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2022年10月7日 (金) 12:02時点における版
郡上市立明宝中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 郡上市 |
設立年月日 | 1961年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C121221900074 |
所在地 | 〒501-4307 |
岐阜県郡上市明宝町二間手276 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
郡上市立明宝中学校 (ぐじょうしりつ めいほうちゅうがっこう)は、岐阜県郡上市にある公立中学校。
校区は明宝全域であり、明宝小学校と小川小学校(2022年春で閉校の予定)の児童が進学する[1]。
沿革
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 郡上郡奥明方村(ぐじょうぐん おくみょうがたむら)の奥明方村立明方中学校(みょうがたちゅうがっこう)と奥明方村立畑佐中学校(はたさちゅうがっこう)を統合し、奥明方村立奥明方中学校(おくみょうがたちゅうがっこう)として開校。名目上の統合であり、旧・明方中学校を気良(けら)教場、旧・畑佐中学校を畑佐(はたさ)教場、旧・明方中学校寒水分校を寒水(かんすい)教場、旧・畑佐中学校小川分校を小川教場とする。
- 1962年(昭和37年)
- 4月 - 現在地に統一校舎(木造3階建)が完成。気良教場、畑佐教場、寒水教場、小川教場を廃止。遠距離で通学困難な学生のために通年の寄宿舎が完成。
- 10月 - スクールバスの運行を開始。
- 1967年(昭和42年) - 校内の集会室に奥明方中学校民俗資料館を設置。
- 1968年(昭和43年) - 校舎増築し、3階建が4階建となる。
- 1969年(昭和44年)
- 7月 - 民俗資料館を校舎4階に移転。
- 9月9日 - 美濃中部地震により校舎の壁などに損害。交通手段が遮断されたことにより9月15日迄臨時休校。
- 1970年(昭和45年)
- 1月 - 民俗資料館を奥明方村に移管[注釈 1]。
- 4月20日 - 奥明方村が明方村に改称。同時に明方村立明方中学校(みょうがたそんりつ みょうがたちゅうがっこう)に改称する。
- 1976年(昭和51年)頃 - 生徒からの公募により、寄宿舎を「樹心寮」と命名する。
- 1992年(平成4年) - 4月1日 - 明方村が明宝村(めいほうむら)に改称。同時に明宝村立明宝中学校(めいほうそんりつ めいほうちゅうがっこう)に改称する。
- 1999年(平成11年) - 現在の校舎が完成。
- 2001年(平成13年) - 体育館(明宝アリーナ)が完成。
- 2002年(平成14年) - 寄宿舎「樹心寮」の最後の利用者2名が卒業し、樹心寮は休寮となる。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 八幡町、大和町、白鳥町、明宝村、高鷲村、美並村、和良村が合併し郡上市(ぐじょうし)が発足。同時に郡上市立明宝中学校(ぐじょうしりつ めいほうちゅうがっこう)に改称する。
脚注
注釈
参考文献
- 明宝村史 通史編 下巻 (1993年 明宝村) P.568 - 573
関連項目