関市立下有知小学校
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関市立下有知小学校 | |
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北緯35度30分40秒 東経136度54分12秒 / 北緯35.51121度 東経136.90347度座標: 北緯35度30分40秒 東経136度54分12秒 / 北緯35.51121度 東経136.90347度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 関市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B121220500090 |
所在地 | 〒501-3217 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
関市立下有知小学校(せきしりつ しもうちしょうがっこう)とは、岐阜県関市にある公立小学校。
関市下有知地区などが校区であり、下有知、東志摩、寺田1・2丁目、関ノ上1~3丁目、西境松町、水ノ輪町、のぞみケ丘などである[1]。
校庭には卒業生が植えたという樹齢120年以上と推測される銀杏の大木があり、校歌にも歌われ、下有知小学校のマスコット「ぎんちゃん」のモデルでもある。1981年の体育館新築工事のさいに切り倒される予定であったが、現在地に移植された。老木ということもあり、1998年、2015年に樹木医による診断・手術が行われている。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 修徳義校が開校。下有知村、松森村、生櫛村、志摩村の児童が登校。洞泉寺[注釈 1]を仮校舎とする。
- 1878年(明治11年) - 志摩村に修徳義校中有知分教場を設置。
- 1879年(明治12年) - 修徳小学校に改称する。
- 1886年(明治19年) - 下有知尋常小学校に改称する。
- 1890年(明治23年) - 中有知分教場が中有知村大字生櫛字向野に校舎を新築し、移転。
- 1891年(明治24年)4月 - 中有知分教場が中有知尋常小学校として独立。
- 1895年(明治28年) - 現在地に移転。
- 1900年(明治33年) - 下有知尋常高等小学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 下有知国民学校に改称する。
- 1944年(昭和19年) - 名古屋市八幡国民学校の児童が下有知国民学校へ学童疎開。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 下有知村立下有知小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年)3月20日 - 下有知村が関市に編入される。同時に関市立下有知小学校に改称する。
- 1956年(昭和31年)4月28日 - 美濃市と関市とで境界変更。美濃市志摩地区の一部(現・東志摩)が関市に編入される。下有知小学校の校区にこの地域が追加される。
- 1980年(昭和55年) - 現在の校舎が完成。旧校門近くにあった銀杏の大木を現在地に移植。
- 1981年(昭和56年) - 体育館が完成。
参考文献
[編集]- 新修関市史 通史編 近世・近代・現代 (関市 1999年) P.815 - 816
- 年表 市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年) P.18 - 42
注釈
[編集]- ^ 現在の岐阜県関市下有知6321-1にある寺院。