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2022年10月7日 (金) 16:25時点における版
安八町立名森小学校 | |
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北緯35度19分59.4秒 東経136度39分39.8秒 / 北緯35.333167度 東経136.661056度座標: 北緯35度19分59.4秒 東経136度39分39.8秒 / 北緯35.333167度 東経136.661056度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 安八町 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121238300012 |
所在地 | 〒503-0117 |
岐阜県安八郡安八町大明神40番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
安八町立名森小学校(あんぱちちょうりつ なもりしょうがっこう)は、岐阜県安八郡安八町大明神にある公立小学校である。
概要
- 通学区域は北今ケ渕、南今ケ渕、森部、大森、氷取、大明神、中須、大野外善光、善光、南条、中、城1-4丁目であり、公立中学校の進学先は安八町立登龍中学校である[1]。
- 創立時の名称は「登龍義校」であるが、この名称は安八町立登龍中学校に受け継がれている。
沿革
- 1873年(明治6年) - 安八郡の11ヶ村(氷取村、大明神村、中須村、大野村、南今ヶ淵村、善光村、森部村、南条村、大森村、北今ヶ淵村、中村)により、登龍義校が設置される。本校は大森村に設置し、森部村に第一支校、北今ヶ渕に第二支校、中村に第三支校が設置される。
- 1881年(明治14年) - 登龍義校は登龍学校に改称する。第一支校は森部学校、第三支校は中学校(なかがっこう)として分離独立する。
- 1884年(明治17年) - 登龍学校は氷取村に移転し、第二支校を廃止する。
- 1886年(明治19年) - 登龍学校は登龍尋常小学校、森部学校は森部簡易小学校、中学校は中村簡易小学校に改称する。
- 1887年(明治20年) - 森部簡易小学校は森部尋常小学校に改称する。
- 1890年(明治23年) - 中村簡易小学校は中村尋常小学校に改称する。
- 1897年(明治30年) - 氷取村、大明神村、中須村、大野村、南今ヶ淵村、善光村、森部村、南条村、大森村、北今ヶ淵村、中村が合併して名森村となる。
- 1902年(明治35年) - 登龍尋常小学校は現在の名森小学校の地に移転する。
- 1908年(明治41年) - 登龍尋常小学校、森部尋常小学校、中村尋常小学校が統合され、名森尋常高等小学校になる。
- 1941年(昭和16年)4月 - 名森国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 名森村立名森小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年) - 名森村、牧村、結村が合併して安八村となる。それに伴い、安八村立名森小学校に改称する。
- 1960年(昭和35年) - 安八村が町制施行し安八町となる。それに伴い、安八町立名森小学校に改称する。
交通機関
- 名阪近鉄バス「安八町役場」バス停より徒歩10分
- 安八コミュニティバス南部線「氷取」バス停下車、徒歩5分
周辺施設
著名な出身者
注釈
脚注
- ^ 安八町立小中学校及び組合立東安中学校の通学区域
- ^ 「大好きなこと続けて 世界新体操「銀」の鈴木選手、安八の母校訪問 /岐阜」『毎日新聞』2019年10月3日。2020年4月15日閲覧。