立した軍国として活動できるほどの規模が無い地域。責任者は「地区指揮官」と呼ばれる。
連隊(他教団の教区に相当)
小隊(他教団の教会に相当)
  • 毎週日曜日に「聖別会」と呼ばれる礼拝日曜学校がある。随時聖書研究会や祈祷会、伝道集会(「救霊会」)なども行なわれる。語学など各種教室を開いている小隊もある。主任牧師は小隊長、副牧師は小隊付士官もしくは小隊副官と呼ばれる。
救世軍 麻布小隊(2017年9月23日撮影)
分隊(他教団の伝道所に相当)
  • 小隊の士官の兼任による、小規模の伝道所。定期もしくは不定期で集会が行なわれている。所長は分隊長と呼ばれる。

日本での伝道事業

[編集]

日本の連隊および、小隊の公式リストはこちらを参照[41]。かつては福島県郡山市東京都江東区静岡県静岡市葵区大阪府大阪市西成区熊本県熊本市などにも小隊があった。岡山県笠岡市広島県尾道市の小隊が合流して福山小隊になったという例もある。また、日本基督教団横田相愛教会(島根県仁多郡奥出雲町、旧救世軍横田小隊)などのように、戦後は日本基督教団に留まり救世軍に復帰(合流)しなかった教会(小隊)もある。

北海道連隊(4個小隊)
北海道札幌市中央区(連隊本部)、紋別郡遠軽町函館市釧路市(分隊)、帯広市小樽市(分隊)
関東東北連隊(9個小隊)
宮城県仙台市泉区福島県双葉郡浪江町会津若松市・、群馬県前橋市桐生市高崎市(連隊本部)、栃木県佐野市埼玉県熊谷市新潟県新潟市中央区長野県長野市(分隊)・下高井郡山ノ内町(分隊)
東京東海道連隊(17個小隊)
東京都港区大田区墨田区(連隊本部)・渋谷区千代田区(日本本営)・杉並区(士官学校、山室軍平記念救世軍資料館)・中央区台東区足立区清瀬市八王子市(分隊)、埼玉県川口市神奈川県横浜市南区横須賀市(分隊)、千葉県館山市(分隊)、山梨県甲府市(分隊)、静岡県静岡市清水区浜松市中央区愛知県名古屋市東区岐阜県岐阜市(分隊)
西日本連隊(13個小隊)
京都府京都市下京区大阪府大阪市北区(連隊本部)・大正区生野区(分隊)、兵庫県神戸市中央区岡山県岡山市北区広島県広島市南区福山市呉市香川県高松市高知県高知市福岡県福岡市中央区北九州市八幡東区大牟田市(分隊)

社会福祉事業

[編集]

日本での社会福祉事業

[編集]
児童養護施設
愛光園(呉)、豊浜学寮(呉)、希望館(大阪)、機恵子寮(東京)、世光寮(東京)
保育所
菊水上町保育園(札幌)、桑園保育所(札幌)、呉保育所(呉)、佐野保育園(佐野)
女性保護施設
婦人寮(東京)、新生寮(東京)、大阪アベノ地下街救世軍カウンセリング・ルーム(大阪、2020年3月閉館)
ホームレス宿泊施設
自助館(東京)、新光館(東京)
アルコール依存症総合専門施設(救護施設)
自省館(東京)
特別養護老人ホーム
恵泉ホーム(東京)
ケアハウス
ケアハウスいずみ、ホームヘルパーステーションいずみ(東京)
老人保健施設
ブース記念老人保健施設グレイス、在宅介護支援センター、訪問看護ステーション、訪問介護ステーション(東京)
リサイクル施設
男子社会奉仕センター、バザー場(東京)

医療事業

[編集]
救世軍ブース記念病院(東京都杉並区和田)

日本での医療事業

[編集]
救世軍清瀬病院(東京)、救世軍ブース記念病院(東京)

教育事業

[編集]
  • 救世軍士官学校(救世軍の士官を養成する神学校)

