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「多治見市立精華小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 15:56時点における版

多治見市立精華小学校
地図北緯35度20分23.2秒 東経137度7分15.4秒 / 北緯35.339778度 東経137.120944度 / 35.339778; 137.120944座標: 北緯35度20分23.2秒 東経137度7分15.4秒 / 北緯35.339778度 東経137.120944度 / 35.339778; 137.120944
国公私立の別 公立学校
設置者 多治見市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B121220400028 ウィキデータを編集
所在地 507-0039
岐阜県多治見市十九田町2-119
外部リンク 公式ページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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多治見市立精華小学校(たじみしりつせいかしょうがっこう)は、岐阜県多治見市十九田町にある小学校

通学区域

  • 通学区域は、小田町1-6丁目、緑ケ丘、弁天町1-4丁目 上山町1・2丁目、宮前町1・2丁目、大正町1-3丁目、大日町、虎渓町1・22丁目、豊岡町1-3丁目、本町2丁目の一部、本町3・4丁目、虎渓山町1-6丁目、虎渓山町7丁目の一部、上野町1-5丁目、精華町十九田町1・2丁目、住吉町1-7丁目、音羽町1丁目、音羽町2丁目(JR東海中央本線以北)、音羽町3-5丁目、若松町1-4丁目、金岡町1-5丁目、長瀬町、光ケ丘1-5丁目、白山町1-5丁目、西坂町1-5丁目であり、公立中学校の進学先は多治見市立陶都中学校である[1]

沿革

  • 1873年明治6年)2月 - 安養寺を仮校舎として審問学校創立。
  • 1880年(明治13年)6月 - 長福寺に移転。
  • 1886年(明治19年)11月 - 長瀬簡易科小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月 - 中ノ郷村、長瀬村、小名田村が合併し可児郡豊岡村となる。
  • 1890年(明治23年)10月 - 長瀬尋常小学校に改称する。
  • 1893年(明治26年)2月 - 豊岡尋常小学校に改称する。
  • 1901年(明治34年)
    • 2月 - 現在地に移転する。
    • 6月10日 - 豊岡村が町制施行し豊岡町となる。
  • 1934年昭和9年)8月1日 - 豊岡町が土岐郡多治見町に編入される。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 多治見第2尋常高等小学校に改称
  • 1941年(昭和16年)
    • 3月28日 - 精華尋常高等小学校に改称
    • 4月1日 - 精華国民学校に改称
  • 1947年(昭和22年)4月 - 精華小学校に改称

学校周辺

関連項目

脚注

  1. ^ 多治見市立小学校及び中学校の通学区域

外部リンク