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「神殿の丘」の版間の差分

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2022年11月23日 (水) 09:52時点における版

神殿の丘(הר הבית
ハラム・アッシャリーフ(جبل الهيكل
神殿の丘
標高 740 m
所在地 エルサレム東エルサレム
位置 北緯31度46分39.4秒 東経35度14分7.8秒 / 北緯31.777611度 東経35.235500度 / 31.777611; 35.235500
山系 Judean Mountains
種類 石灰岩
プロジェクト 山
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神殿の丘(しんでんのおか)は、ユダヤ教ではヘブライ語でהַר הַבַּיִת(ハーバイッツ、神殿の丘の意)、イスラム教ではアラビア語الحرم الشريفハラム・アッシャリーフ、高貴なる聖所の意[1])と呼ばれている、エルサレムの旧市街にあるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖域である[2][3][4]。擁壁に囲まれた14ヘクタールの境内にはイスラム教の聖地岩のドーム(西暦690年)、鎖のドーム、昇天のドーム、アル=アクサー・モスク(西暦710年)が建っている[1][5]。かつて境内に建てられていたが現存しない第一 (紀元前957年 - 紀元前586年)・第二 (紀元前515年 - 西暦70年) エルサレム神殿を最も神聖な建物とするユダヤ教では、現在では教徒が擁壁境内への入域が制限されていることもあり、神殿が立っていた場に最も近づける西側外壁(Western Wall、通称嘆きの壁)で祈りを捧げている[1][6][4]。1187年以降はイスラム教信託基金団体であるさまざまなワクフが境内の維持管理を担っていたが、1948年以降はヨルダンのワクフが資金提供を含めた維持管理の運営を担っている一方で、警備はイスラエルが行っている[4][7]

歴史

この場所には紀元前10世紀頃、ソロモン王によりエルサレム神殿(第一神殿)が建てられた。しかし、紀元前587年、バビロニアにより神殿は破壊される。その後、紀元前515年に第二神殿が再建されるが、西暦70年に今度はローマ帝国によりエルサレム攻囲戦が行われ、再び神殿は破壊される。イスラム教王朝の時代に、残されたエルサレム神殿の石壁の上に更に石垣を築きその上に岩のドームなどが築かれた。現在も残るエルサレム神殿の外壁(神殿の丘の西側外壁の一部)がユダヤ教の聖地嘆きの壁である。

ヨルダン支配下の東エルサレム(1948年~1967年)では、イスラエル人は旧市街への立ち入りを禁じられていた。現在、神殿の丘はイスラエルの実効支配地域内にあるが、管理はイスラム教指導者により行なわれている。そのため、ユダヤ人とキリスト教徒は神殿の丘で宗教的な儀式を行う事を禁止されている。2000年9月28日、右派リクードアリエル・シャロン党首が神殿の丘を訪問し、これに反発したパレスチナ市民によりアル=アクサ・インティファーダ(第二次インティファーダ)が引き起こる。この暴力の応酬によりキャンプ・デービッド合意は事実上、破綻している。

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c ハラム・アッシャリーフとは”. コトバンク. 世界大百科事典 第2版 (平凡社). 2022年7月14日閲覧。
  2. ^ Warren, Charles、Palestine Exploration Fund、Conder, C. R. (Claude Reignier)『The survey of Western Palestine-Jerusalem』Robarts - University of Toronto、London : Palestine Exploration Fund、1884年、119頁https://archive.org/details/surveyofwesternp00warruoft2022年4月4日閲覧 
  3. ^ ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれ、イスラム教では「ハラム・アッシャリーフ」などと呼ばれる聖地”. www.cnn.co.jp. 2022年4月4日閲覧。
  4. ^ a b c Behind the Headlines: Jerusalem's Temple Mount”. イスラエル外務省 (2014年11月17日). 2022年4月4日閲覧。
  5. ^ Magazine, Smithsonian (2011年4月). “What is Beneath the Temple Mount?” (英語). Smithsonian Magazine. 2022年4月4日閲覧。
  6. ^ Cohen-Hattab, Kobi『The Western Wall : the dispute over Israel's holiest Jewish site, 1967-2000』Doron Bar、Leiden、Boston、2020年、1頁。ISBN 978-90-04-43133-1OCLC 1153338372https://www.worldcat.org/oclc/1153338372 
  7. ^ Gross, Judah Ari (2017年7月26日). “The metal detectors are gone, so how does Temple Mount security work now?” (英語). www.timesofisrael.com. 2022年4月4日閲覧。

外部リンク