コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「姫路市立船場小学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名=姫路市立船場小学校
|校名=姫路市立船場小学校
|画像=[[画像:Himeji city Senba elem-sch.jpg|260px|]]
|画像=[[画像:Himeji city Senba elem-sch.jpg|260px|]]

2022年10月7日 (金) 16:58時点における版

姫路市立船場小学校
地図北緯34度49分57秒 東経134度40分59秒 / 北緯34.8325度 東経134.683056度 / 34.8325; 134.683056座標: 北緯34度49分57秒 東経134度40分59秒 / 北緯34.8325度 東経134.683056度 / 34.8325; 134.683056
過去の名称 姫路市立船場尋常小学校
姫路市立船場国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 姫路市
併合学校 姫路市立西尋常小学校
設立年月日 1906年3月3日
共学・別学 男女共学
学校コード B128210005174 ウィキデータを編集
所在地 670-0046
兵庫県姫路市東雲町一丁目1番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

姫路市立船場小学校(ひめじしりつ せんばしょうがっこう)は、兵庫県姫路市東雲町一丁目にある公立小学校

沿革

  • 1906年(明治39年)3月3日 - 城南尋常小学校[1]から分離し、姫路市立船場尋常小学校として開校。
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 姫路市立西尋常小学校を併合。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、姫路市立船場国民学校と改称。
  • 1945年(昭和20年)7月4日 - 姫路空襲により、校舎全焼。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、姫路市立船場小学校と改称。
  • 1959年(昭和34年)6月20日 - 講堂落成。
  • 1971年(昭和46年)7月5日 - プール竣工。
  • 1972年(昭和47年)月日 - 鉄筋校舎竣工。以後1974年、1975年、1979年に引き続いて建設。
  • 1980年(昭和55年)12月26日 - 楠のフェンス完成。
  • 1981年(昭和56年)5月23日 - 船場の銘木顕彰式。
  • 1989年(平成元年)3月19日 - 体育館竣工。
  • 1991年(平成3年)3月18日 - プール改修。
  • 1992年(平成4年)8月27日 - 鉄筋校舎を全面改修。
  • 1995年(平成7年)11月29日 - 創立90周年を記念し、航空写真を撮影。
  • 2005年(平成17年)11月23日 - 創立100周年記念式典を挙行。

通学区域

船場のビル群
手前から船場西ビル、元町東ビル、元町西ビル
  • 姫路市
    • 琴岡町、船丘町、西新町、小姓町、元町、米田町、船橋町2丁目-6丁目、片田町、博労町、地内町、塩町(一部)、十二所前町(一部)、忍町(一部)、久保町(一部)、高尾町(一部)、上片町、福沢町、神田町1丁目-4丁目、千代田町、花影町1丁目-4丁目、東雲町1丁目-6丁目、定元町、土山東の町、土山1丁目-3丁目、南車崎1丁目-2丁目、南今宿(高岡小学校校区を除く)、神子岡前1丁目(一部)
卒業生は基本的に姫路市立琴陵中学校へ進学する。

周辺

校区一帯の船場地区は、江戸時代に船場川播磨灘への水路として開発され、流通拠点として栄えた。また本徳寺(船場御坊)の寺内町でもある。太平洋戦争大東亜戦争)で空襲被害を受けたものの、今なお古い街並や歴史的建造物、城下町以来の地名が残る。

国道2号北側沿いに、7棟の船場ビル群が並ぶ。

アクセス

通学区域が隣接している学校

脚注

  1. ^ 後の姫路市立城南小学校(2009年閉校)

関連項目

外部リンク