海外では大学などを運営している地域がある。イギリスには「万国士官学校」がある。

その他の事業

[編集]
  • 救世軍総合保険会社(火災保険、自動車保険、損害保険)
  • リライアンス銀行(救世軍の資金運用および一般銀行業務)
  • 救世軍住宅協会(救世軍の居住型の社会福祉施設の管理)
  • 従軍牧師イギリス軍オーストラリア軍の従軍牧師は救世軍士官が務めている場合がある)
  • 難民支援事業(戦時難民救済事業等)
  • 緊急災害支援事業(都市災害、震災、山火事、洪水、竜巻、噴火、鉄道事故、航空機事故等の被災者・被害者への救援)
  • 海外開発プログラム(発展途上国における飲料水、保健衛生、栄養指導、雇用創出、小額資金貸付制度、HIV/AIDS対策等のプログラム)
  • 救世軍出版供給部(機関紙「ときのこえ」「はあもに(女性部発行の機関誌)」などの定期刊行物、書籍、楽譜、制服、バッジ、音楽CD、ビデオ、DVD等の製作・販売・供給)

信仰と実行

[編集]

全般

[編集]
街頭での布教活動。後方にバンドが見える。(1942年、オーストラリアニューサウスウェールズ州

救世軍の教理は、穏健なウェスレー派の特色を持つ11か条の信仰告白によって規定されている。礼拝にはピアノオルガンと共に、ブラスバンドが使用される(ミュージカルガイズ&ドールズ」でも取り上げられた)[42]路傍伝道ではタンバリンが使用されることもある。「軍歌」(救世軍用語。他派での讃美歌)は独自編集の「救世軍歌集」を使用。楽曲は他の教会賛美歌と重なる(日本では中田羽後編纂・翻訳の「聖歌」と日本基督教団「讃美歌」の両賛美歌集より抜粋)が、救世軍信徒による作詞・作曲の賛美歌もある。

聖別会(礼拝)の形式は一般のキリスト教会と同じく讃美歌、祈祷、説教などにより構成。礼拝時の挨拶では右手の人差し指で天を指し「ハレルヤ!」と挨拶をするのが定番。使徒信条の代わりとして、使徒信条にホーリネス的教理を加えた救世軍教理が読まれる。必ず信徒の「証言」の時間が設けられることが特徴。洗礼聖餐式などの聖礼典は行なわない。これは救世軍が元々超教派の伝道団体で会員は原則として全員どこかの教会で既に洗礼を受けたクリスチャンであったことや、アルコールが入っているワインを使う聖餐を忌避したことに起因するが、現在は「形式主義を排するため」と説明されている。代わりに、礼拝後に愛餐会(食事会)がしばしば行われる。

洗礼は水を使わず、軍旗の下に会衆の前で信仰告白を行なう「入隊式」で代替する。入隊式を済ませた隊員(兵士)は他の教団・教会でもクリスチャンと認められ、プロテスタント教会での聖餐式も本人が希望すれば受けられる。

説教は単純であり、神学的理論よりも聖霊体験を重視する。礼拝の中心は「恵みの座」と呼ばれる木製ベンチでの祈りに置かれる。伝道方法、管理運営、財務、意志決定については、大将の権限によって発行される各種『軍令及び軍律』によって詳細に規定されている。

神学的にはメソジストホーリネス運動を土台とする穏健な福音派であり、リベラルファンダメンタリズムのちょうど中間に位置する。とはいえ特定の神学理論や聖書解釈を個々の信徒に押し付けることはなく、リベラルで社会派的傾向を支持する信徒もいれば、逐語霊感説千年王国論を支持する保守派の信徒もいる(ただし、救世軍全体の公式見解では逐語霊感説はとらず[43]、また「キリスト教以外の宗教にも敬意を持って接し、一定の知識を得るように学ぶこと」[44]とされている)。

活動には多くの軍隊用語が使われており、伝道開始を「開戦」、路傍伝道を「野戦」、夜の路傍伝道を「夜襲」、連隊が隷下各小隊の状況を調査することを「検閲」と呼ぶ。かつては月定献金を「弾薬金」と呼んでいた。

毎週日曜の聖別会以外には、日曜学校、救霊会(伝道集会)、聖書研究会、祈祷会、家庭団集会(女性向けの集会)、柏寿会集会(高齢者の集会)などが行われている。

生活

[編集]

信徒の生活規律は厳しく、特に禁酒禁煙は絶対とされている(これはアルコール依存症者の回復支援をしているためと、飲酒喫煙を近代の社会悪の象徴ととらえているためである[38][45][46])。また、ポルノ性風俗、開放的な性生活、人工妊娠中絶ギャンブル薬物ドラッグの摂取なども忌避する傾向にある[47][注釈 11]

セクシャルマイノリティ

[編集]

