「関市立下有知中学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=関市立下有知中学校 |
|校名=関市立下有知中学校 |
||
|画像 = [[ファイル:Seki City Shimouchi Junior high school.jpg|300px|南西側の山王山から望む関市立下有知中学校(2018年10月13日撮影)]]<br>南西側の山王山から望む関市立下有知中学校 |
|画像 = [[ファイル:Seki City Shimouchi Junior high school.jpg|300px|南西側の山王山から望む関市立下有知中学校(2018年10月13日撮影)]]<br>南西側の山王山から望む関市立下有知中学校 |
2022年10月7日 (金) 12:06時点における版
関市立下有知中学校 | |
---|---|
南西側の山王山から望む関市立下有知中学校 | |
北緯35度30分56秒 東経136度54分33秒 / 北緯35.51567度 東経136.90904度座標: 北緯35度30分56秒 東経136度54分33秒 / 北緯35.51567度 東経136.90904度 | |
過去の名称 |
下有知村立下有知中学校 関市立下有知中学校(旧) 関市中有知村組合立有知中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 関市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C121220500043 |
所在地 | 〒501-3217 |
岐阜県関市下有知3121-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
関市立下有知中学校(せきしりつ しもうちちゅうがっこう)は、岐阜県関市にある公立中学校。
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 - 武儀郡下有知村に下有知村立下有知中学校として開校。
- 1950年(昭和25年) - 下有知村と中有知村とで学校組合を設置し、下有知村字馬渡[注釈 1]に統合校舎の建設が決まる。
- 1951年(昭和26年)
- 3月20日 - 下有知村が関市に編入される。同時に関市立下有知中学校に改称する。学校組合は関市と中有知村とで運用となる。
- 4月1日 - 関市立下有知中学校と中有知村立中有知中学校を統合し、関市中有知村組合立有知中学校となる。統合校舎に移転。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 美濃町、洲原村、下牧村、上牧村、大矢田村、藍見村、中有知村が合併し、美濃市が発足。美濃市は関市との学校組合に難色を示したため、有知中学校は関市が運営することとなり、関市立下有知中学校に改称する。暫定処置として美濃市中有知地区の生徒を1年間受け入れることとする[1]。
- 1955年(昭和30年)
- 4月 - 美濃市は単独で中有知地区に美濃市立中有知中学校を開校する。中有知地区の生徒は下有知中学校から中有知中学校に移る[注釈 2][注釈 3]。
- 12月17日 - 関市と旧・中有知村との学校組合を解散[2]。
- 1981年(昭和56年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造4階建)が完成。
通学区域[3]
- 下有知
- 東志摩
- 寺田1丁目、寺田2丁目
- 関ノ上1丁目、関ノ上2丁目、関ノ上3丁目
- 西境松町
- 水ノ輪町
- のぞみケ丘
進学前小学校
交通アクセス
関連項目
参考文献
- 関市史 (関市 1967年) P.1132 - 1135 1313 - 1339
- 年表市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年)
注釈
- ^ 下有知中学校の現在地に該当。
- ^ 美濃市史通史編下巻によれば、中有知村下有知村学校組合立有知中学校は1955年に組合を解消。中有知地区に美濃市立中有知中学校が新設し、1958年に美濃中学校に統合と記述されている。
- ^ 美濃中学校HPでは、1955年に中有知地区の生徒が美濃中学校に編入され中有知分校を設置、1956年に中有知分校を廃止となっている。
脚注
- ^ 関市史P.1132。
- ^ 関市史P.1134。
- ^ 関市HP:関市立小中学校及び関商工高等学校の通学区域について