「東彼杵町立千綿中学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 11:03時点における版
東彼杵町立千綿中学校 | |
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北緯33度0分41.2秒 東経129度56分52.3秒 / 北緯33.011444度 東経129.947861度座標: 北緯33度0分41.2秒 東経129度56分52.3秒 / 北緯33.011444度 東経129.947861度 | |
過去の名称 | 千綿村立千綿中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東彼杵町 |
校訓 | 心は温かくたくましく |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
閉校年月日 | 2019年(平成31年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒859-3928 |
長崎県東彼杵郡東彼杵町平似田郷821番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東彼杵町立千綿中学校(ひがしそのぎちょうりつ ちわたちゅうがっこう、Higashisonogi Town Chiwata Junior High School)は、長崎県東彼杵郡東彼杵町平似田(ひらにた)郷にあった公立中学校。
東彼杵町立彼杵中学校との統合により、2019年(平成31年)3月末に閉校した[1]。
概要
- 校訓
- 「心は温かくたくましく」
- 校章
- 校名の「チ」「ワ」「タ」「中」の文字を組み合わせたものになっている。
- 校歌
- 1955年(昭和30年)1月制定。作詞は岩崎建二、作曲は友永仁による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「千綿校」が登場する。
- 校区
- 「長崎県東彼杵郡東彼杵町」の後に「太ノ浦郷(一部)、八反田(はちたんだ)郷、千綿宿郷、瀬戸郷、駄地(だじ)郷、平似田郷、中岳郷、遠目郷(一部)、蕪郷、木場(こば)郷、里郷、一ツ石郷」が続く地区。
- 小学校区は東彼杵町立千綿小学校。
沿革
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)4月18日 - 独立校舎(一部)が完成し移転。同年6月に第一期工事が完了。
- 1952年(昭和27年)6月14日 - 第二期工事が完了。講堂が完成。
- 1953年(昭和28年)
- 1955年(昭和30年)1月11日 - 校歌を制定。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)12月6日 - 学校植林地記念碑を建立。
- 1961年(昭和36年)6月 - 3教室を増築。
- 1962年(昭和37年)
- 3月15日 - 校旗を制定。
- 4月 - 生徒数が最大の502名(12学級)を記録する。
- 1966年(昭和41年)1月 - 完全給食を開始。
- 1968年(昭和43年)6月28日 - プールが完成。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1985年(昭和60年)3月8日 - 土俵が完成。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)3月19日 - 中庭庭園のテーブルが完成。
- 1989年(平成元年)3月17日 - 和太鼓が寄贈される。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)4月 - 校門を改築。
- 1997年(平成9年)3月 - 校旗が寄贈される。
- 2019年(平成31年)3月31日 - 東彼杵町立彼杵中学校との統合により閉校[1]。
- 閉校後
- 2021年(令和3年)9月1日 - 東彼杵町立千綿小学校が移転の上、校地・校舎の使用を開始[2]。
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 東彼杵町営バス「千綿中学校下」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
- 東彼杵町立千綿小学校
- 東彼杵中央幼稚園
脚注
- ^ a b 千綿中学校として最後の体育大会盛況のうちに終了! (PDF) - 東彼杵町立千綿中学校ウェブサイト
- ^ 令和3年度 県内市町立幼稚園・小中学校の設置廃止等 - 長崎県ウェブサイト
参考文献
- 「東彼杵町誌 水と緑と道」下巻(1999年(平成11年)11月1日、東彼杵町教育委員会)p. 234 - (戦後から現在)