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2022年10月8日 (土) 01:52時点における版
高山市立大八小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高山市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1965年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒506-0182 |
岐阜県高山市漆垣内町1500-1[1]。 | |
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高山市立大八小学校 (たかやましりつ おおはちしょうがっこう)は、かつて岐阜県高山市に存在した公立小学校。
概要
- 旧・大野郡大八賀村の小学校であり、校区は松之木・五名・漆垣内・大洞・塩屋・大島・岩井・滝であった。1965年、東小学校〈旧〉と統合し、東小学校の新設により廃校。
- 廃校後、校地校舎は高山市立大八中学校に転用された。現在、跡地は大八グラウンドとなっている。
沿革
- 1874年(明治7年) - 大八学校が開校。校区は松之木村、五名村、漆垣内村、大洞村、塩屋村。
- 1875年(明治8年)1月31日 - 大野郡灘郷、大八賀郷のうち23ヶ村[注釈 1]が合併し、大名田村となる。
- 1886年(明治19年) - 大八簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 大八尋常小学校に改称する。
- 1892年(明治25年)5月19日 - 大名田村が分立。大名田村[注釈 2]、灘村[注釈 3]、大八賀村[注釈 4]となる。
- 1900年(明治33年) - 大字大島が岩滝尋常小学校校区から大八尋常小学校校区に移る。
- 1902年(明治35年) - 大八尋常高等小学校に改称する。
- 1904年(明治37年)1月 - 農業補習学校を併設。
- 1906年(明治39年)8月 - 岩滝尋常小学校に大八尋常高等小学校の高等科分教場を設置。
- 1908年(明治41年) -
- 1925年(大正14年)8月 - 大八賀村字石田に新築(木造2階建)移転。旧校舎の一部を移築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 大八国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 大八賀村立大八小学校に改称する。
- 1950年(昭和25年) - 上野分校を設置。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 大八賀村が高山市に編入される。同時に高山市立大八小学校に改称する。
- 1956年(昭和31年)4月 -
- 1957年(昭和32年) - 校区が変更され、山口は江名子小学校校区、三福寺は東小学校〈旧〉校区に移る。
- 1965年(昭和40年)3月 - 東小学校〈旧〉と統合し、東小学校の新設により廃校。
脚注
- ^ 現在の住所表記。旧住所表記は岐阜県大野郡大八賀村字石田
参考文献
- 大八賀村史 (大八賀財産区 1971年) P.676 - 682
- 松之木町史 (松之木町内会 2006年) P.465 - 477