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「名川町立剣吉中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 12:18時点における版

名川町立剣吉中学校
地図北緯40度26分58秒 東経141度20分54秒 / 北緯40.44958度 東経141.34844度 / 40.44958; 141.34844座標: 北緯40度26分58秒 東経141度20分54秒 / 北緯40.44958度 東経141.34844度 / 40.44958; 141.34844
過去の名称 北川村立剣吉中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 名川町
設立年月日 1947年4月1日
閉校年月日 2005年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 039-0612
青森県三戸郡名川町大字剣吉字桜場158番地
ウィキポータル 教育
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名川町立剣吉中学校(ながわちょうりつ けんよしちゅうがっこう)は、青森県三戸郡名川町剣吉にあった公立中学校

概要

本校は、名川町の旧北川村域を学区としていた。

沿革

  • 1947年昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)
    • 1月1日 - 校章制定。
    • 4月1日 - 剣吉小学校講堂に仮教室荷教室増設。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 大坊・上町の2作業場を教室に借用。
  • 1950年(昭和25年)11月22日 - 剣吉字伊勢沢99番地に、独立校舎を新築し、移転。
  • 1952年(昭和27年)7月12日 - 校旗樹立。
  • 1955年(昭和30年)7月29日 - 町村合併(昭和の大合併)により、名川町立剣吉中学校に改称。
  • 1959年(昭和34年)11月10日 - 校舎西側に6教室ほかを増築。
  • 1963年(昭和38年)5月1日 - 特殊学級設置。
  • 1964年(昭和39年)3月19日 - 音楽室増築工事竣工。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月16日 - 9時48分頃に発生した十勝沖地震により、校舎が使用不能になる。また、この地震で、校舎から避難中に学校裏山で山崩れが発生して、生徒11名が生き埋めになり、その内の4名が死亡した。また、本校に避難した卒業生2名も、地割れに巻き込まれて死亡した。
    • 5月28日 - 剣吉小学校に6教室、剣吉中央集会所に3教室を収容し、授業再開。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1971年(昭和46年)10月 - プール完成。
  • 時期不明 - 剣吉字桜場158番地に校舎移転。
  • 1994年平成6年)9月 - 校庭照明設備設置完了[1]
  • 2005年(平成17年)3月31日 - 本校・名久井第一中学校・名久井第二中学校を統合した名川中学校開校により、閉校。

学区

名川町の旧北川村域。

関連項目

その他

  • 昭和43年の十勝沖地震で土砂災害が発生した旧校地は、42年後の平成22年に土砂災害警戒区域に指定された[2]

脚注

  1. ^ 平成6年度施工実績 - 株式会社興陽電設
  2. ^ 土砂災害警戒区域及び土砂災害特別警戒区域について - 青森県県土整備部河川砂防課砂防グループ(令和2年4月8日)

参考資料

  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)939頁「学校沿革 中学校 剣吉中学校」
  • 『名川町誌 第一巻 本編Ⅰ』(名川町・1993年8月31日発行)「第五章 近・現代、第十一節 合併後さらに発展・充実する名川町」の「三、合併二十年後(昭和五十年)の名川町 -「合併二十年のあゆみ」より -」685頁から「四、合併三十周年(昭和六十年)、発展・充実の名川町 - 「町制施行三十周年記念誌より」-」699頁まで。
  • 『東奥年鑑平成17年版』(東奥日報社・2004年9月発行)「名簿編200頁 教育/中学校(三戸郡)、高等学校(全日制)」
  • 『強震・青森県を襲う!! '68十勝沖地震の記録』(東奥日報社・1968年7月10日発行)「一瞬、4人の級友をのむ!!」