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2022年10月7日 (金) 18:24時点における版
岐阜市立且格小学校 | |
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北緯35度22分25.51秒 東経136度42分23.6秒 / 北緯35.3737528度 東経136.706556度座標: 北緯35度22分25.51秒 東経136度42分23.6秒 / 北緯35.3737528度 東経136.706556度 | |
過去の名称 |
且格義校 且格尋常小学校 且格国民学校 日置江村立且格小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
設立年月日 | 1873年5月23日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220100334 |
所在地 | 〒501-6133 |
岐阜県岐阜市日置江1859番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立且格小学校(ぎふしりつ しょかくしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市日置江にある公立小学校。
校名の由来
村民の要請によって、明治6年に初代校長となった儒学者青木春之(号は東山)が、『論語』「為政編」の一節「有恥且格(恥ありて、且ただし)」から命名した。
沿革
- 1873年(明治6年)5月23日 -
- 日置江村に且格義校開校。日置江村、次木村、高河原村の児童が通学。善了寺[注釈 1]を仮校舎とする。
- 茶屋新田村に共学学校が開校。
- 1878年(明治11年)1月 - 日置江村字屋敷前畑に且格義校の新校舎が完成し移転。
- 1886年(明治19年) - 且格義校が且格尋常小学校、共学学校が共学尋常小学校に改称する。
- 1895年(明治28年) - 且格尋常小学校に高等科を設置、且格尋常高等小学校に改称する。
- 1897年(明治30年)4月1日 -
- 日置江村、次木村、高河原村、茶屋新田村が合併し、日置江村が発足。
- 共学尋常小学校が且格尋常小学校に統合され、茶屋新田分教場となる。
- 1930年(昭和5年) - 茶屋新田分教場が新築移転する。
- 1937年(昭和12年) - 新校舎(木造2階建)を竣工し現在地に移転する。
- 1939年(昭和14年) - 茶屋新田分教場を廃止。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 且格国民学校に改称する。
- 1945年(昭和20年) - 各務原陸軍航空廠が疎開する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 日置江村立且格小学校に改称する。
- 1957年(昭和32年) - 校歌制定。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 日置江村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立且格小学校に改称する。
- 1961年(昭和36年)
通学区域
- 茶屋新田、茶屋新田1-6丁目、大脇1・2丁目、次木、日置江、日置江1-8丁目、高河原、次木新町、下奈良4丁目の一部[1]
進学先中学校
周辺施設
- 岐阜県立羽島北高等学校
- 岐阜市立境川中学校
- 岐阜県立華陽フロンティア高等学校
- 岐阜聖徳学園大学
- 岐阜聖徳学園大学附属高等学校
- 岐阜聖徳学園大学附属中学校
- 岐阜聖徳学園大学附属小学校
- カラフルタウン岐阜
交通アクセス
- おぶさ墨俣線(JR岐阜駅バスターミナルから墨俣(W65)行)「日置江1丁目」より徒歩約10分。
参考文献
- 日置江の歴史(日置江の歴史 2006年)P.296 - 328 568 - 584 884 - 886
関連項目
脚注
出典
- ^ “岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年11月8日閲覧。