同性愛者などのセクシャルマイノリティーに対しても非容認的態度を示す[48][49][50][51]。このため、アメリカでは同性愛者の社会的権利を保障する地方自治体の条例への対立から、救世軍が地方自治体から受けていた社会福祉事業の委託契約を打ち切られ、これに対して万国本営も同様の条例を持つ地方自治体との委託契約には一切応じてはならないという方針をアメリカの各軍国に命じるという事例が発生している[52]

結婚

[編集]

士官は士官同士でしか結婚できない。このため既婚者が士官となるには、夫婦揃って士官学校(神学校)に入る必要がある。過去には、士官夫妻の妻には夫の階級の後に「夫人」とつけて呼ばれていた(例: 少佐の妻は「少佐夫人」)が、1996年からは階級の異なる士官が結婚した場合、本来の奉仕年限に関わらず下級者は昇進するようになった(例: 中尉と大尉が結婚した場合、夫婦両方が大尉になる)。2001年以降は、夫婦であっても階級は奉仕年限によるように制度が改訂された。例外が大将の配偶者で、中将の階級になる。

社会福祉活動

[編集]
スイス・ローザンヌ街頭での募金活動(社会鍋

社会福祉活動には極めて熱心であり、キリスト教界随一と言われる。上意下達の軍隊式組織により高い活動効率を誇る。現在は医療福祉、老人・障害者・児童福祉、ホームレス支援の炊き出しや施設運営などが中心。そのほかでは災害救援の対応も早く、阪神・淡路大震災の際は、キリスト教系団体の中では最も早くボランティアを組織し駆けつけた。新潟県中越沖地震や、東日本大震災の際にも、ボランティアが給食活動などを行っている。また、海外では医科大学や、幼稚園の運営といった教育活動も盛んに行っている。募金活動の1つで年末に行われる社会鍋は、季語になるほど有名。バザーも頻繁に行なっており、東京などでは専用の会場で常時開催されている。収益金は全て寄付に回される。かつては職業紹介や失踪者捜索など、現在は行政警察が主体となっている活動も行っていた。

政治・社会問題との関わり

[編集]

政治との関わりを嫌い、政党党員は士官学校に入れない。戦争などについては、兵士のメンタルケアカウンセリングには熱心だが、戦争そのものを止めるためには動かない。また、貧困についても救援物資の調達・配布には熱心だが、行政への働きかけなど、貧困脱出への具体的な施策は行なわない、とされる。もっとも海外においては、イギリスやカナダの本営がイラク戦争反対や、核兵器廃絶を願う信仰告白を発表するなど、若干の軌道修正が見られる。

日本では、戦前に山室軍平が宗教団体法に賛成した事や、満蒙開拓移民政策に関わっていたこと[53]太平洋戦争を「海外伝道の良い機会である」と肯定的に捉えていた事[要検証]、更には機関紙「ときのこえ」が元号表示だったり、1980年代までは皇族の誕生日のたびに、祝いの言葉を機関紙「ときのこえ」の1面に載せていたため、戦争責任を問う意見や、右翼的・保守的だという評価もある。しかし、1940年に軍平の著書『平民の福音』が発禁処分となり、イギリス人宣教師と植村益蔵ら、日本人士官がスパイ容疑で逮捕されたり[54]、「皇軍以外で『』を名乗る組織が存在することは認められない」という理由で「日本救世団」に強制改称させられ、最終的には日本基督教団に吸収され、事実上の解散状態に追い込まれたなどの経験から、実際には右翼的潮流に与することは余りない。

2008年10月2日には、国際社会正義委員会が軍内に設立され、社会問題についても積極的に取り組むことが表明された。

日本本営の所属

[編集]

日本本営は、かつてはリベラル派日本キリスト教協議会 (NCC) (世界教会協議会〈WCC〉、エキュメニカル系)に加盟していたが、「活動内容が政治的過ぎる」と脱退。しばらく日本キリスト教連合会のみに加盟していたが、万国本営の勧めで福音派の日本福音同盟JEA世界福音同盟系)に加盟。しかしアジアキリスト教協議会への加盟や「世界祈祷日」(毎年3月第1金曜日)への協力など、NCCとの連携は現在も続いている。

制服と階級章

[編集]

かつての制服は、救世軍が発足した当時のイギリス軍の軍服を模したデザインであり、詰襟だった[55]

現在は、黒に近い濃紺(地域等により白・グレー・ベージュの場合もある[28])のシングルブレスト開襟で、男性はワイシャツネクタイ着用、女性はブラウスの襟元に救世軍のマークのブローチ着用というブレザーに近いデザインのものとなっている[56](夏服として半袖または長袖のワイシャツブラウスにネクタイかブローチ着用、もしくは開襟というスタイルも存在する[57][58])。

