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2022年10月7日 (金) 17:13時点における版
名古屋市立鳴海小学校 | |
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北緯35度04分55秒 東経136度57分12秒 / 北緯35.081944度 東経136.953333度座標: 北緯35度04分55秒 東経136度57分12秒 / 北緯35.081944度 東経136.953333度 | |
過去の名称 |
広道学校 成海学校 鳴海学校 鳴海尋常小学校 鳴海尋常高等小学校 鳴海町国民学校 鳴海町立鳴海小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)10月15日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001985 |
所在地 | 〒458-0801 |
愛知県名古屋市緑区鳴海町矢切98 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立鳴海小学校(なごやしりつ なるみしょうがっこう)は、愛知県名古屋市緑区鳴海町矢切にある公立小学校。
沿革
- 1873年(明治6年) - 鳴海万福寺を仮校舎とし、第二中学区第十四番広道学校が開校[2]。
- 1875年(明治8年) - 下郷次郎八邸に移転[2]。
- 1876年(明治9年) - 成海小学校と改称[2]。
- 1878年(明治11年) - 前之輪分教場を設置[2]。
- 1879年(明治12年) - 西分教場を設置[2]。
- 1882年(明治15年) - 相原分教場を設置[2]。
- 1887年(明治20年) - 鳴海学校と改称[2]。3分教場を廃止し、本町の土居新三郎邸に移転[2]。
- 1889年(明治22年) - 鳴海尋常小学校と改称[2]。
- 1891年(明治24年) - 濃尾地震により校舎損壊[2]。愛知郡鳴海町役場と如意寺で授業を行う[2]。
- 1892年(明治25年) - 現在地に校舎完成[2]。
- 1902年(明治35年) - 高等科を併設、鳴海尋常高等小学校と改称[2]。
- 1907年(明治40年) - 平手分教場を設置[2]。
- 1919年(大正8年) - 実習補習学校を併設[2]。
- 1924年(大正13年) - 東分教場を設置(東丘小学校の前身)[2]。
- 1932年(昭和7年) - 講堂が竣工[2]。
- 1941年(昭和16年) - 鳴海町国民学校と改称[2]。
- 1943年(昭和18年) - 平手分校を設置[2]。
- 1944年(昭和19年) - 岡部長景文部大臣が来校[2]。
- 1947年(昭和22年) - 鳴海町立鳴海小学校と改称[2]。鳴海中学校を併設(翌年に新校舎が竣工し移転)[2]。
- 1948年(昭和23年) - 平手分校を鳴海東部小学校として分離[2]。
- 1953年(昭和28年) - 平子小学校を分離[2]。
- 1956年(昭和31年) - 講堂を鳴海町役場仮庁舎として代用[2]。本館完成[2]。講堂全焼[2]。
- 1957年(昭和32年) - 講堂再建[2]。
- 1959年(昭和34年) - 東分校を東丘小学校として分離[2]。伊勢湾台風により校舎等が罹災[2]。
- 1962年(昭和37年) - 鳴子小学校を分離[2]。
- 1963年(昭和38年) - 愛知郡鳴海町が名古屋市に編入されたのに伴い、名古屋市立鳴海小学校と改称[2]。
- 1967年(昭和42年) - 前之輪分校を設置[2]。
- 1968年(昭和43年) - 前之輪分校を緑小学校として分離[2]。
- 1969年(昭和44年) - 片平分校を設置[2]。
- 1970年(昭和45年) - 分校を片平小学校として分離[2]。
- 1973年(昭和48年) - 開学100周年記念式典を挙行。旭出分校を設置[2]。
- 1974年(昭和49年) - 分校を旭出小学校として分離[2]。
- 1979年(昭和54年) - 校区の一部を相原小学校として分離[2]。
- 1980年(昭和55年) - 体育館兼講堂が竣工[2]。
- 1981年(昭和56年) - 本館改築工事が完工[2]。
通学区域
- 名古屋市緑区鳴海町
- 相原町、雷、石畑、上中町、会下、扇川堤塘、乙子山(一部)、片坂、上汐田、上汐田堤塘、栢木、北浦(一部)、作町、下中、下拾貫目堤塘、宿地(一部)、城、善明寺、砦、根古屋、白山、花井町、平部、文木(一部)、本町、三皿、向田、最中堤塘、矢切、柳長、薬師山
- 名古屋市緑区
- 浦里5丁目、曽根1丁目、六田1丁目
※ 卒業生は基本的に名古屋市立鳴海中学校へ進学する。
周辺
交通アクセス
- 名鉄名古屋本線 鳴海駅から北東へ600m
- 名古屋市営バス 鳴海小学校にて下車
- 愛知県道36号諸輪名古屋線沿い