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2022年10月7日 (金) 18:21時点における版
宮津市立宮津小学校 | |
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北緯35度32分00秒 東経135度11分46秒 / 北緯35.53347度 東経135.19614度座標: 北緯35度32分00秒 東経135度11分46秒 / 北緯35.53347度 東経135.19614度 | |
過去の名称 |
宮津校/盡道校 宮津尋常小学校 宮津尋常高等小学校 宮津国民学校 宮津町立宮津小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮津市 |
併合学校 | 宮津市立上宮津小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B126210001964 |
所在地 | 〒626-0047 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮津市立宮津小学校(みやづしりつ みやづしょうがっこう)は、京都府宮津市にある公立小学校。
沿革
- 1873年(明治6年)3月11日 - 宮津校及び盡道校を創立。前者は旧礼譲館跡(現在の校地)に位置して旧宮津藩士及び後の城東村の子弟が対象。後者は西堀川の民家を借り、宮津及び文珠の子弟が通った。
- 1886年(明治19年)4月 - 宮津校と盡道校が合併、宮津尋常小学校となる。宮津校を男子部の、盡道校を女子部の校舎として使用。
- 1908年(明治41年)6月 - 文珠に須津校分教場を設置。
- 1918年(大正7年)3月 - 男子校女子校を統一し、宮津尋常高等小学校と改称。但し組織上統一されただけで、校舎は依然第1部(男子)、第2部(女子)の両所に分かれていた。
- 1918年(大正7年)10月 - 校歌制定(作詞:横尾繁六/作曲:山本寿)。
- 1922年(大正11年)3月 - 全校舎が竣工。名実共に1校に統合される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、宮津国民学校と改称。
- 1942年(昭和17年)7月 宮津町内空襲 児童1名死亡。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 新学制施行に伴い、宮津町立宮津小学校と改称。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 宮津市発足に伴い、宮津市立宮津小学校と改称。
- 1961年(昭和36年)6月 - 現在の本館が竣工。
- 1972年(昭和47年)7月 - プール竣工。
- 1988年(昭和63年)6月1日 - 京都国体において、軟式野球会場及び卓球練習会場となる。
- 1999年(平成11年)5月 - 運動会を春季実施に変更。
- 2015年(平成27年)3月31日 - 宮津市立上宮津小学校を統合。
- 2017年(平成29年) - 北校舎、本校舎を解体し、新校舎(本棟)を建てる。
通学区域
- 宮津市内、以下各自治会の地域
- 本町、魚屋、新浜、宮本、万町、京街道、大久保、柳縄手、島崎、金屋谷、亀ケ丘、松ケ岡、池ノ谷、白柏、浪花、漁師町、日吉、杉末、鶴賀、城内、城東、城南、滝馬、百合が丘、福田、宮村上、宮村、辻町、旭が丘、第2旭が丘、惣、東国名賀、皆原、山中、西波路、波路町、波路、東波路、府営東波路団地、獅子崎、つつじが丘、問屋町、グンゼ
宮津市立宮津中学校の校区に含まれる。