士官は原則として、制服の常時着用義務がある。下士官・兵士については、以前は士官と同じく制服の常時着用義務があったが、現在は大会や伝道集会などを除いては「推奨」にとどめ、普段着での集会参加を容認している。

制服の肩章襟章(夏服のシャツ・ブラウスは肩章のみ)が階級章であり、士官の肩章と襟章は赤地、下士官・兵士の肩章と襟章は青地または黒地で肩章に入るマークが階級により異なる(襟章に入るマークは同じ軍国の中では全階級共通)。

なお、制帽帽章はクレスト(救世軍の紋章)を用いており、鉢巻部分には活動地域の言語で「救世軍」の文字が入っている。

救世軍人が制服を着用することは、「神の愛に生きる誓いの証し」という意味を持つ[38]。また、特に救世軍発足当初の女性の救世軍人の制服着用には、酒場などで伝道活動を行う際に、娼婦と間違われることを避けるという意味もあった[59]

制服は日本では需要の絶対数からオーダーメイドであり、一式で8万円前後だが、発祥の地であるイギリスや活動が盛んな欧米では、既製品が日本に比べて安価(日本円に換算して一式で3万円ほど)で販売されており、インターネットでの通信販売も行なわれている[60]

社会的認知

[編集]
1915年に初代の道路橋を架設した、救世軍の名が受け継がれている湧別川の「救世橋」(北海道遠軽町

軍服調の制服・制帽の着用や軍隊調の用語の使用は、外部者には一見特異に映るが、礼拝の形式・内容は一般的なメソジスト教会と同様のものである。極一部に、「カルト宗教ではないのか」という誤解もあるが、キリスト教界において異端や、カルトとして扱われることはなく、社会的にも宗教組織というよりはキリスト教系の社会福祉団体や、NGOの一種と見なされることが多く[38]、欧米では救世軍への寄付が控除対象となる国が多い。販促キャンペーンを利用して、膨大なマイレージサービスのポイントを獲得したデヴィッド・フィリップスは、期限内にプリンの包装からバーコードを剥がすため、救世軍やフードバンクにプリンを持ち込み、プリンを寄付する代わりに作業を手伝ってもらったことで、結果として815ドル分の控除を受けた。

一方で酒類や売春への態度から、アルコールや性産業には嫌悪する者もおり、イングランドでは骸骨団 (Skeleton Army) と呼ばれる団体が、街頭活動を行っている救世軍人に、妨害や暴力行為をしていた。実態は酒場や娼館の経営者に雇われたゴロツキであり、デモ隊を結成しての示威活動などで、警官との衝突も発生していた。日本でも過去には、廃娼運動を行っていた救世軍人(伊藤文學の祖父・富士雄など)が、遊廓経営者に雇われたヤクザに襲われ重傷を負うという事件が起きている[61][62][63][64]

日本最北の遠軽小隊(1913年設立)が置かれている北海道紋別郡遠軽町北海道道社名淵瀬戸瀬停車場線には、救世軍にちなんで命名された「救世橋」がある。同小隊初代小隊長の田中弥三郎大尉が1915年、私財を投じて湧別川に建設したもので、北海道が建設した現在の5代目の橋にもその名が受け継がれている[65]

