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船場川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
船場川
船場川 2006年4月撮影
水系 二級水系 船場川
種別 二級河川
延長 11.6 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 -- km2
水源 市川(兵庫県)
水源の標高 -- m
河口・合流先 播磨灘(兵庫県)
流域 兵庫県
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船場川(せんばがわ)は、兵庫県姫路市の南部を流れる船場川水系の本流で、二級河川。但し水系としては、事実上市川の支流である。

地理

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播磨平野西部、姫路市の市街地から南部の飾磨へかけ、概ね南流する。流域はほぼ平坦。

歴史

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古代には市川の本流であったと言われ、当時は現在の市川流路が支流だったとされる。市川上流からの土砂堆積により、流路を幾度か変えてきた。中世までは姫山の南側に二股川・青見川と呼ばれる支流が流れていた[1]

姫路へ入った池田輝政1601年慶長6年)、姫路城の本格築城に加え、市川を現在の流路に近づけ本流化するなどの河川改修にも着手し、旧本流の船場川も併せて改修した。これは水運や流域の灌漑のみならず、船場川流路を姫路城の防禦にも活用しようとする巧みなもので、現在船場川が一部で濠に沿っているのもこのためである。船場川はこの頃、妹背川または三和川と呼ばれていた。

1617年元和3年)、池田光政に代わって姫路に封じられた本多忠政は飾磨津(現在の姫路港)まで4kmの間に舟運を計画。河川名もこの折に船場川と改められた。

1749年(寛延2年)7月3日には豪雨によって飾磨井堰が決壊して船場川が氾濫し、船場地区で300名を超える死者を出して姫路城の門の多くも流失・破壊される寛延二年大洪水が発生している。その後も船場川は近現代に至るまでしばしば氾濫を起こし、姫路競馬場のコース内グラウンドを掘り下げて船場川増水時の遊水池とする改修工事がおこなわれている[2]

流域の自治体

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兵庫県
姫路市

主な支流

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  • 大野川
  • 地蔵川

流域の観光地

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並行する交通

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鉄道

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1986年(昭和61年)11月1日の廃止まで、国鉄播但線(飾磨港線)も並行していた。イオンモール姫路リバーシティー西側の船場川東岸に飾磨駅があった。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 姫路市史14巻 1988, p. 41-47.
  2. ^ (中播磨地域)船場川洪水調節池「工事だより」の発刊について”. 兵庫県中播磨県民センター 姫路土木事務所 河川砂防課. 2024年7月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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