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2022年10月7日 (金) 11:21時点における版
佐世保市立野崎中学校 | |
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北緯33度7分8.7秒 東経129度41分9.08秒 / 北緯33.119083度 東経129.6858556度座標: 北緯33度7分8.7秒 東経129度41分9.08秒 / 北緯33.119083度 東経129.6858556度 | |
過去の名称 | 佐世保市立俵浦中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐世保市 |
校訓 | 信愛・自主・努力 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
閉校年月日 | 2016年(平成28年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒857-1234 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐世保市立野崎中学校(させぼしりつ のざきちゅうがっこう)は、長崎県佐世保市野崎町にあった公立中学校。
2016年(平成28年)3月末をもって閉校し、佐世保市立愛宕中学校に統合された。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革により、佐世保市立俵浦小学校に併設される形で「佐世保市立俵浦中学校」として開校。校名が「佐世保市立野崎中学校」となったのは1972年(昭和47年)。2012年(平成24年)には創立65周年を迎えた。佐世保市立愛宕中学校への統合のため、2016年(平成28年)3月末に閉校し、69年の歴史に幕を下ろした。
- 校訓
- 「信愛・自主・努力」
- 校章
- 輝く太陽と海の波を組み合わせたものを背景にして中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 1973年(昭和48年)に制定。作詞は中嶋英治、作曲は菅沼義重による。歌詞は3番まであり、各番の最後に校名の「野崎中学校」が登場する。
- 校区
沿革
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「佐世保市立俵浦中学校」が発足。
- 佐世保市立俵浦小学校に併設される。初代校長に末永健吉が就任。
- 1951年(昭和26年)12月 - 野崎町に木造新校舎6教室が完成し、移転を完了。小学校との併設を解消。
- 1954年(昭和29年)9月 - 校歌を制定。
- 1956年(昭和31年)7月 - 校旗を制定。
- 1957年(昭和32年)10月 - 運動場が整備される。
- 1961年(昭和36年)2月 - 校舎を増築。
- 1963年(昭和38年)4月 - 体育館が完成。
- 1972年(昭和47年)
- 4月1日 - 「佐世保市立野崎中学校」に改称。
- 6月 - 新校旗を制定。
- 1973年(昭和48年)2月 - 新校歌を制定。
- 1979年(昭和54年)10月 - 運動場を拡張。
- 1985年(昭和60年)2月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。
- 1987年(昭和62年)8月 - プールが完成。
- 1991年(平成3年)3月 - パソコン教室を設置。
- 1992年(平成4年)2月 - 新校門が完成。
- 1995年(平成7年)3月 - クラブハウスが完成。
- 1998年(平成10年)10月 - 佐世保市中学校体育大会駅伝競技(男子の部)において優勝。長崎県立野崎養護学校[1]との交流を実施。
- 2008年(平成20年)9月 - 学校給食を開始。佐世保市船越小学校との親子方式給食であった[2]。
- 2016年(平成28年)3月31日 - 閉校。佐世保市立愛宕中学校に統合された。
交通
- 最寄りのバス停
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 特別養護老人ホーム海南荘
- 佐世保市立俵浦小学校
脚注
- ^ 1979年(昭和54年)開校。2007年(平成19年)に閉校し長崎県立佐世保養護学校に統合された。
- ^ 船越小学校(親)で給食を調理し、野崎中学校(子)に給食を配送する方式であった。