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2022年10月7日 (金) 16:10時点における版
岐阜市立柳津小学校 | |
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北緯35度22分4.74秒 東経136度43分47.86秒 / 北緯35.3679833度 東経136.7299611度座標: 北緯35度22分4.74秒 東経136度43分47.86秒 / 北緯35.3679833度 東経136.7299611度 | |
過去の名称 |
柳津国民学校 柳津村立柳津小学校 柳津町立柳津小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
併合学校 | 柳津町立佐波小学校 |
設立年月日 | 1960年9月30日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220100469 |
所在地 | 〒501-6115 |
岐阜県岐阜市柳津町丸野1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立柳津小学校(ぎふしりつ やないづしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市柳津町丸野にある小学校。
沿革
柳津小学校の設立年は1960年9月30日である[注釈 1]。これは旧来の柳津小学校と佐波小学校を統合し、新たに柳津小学校として開校した年である。ここでは旧来の柳津小学校を柳津小学校〈旧〉として記述する。
- 1873年(明治6年) - 羽栗郡柳津村に澤言義校が開校する。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 羽栗郡と中島郡が合併して羽島郡となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 柳津国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 柳津村立柳津小学校〈旧〉に改称する。
- 1956年(昭和31年)9月26日 - 稲葉郡佐波村と羽島郡柳津村が合併し、羽島郡柳津町となる。これにより、柳津町立柳津小学校〈旧〉に改称する。
- 1960年(昭和35年)9月30日 - 柳津小学校〈旧〉と佐波小学校が統合され、柳津町立柳津小学校となる。
- 1962年(昭和37年) - 校歌制定。現在地に移転し、鉄筋コンクリート製の校舎(北舎)が新築される。
- 1971年(昭和46年) - 西舎が新築される。
- 1991年(平成3年) - 屋根つきプールが完成。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 羽島郡柳津町が岐阜市に編入合併。岐阜市立柳津小学校に改称。
- 2008年(平成20年)3月17日 - 新築校舎完成(南、北舎の2棟が新築、西舎が昔の面影を残し耐震補強される)
通学区域
- 柳津町石川蛙、柳津町梅松1-4丁目、柳津町蛙外、柳津町北塚1-5丁目、柳津町源葉南、柳津町栄町、柳津町佐波、柳津町仙右城、柳津町高桑、柳津町高桑堤外1-3丁目、柳津町西瀬外、柳津町蓮池1-6丁目、柳津町東瀬外、柳津町東塚1-5丁目、柳津町本郷1-5丁目、柳津町丸野1-5丁目、柳津町南塚1-5丁目、柳津町南塚北、柳津町宮東1-3丁目、柳津町桃木原、柳津町流通センター1-3丁目、柳津町渡シ場、柳津町小熊町東小熊字乾外、柳津町上佐波1-5丁目、柳津町上佐波西1-9丁目、柳津町上佐波東1-3丁目、柳津町下佐波1-8丁目、柳津町下佐波西1-3丁目、柳津町高桑1-5丁目、柳津町高桑西1-5丁目、柳津町高桑東1-3丁目[2]
進学先中学校
交通機関
- 茜部三田洞線「カラフルタウン」バス停下車 徒歩5分
- JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)4番のりば、名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)2番のりばより「E76 カラフルタウン」行き
出身者
- 原富太郎(明治時代の実業家。佐波学校出身)
周辺施設
脚注
出典
- ^ 『揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁
- ^ “岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年12月2日閲覧。
注釈
- ^ 「岐阜市史 史料編 現代Ⅱ 第2巻」(岐阜市 2019年)P.79