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2022年10月7日 (金) 13:11時点における版
唐津市立第一中学校 | |
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北緯33度26分30.3秒 東経129度57分45.6秒 / 北緯33.441750度 東経129.962667度座標: 北緯33度26分30.3秒 東経129度57分45.6秒 / 北緯33.441750度 東経129.962667度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 唐津市 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C141220200015 |
所在地 | 〒847-0821 |
佐賀県唐津市町田一丁目4番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
唐津市立第一中学校(からつしりつ だいいちちゅうがっこう)は、佐賀県唐津市町田一丁目にある公立中学校。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革により新制中学校として創立。2017年(平成29年)に創立70周年を迎えた。
- 校章
- 羽ばたく鶴が「中」の文字を抱えている姿を校章としている。鶴が使用されているのは、古くから唐津城が「鶴城(かくじょう)」と呼ばれてきたことに由来する[1]。
- 校歌
- 作詞は下村湖人、作曲は松本民之助による。歌詞は3番まであり、各番の最後に校名の「唐津一中」が登場する。
- また、応援歌もあり、作詞は斎藤正夫、作曲は岩野次男による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「一中」が登場する。
- 通学区域
- 唐津市立大志小学校校区(唐津市の後に「坊主町、山下町、桜馬場、朝日町、江川町、元旗町、西旗町、富士見町、南富士見町、西浜町、菜畑(東菜畑)、東城内、西城内、南城内、北城内、大名小路、木綿町、本町、中町、京町、高砂町、呉服町、米屋町、紺屋町、八百屋町、刀町、新町、平野町、弓鷹町、西寺町、新興町」が続く地域)[2]。
- 唐津市立長松小学校校区(唐津市の後に「熊原町、菜畑(西菜畑の一部、南菜畑)、町田一丁目、町田二丁目、町田三丁目、神田、見借、旭が丘」が続く地域)[2]。
沿革
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- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制度(青年学校)の4年生が卒業したことにより、唐津市立高等実業青年学校と唐津市立唐津実践高等女学校を廃止[3]。
- 1949年(昭和24年)9月1日 - 唐津市立第二中学校の新校舎が完成したことにより、校区が改正され、西唐津小学校区の生徒が第二中学校へ転出[3]。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 竹木場分教場が分離し、唐津市立第四中学校として独立[3]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 唐津市立第五中学校の分離・独立により、新入生は唐津小学校・長松小学校の2校区の出身となる[3]。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 通学区域が志道小学校・大成小学校・長松小学校の3校区となる(校舎老朽化と児童数増加のため、唐津小学校が閉校し、志道小学校と大成小学校の2校が新設されたことによる)[3]。
- 1959年(昭和34年)7月6日 - 火災により校舎のほとんどを焼失。新校舎完成までの8か月間、志道・大成・長松の小学校3校の校舎一部と唐津市中央公民館において分散授業を実施した[3]。
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎2棟が完成[3]。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 通学区域が大志小学校・長松小学校の2校区となる(志道小学校と大成小学校が統合され大志小学校になったため)。
- 2013年(平成25年)から2014年(平成26年)にかけて - 校舎の改築を実施。
交通
- 最寄りのバス停
- 昭和バス 「長松大橋」バス停
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 長松保育園
- 唐津市立長松小学校
- 佐賀県立唐津西高等学校
- 佐賀県立唐津南高等学校
- 町田川
参考資料
- 「唐津市史」(1962年(昭和37年)8月18日発行・1991年(平成3年)3月1日復刻, 唐津市・唐津市史編纂委員会)
- p.1189 - p.1190 第六編 現代 第六章 教育と文化 第四節 中等教育