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2022年10月7日 (金) 11:19時点における版
新郷村立野沢中学校 | |
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北緯40度26分27秒 東経141度12分13秒 / 北緯40.44083度 東経141.20361度座標: 北緯40度26分27秒 東経141度12分13秒 / 北緯40.44083度 東経141.20361度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新郷村 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
閉校年月日 | 2021年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C102210001522 |
中学校コード | 020216 |
所在地 | 〒039-1802 |
青森県三戸郡新郷村大字西越字佐野平21番地[1] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新郷村立野沢中学校(しんごうそんりつのさわちゅうがっこう)は、青森県三戸郡新郷村大字西越にあった公立中学校[2]。
概要
新郷村南東部西越地区の山間部にあって[1]、2019年(令和元年)5月1日現在の全校生徒数が16人の小規模校。
2021年(令和3年)3月末をもって新郷中学校と統合し、閉校となった[3]。
統合後の新郷中学校は旧野沢中学校へ移転し、校舎は引き続き使用される。
教育目標
- 自ら学び創造力のある生徒
- 礼儀正しく心豊かな生徒
- 身体を鍛え頑張り抜く生徒
沿革
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 西越小学校校舎に併設の形で、本校発足。手倉橋分校も設置。
- 4月22日 - 開校式挙行。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 西越小学校の上手に、独立校舎完成し、移転。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 手倉橋分校が独立昇格し、野沢村立手倉橋中学校となる。
- 1953年(昭和28年)3月18日 - 校歌制定。
- 1955年(昭和30年)7月29日 - 町村合併により、新郷村立野沢中学校と改称。
- 1956年(昭和31年)12月3日 - 2教室増築。
- 1964年(昭和39年)1月8日 - 西越字佐野平21番地(現在地)に新校舎移転。
- 1966年(昭和41年)11月30日 - 体育館落成。
- 1969年(昭和44年)9月1日 - 野沢郷土資料館開設。
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)3月31日 - 新郷中学校に統合され、閉校[6]。
アクセス
- 新郷村役場より車で南東へ約10分
参考資料
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 中学校」944頁「野沢中学校」
脚注
- ^ a b 新郷村立野沢中学校(新郷村)(2007年7月6日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 新郷村
- ^ “約1万人学びや巣立つ/青森県内中学校で卒業式”. 東奥日報. 2021年3月11日閲覧。
- ^ 西越小、野沢中(新郷)が最後の合同運動会 - デーリー東北Web版・2020年5月19日13時36分配信
- ^ 閉校の西越小・野沢中で感謝の舞/新郷 - 47NEWS(配信元:東奥日報)・2020年11月8日配信
- ^ 新郷の4小中学校を戸来小、野沢中に統合 - 東奥日報Web版・2019年7月31日更新。