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「関市立下有知中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 12:06時点における版

関市立下有知中学校
南西側の山王山から望む関市立下有知中学校(2018年10月13日撮影)
南西側の山王山から望む関市立下有知中学校
地図北緯35度30分56秒 東経136度54分33秒 / 北緯35.51567度 東経136.90904度 / 35.51567; 136.90904座標: 北緯35度30分56秒 東経136度54分33秒 / 北緯35.51567度 東経136.90904度 / 35.51567; 136.90904
過去の名称 下有知村立下有知中学校
関市立下有知中学校(旧)
関市中有知村組合立有知中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 関市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C121220500043 ウィキデータを編集
所在地 501-3217
岐阜県関市下有知3121-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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関市立下有知中学校(せきしりつ しもうちちゅうがっこう)は、岐阜県関市にある公立中学校

沿革

  • 1947年(昭和22年)4月 - 武儀郡下有知村に下有知村立下有知中学校として開校。
  • 1950年(昭和25年) - 下有知村と中有知村とで学校組合を設置し、下有知村字馬渡[注釈 1]に統合校舎の建設が決まる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月20日 - 下有知村が関市に編入される。同時に関市立下有知中学校に改称する。学校組合は関市と中有知村とで運用となる。
    • 4月1日 - 関市立下有知中学校と中有知村立中有知中学校を統合し、関市中有知村組合立有知中学校となる。統合校舎に移転。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 美濃町洲原村下牧村上牧村大矢田村藍見村、中有知村が合併し、美濃市が発足。美濃市は関市との学校組合に難色を示したため、有知中学校は関市が運営することとなり、関市立下有知中学校に改称する。暫定処置として美濃市中有知地区の生徒を1年間受け入れることとする[1]
  • 1955年(昭和30年)
    • 4月 - 美濃市は単独で中有知地区に美濃市立中有知中学校を開校する。中有知地区の生徒は下有知中学校から中有知中学校に移る[注釈 2][注釈 3]
    • 12月17日 - 関市と旧・中有知村との学校組合を解散[2]
  • 1981年(昭和56年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造4階建)が完成。

通学区域[3]

  • 下有知
  • 東志摩
  • 寺田1丁目、寺田2丁目
  • 関ノ上1丁目、関ノ上2丁目、関ノ上3丁目
  • 西境松町
  • 水ノ輪町
  • のぞみケ丘

進学前小学校

交通アクセス

関連項目

参考文献

  • 関市史 (関市 1967年) P.1132 - 1135 1313 - 1339
  • 年表市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年)

注釈

  1. ^ 下有知中学校の現在地に該当。
  2. ^ 美濃市史通史編下巻によれば、中有知村下有知村学校組合立有知中学校は1955年に組合を解消。中有知地区に美濃市立中有知中学校が新設し、1958年に美濃中学校に統合と記述されている。
  3. ^ 美濃中学校HPでは、1955年に中有知地区の生徒が美濃中学校に編入され中有知分校を設置、1956年に中有知分校を廃止となっている。

脚注

  1. ^ 関市史P.1132。
  2. ^ 関市史P.1134。
  3. ^ 関市HP:関市立小中学校及び関商工高等学校の通学区域について

外部リンク