芸術作品の中の救世軍

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ アメリカのサンノゼ救世軍士官学校卒業。
  2. ^ (2003年までは軍中の約束と呼ばれていた)
  3. ^ 救世軍人の制服・階級章・その他記章類の基本デザインは、万国本営が参謀総長の名のもとに発行する『参謀総長覚書』(英: Minutes of Chief of the Staff)によって定められ、また現地の実情に合わせた適合(例:地域等によっては上着とズボンまたはスカートの色が白・グレー・ベージュなど場合がある)は各国本営が司令官または書記長官の名のもとに発行する『本営覚書』(英: THQ Memorandum)によってなされる。このため、制服類の基本デザインは世界共通であるが、国や地域によって細部の差異が存在する(例えば、ドイツ語圏では襟章の文字がアルファベットの「H」、台湾香港では漢字の「救」になっているなど)
  4. ^ その他、救世軍下士官の階級呼称と役職の詳細については外部リンクの救世軍用語集を参照
  5. ^ 例:曹長CSM (Corps Sergeant Major)、書記CS (Corps Secretary)、会計CT (Corps Treasurer) など
  6. ^ 詳細は外部リンクの「救世軍オンラインストア」を参照。「曹長」「書記」「会計」「バンドマスター」などの帽章が存在している
  7. ^ 2013年1月時点での東京東海道連隊の連隊長は大佐補であり、「全員が少佐以下」ではない(『ときのこえ』2013年2月15日号より)。ただし、2013年当時の東京東海道連隊長は2016年現在は引退しており、2016年現在の東京東海道連隊長の階級は少佐である。
  8. ^ 「特務大尉」および「特務曹長」の詳細については外部リンクの救世軍用語集を参照。
  9. ^ 東京都杉並区に設置されている救世軍ブース記念病院の、現在の院長は日本基督教団所属、チャプレン日本バプテスト連盟所属であり、軍友である(救世軍人ではない)
  10. ^ 一般には「なんびと」、また刑法では「なんぴと」だが、救世軍教理のみこう読む
  11. ^ これは救世軍という組織全体での絶対的指針であり、個々の活動地域での違法・合法は問わない。

出典

[編集]
  1. ^ a b 宗教年鑑平成28年版, p. 121.
  2. ^ a b 『ときのこえ』2021年1月15日号
  3. ^ 救世軍のなりたち”. 救世軍. 2022年8月25日閲覧。
  4. ^ 「ときのこえ」第2611号(2011年11月1日)1面より
  5. ^ 救世軍とは 救世軍日本本営公式サイト
  6. ^ 『人物叢書 山室軍平』 71頁
  7. ^ 『山室軍平―無名ノ英雄、無名ノ豪傑タルヲ勉メン哉』 55-56頁
  8. ^ 『山室軍平―無名ノ英雄、無名ノ豪傑タルヲ勉メン哉』 34頁
  9. ^ 救世軍略史』 1-5頁
  10. ^ 『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月15日閲覧。
  11. ^ http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/08/post_f631.html [リンク切れ]
  12. ^ 「昭和初期救世軍廃娼運動記録」がみつかった!
  13. ^ 祖父の痛々しい写真が見つかった!
  14. ^ 東京医大発③ 半死半生の目に合わされて
  15. ^ 『救世軍略史』 6-7頁
  16. ^ 職業安定行政史 第7章総括”. 日本食業協会. 2022年6月9日閲覧。
  17. ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、396頁。ISBN 4-309-22361-3 
  18. ^ 『明治・大正家庭史年表:1868-1925』p.414
  19. ^ https://web.archive.org/web/20130331061852/http://www.geocities.jp/captain_makoto_yamaya/yb_korea.html [リンク切れ]
  20. ^ NHK福岡 「熱烈発信!福岡NOW」
  21. ^ ただし、スパイの確証は得られなかった(『日本キリスト教歴史大事典』 373頁)。
  22. ^ 山室の主著『平民之福音』も発禁処分を受けた(沖田行司 『新編 同志社の思想家たち 上』 晃洋書房、2018年、196-197頁)。
  23. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年、1546頁
  24. ^ 中村敏著『日本における福音派の歴史』いのちのことば社、138-139頁
  25. ^ 中村敏 『日本プロテスタント神学校史』 いのちのことば社、2013年、162-163頁
  26. ^ 『ときのこえ』2019年5月15日号
  27. ^ 召されて兵士となる” (PDF). 救世軍万国本営 (2020年). 2023年1月14日閲覧。
  28. ^ a b http://www.salvationarmy.org/heritage.nsf/36c107e27b0ba7a98025692e0032abaa/bbe1505d7cfa0f2d80256a1b00348fd1?OpenDocument
  29. ^ http://www.sps-shop.com/
  30. ^ 『救世軍日本開戦100年記念写真集』199ページ
  31. ^ 吉田眞中将と夫人・かほる中将 救世軍日本本営公式サイト[リンク切れ]
  32. ^ 救世軍士官・山谷真少佐のブログ(自己紹介の画像が少佐の肩章)
  33. ^ リンダ・ボンド大将の中将時代のバストショット
  34. ^ 救世軍士官学校:教育内容や志願資格などの概説
  35. ^ 八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』189ページ
  36. ^ [1]
  37. ^ en:Officer_in_The_Salvation_Army
  38. ^ a b c d e f g 八木谷(2001年)、182-194ページ参照
  39. ^ 『キリスト教年鑑』2011年版の救世軍の項目参照
  40. ^ 「ときのこえ」2006年10月15日号より[リンク切れ]
  41. ^ 全国小隊一覧 - 救世軍 - The Salvation Army Japan
  42. ^ 参考:救世軍ジャパン・スタッフ・バンド (JSB) のウェブサイト
  43. ^ 『救世軍教理便覧』第二章第四節参照
  44. ^ 『軍令及び軍律 士官の巻』第二巻第九篇参照
  45. ^ 救世軍 - よくある質問
  46. ^ お酒を飲まないという生き方
  47. ^ 『救世軍兵士の誓約』参照。
  48. ^ 『救世軍 軍令及び軍律(兵士の巻)』70ページ
  49. ^ 『そして、神は性を創造された!』98-108ページ
  50. ^ 八木谷(2001年)、277-279ページ参照
  51. ^ キリスト教と同性愛」の項目も併せて参照のこと
  52. ^ 柏木宏「同性愛者に平等を求める条例に救世軍が公然と反旗」・解放出版社『部落解放』2002年4月号 52-55頁
  53. ^ 東京満蒙開拓団農民訓練所あった 失業者ら中国に送り出す実像の一端判明
  54. ^ http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/ootani5.htm
  55. ^ http://blogs.yahoo.co.jp/pandradra/20653973.html
  56. ^ http://photozou.jp/photo/show/424602/57597134
  57. ^ アーカイブされたコピー”. 2016年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月29日閲覧。
  58. ^ http://www.salvationarmy.org.au/supplies/product.asp?pID=907&cID=6
  59. ^ 八木谷(2001年)、260ページ参照
  60. ^ Salvation Army publishing & Supplies
  61. ^ [2]
  62. ^ [3]
  63. ^ [4]
  64. ^ [5]
  65. ^ 救世橋架橋100周年記念を祝うコンサート 救世軍 - The Salvation Army Japan

参考文献

[編集]
  • ヘンリー・ブラード 『救世軍とは何か』(救世軍日本本営、1903年)
  • 山室軍平ブース大将伝』(救世軍日本本営、1906年)
  • 山室軍平 『救世軍二十五年戦記』(救世軍本営、1920年)
  • 西川光次郎 『救世軍』(日月社、1914年)
  • 山室軍平 『救世軍略史』(救世軍出版及供給部、1926年)
  • 救世軍出版及供給部 『救世軍写真帖』(1928年)
  • 救世軍出版及供給部 『救世軍歌集』(1937年)
  • 八木谷涼子『知って役立つキリスト教大研究』182-194ページおよび257-270ページ(新潮OH!文庫、2001年、ISBN 4102901337
  • 八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』185-197ページおよび251ページ、295ページ(朝日文庫、2012年、ISBN 9784022617217
  • 「救世軍紹介パンフレット」(救世軍日本本営)
  • 『ときのこえ』各号(救世軍日本本営)
  • 『救世軍 軍令及び軍律(兵士の巻)』(救世軍出版供給部、2001年)
  • チック・ユイル『バトル・オーダーズ』(救世軍出版供給部、2002年)
  • チック・ユイル『聖徒募集中!』(救世軍出版供給部、2005年)
  • チック・ユイル『そして、神は性を創造された!』(救世軍出版供給部、2006年)
  • ジョン・ラーソン『成長する小隊』(救世軍出版供給部、2004年)
  • 『救世軍のルーツ探訪』(救世軍出版供給部、1993年)
  • 『救世軍歌集』(救世軍出版供給部、1997年)
  • 『救世軍 軍令及び軍律(下士官の巻)』(救世軍日本本営)
  • 『救世軍 軍令及び軍律(准尉の巻)』(救世軍日本本営)
  • 『救世軍 軍令及び軍律(士官の巻)』(救世軍日本本営)
  • 『救世軍 下士官の心得』(救世軍日本本営)
  • 『救世軍 准尉ガイドライン』(救世軍日本本営)
  • 『救世軍教理便覧』(救世軍日本本営、1977年)
  • 『救世軍日本開戦100年記念写真集』(救世軍日本本営、1997年)
  • 『キリスト教年鑑』各号(キリスト新聞社
  • 三吉明著、日本歴史学会編集 『人物叢書 山室軍平』(吉川弘文館、1986年]、ISBN 4642050507
  • 室田保夫 『山室軍平―無名ノ英雄、無名ノ豪傑タルヲ勉メン哉』 ミネルヴァ書房、2020年

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]