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1918年には貨物営業開始のため[[有蓋車|有蓋貨車]]2両が製造され、翌年度には[[鉄道省]]より[[無蓋車|無蓋貨車]]を購入した。これらの[[貨車]]は当初は蒸気動車に連結されていたが、運行上の問題が多く、1924年に[[オーレンシュタイン・ウント・コッペル]]社製の蒸気機関車1両(C形タンク)を購入し、長谷鉄道1号とした。 |
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1930年には[[日本車輌製造]]製の軌道自動車([[気動車|ガソリンカー]])であるレカ1形レカ1 - レカ3の3両を購入し、7月には蒸気動車を置き換えた。1両は[[余市臨港軌道]]へ譲渡され同社のキハ1とされ、その後1939年7月に[[小湊 |
1930年には[[日本車輌製造]]製の軌道自動車([[気動車|ガソリンカー]])であるレカ1形レカ1 - レカ3の3両を購入し、7月には蒸気動車を置き換えた。1両は[[余市臨港軌道]]へ譲渡され同社のキハ1とされ、その後1939年7月に[[小湊鉄道]]へ渡りキハ1として使用されたが、短期間で無動力の客車に改造され、[[1954年]](昭和27年)まで使用された<ref>『鉄道ピクトリアル』1973年10月号、54頁</ref>。 |
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レカ1形は長谷線廃止後3両とも[[大和鉄道]]へ譲渡されレカ21形となった。 |
レカ1形は長谷線廃止後3両とも[[大和鉄道]]へ譲渡されレカ21形となった。 |
2023年1月7日 (土) 09:59時点における最新版
長谷線 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:桜井駅 終点:初瀬駅 |
駅数 | 2駅、5停留所 |
運営 | |
開業 | 1909年12月11日 |
廃止 | 1938年2月1日 |
所有者 | 初瀬軌道→初瀬鉄道→長谷鉄道→大阪電気軌道 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 5.6 km (3.5 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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長谷線(はせせん)は、かつて近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)が保有していた鉄道路線(廃線)である。
概要
[編集]真言宗の古刹として知られる長谷寺は、古くから「初瀬(はせ)詣で」として多くの参拝客を集めていた。そのため鉄道院桜井線の桜井駅より分岐して、長谷寺より1km手前の初瀬駅に至る軌道を参拝輸送などの目的で建設することになり、1909年(明治42年)に開業した。
会社は当初初瀬軌道(はせきどう)と称したが、後に初瀬鉄道と改称し、さらに大正になると長谷鉄道に再編するなど、改変を繰り返した。
その後、近鉄の前身である大軌が子会社の参宮急行電鉄(参急)を設立し、桜井駅から伊勢神宮へ向かう路線を建設することになったが、長谷鉄道ではこれが開業すると全線で並行する形になるため、会社では競争を避け補償も兼ねる目的から、1928年(昭和3年)に大軌へ合併することにして同社の長谷線となった。
1929年(昭和4年)に参急線が開業した後、1930年(昭和5年)に経営合理化のため軌道自動車(ガソリンカー)が3両導入されて老朽化が進んでいた既存の蒸気動車を代替し、路線存続の道が模索された。
しかし、参急線に加えて並行区間に乗合自動車が営業を開始し乗客が激減したため、長谷線は1938年(昭和13年)に全線廃止となった。
路線データ
[編集]- 路線距離:桜井 - 初瀬間5.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数
- 停車場:2
- 停留所:5
- 電化区間:なし
- 複線区間:なし
運行概要
[編集]1933年12月20日当時
- 運行本数:6時から22時台まで日19往復(毎時ほぼ1本で、夕方2本)
- 所要時間:全線14分
なお当時、参急本線の桜井 - 長谷寺間は所要6分、終日1時間間隔
歴史
[編集]- 1909年(明治42年)12月11日 - 初瀬軌道により開業
- 1912年(明治45年)2月10日 - 初瀬鉄道と改称、軌道条例に基づく軌道から軽便鉄道法に基づく軽便鉄道に変更[1]
- 1913年(大正2年)6月7日 - 鉄道免許状下付(奈良県磯城郡初瀬町-三重県飯南郡松阪町間)[2]
- 1915年(大正4年)
- 1927年(昭和2年)12月21日 - 大阪電気軌道との合併について、鉄道大臣と内務大臣が認可[4]
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1938年(昭和13年)2月1日 - 廃止[11]
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1910 | 263,825 | 26,592 | 20,469 | 6,123 | ||||
1911 | 265,364 | 25,220 | 17,605 | 7,615 | ||||
1912 | 276,191 | 26,104 | 17,322 | 8,782 | 1,659 | |||
1913 | 276,330 | 26,451 | 18,954 | 7,497 | 11,319 | |||
1914 | 248,183 | 23,724 | 20,212 | 3,512 | 12,246 | |||
1915 | 284,687 | 26,756 | 17,081 | 9,675 | 3,178 | |||
1916 | 271,992 | 25,125 | 17,888 | 7,237 | 2,310 | |||
1917 | 366,134 | 319 | 35,491 | 23,848 | 11,643 | 1,158 | 3,455 | |
1918 | 409,329 | 4,267 | 41,725 | 31,177 | 10,548 | 2,178 | ||
1919 | 503,426 | 4,459 | 55,144 | 44,979 | 10,165 | 773 | ||
1920 | 517,597 | 4,148 | 70,253 | 54,174 | 16,079 | 290 | ||
1921 | 497,096 | 2,693 | 76,778 | 53,546 | 23,232 | |||
1922 | 534,849 | 2,267 | 81,512 | 51,921 | 29,591 | |||
1923 | 565,732 | 1,729 | 85,528 | 57,589 | 27,939 | 94 | ||
1924 | 566,662 | 2,836 | 87,508 | 55,168 | 32,340 | 2,066 | ||
1925 | 580,199 | 3,463 | 88,993 | 53,897 | 35,096 | 準備金繰入3,500 | 4,773 | |
1926 | 577,954 | 5,039 | 87,720 | 54,595 | 33,125 | 4,726 | ||
1927 | 486,483 | 3,627 | 71,833 | 42,824 | 29,009 | 2,154 | ||
1928 | 637,873 | 9,097 | 97,516 | 58,699 | 38,817 | 8,443 | ||
1929 | 539,138 | 32,462 | 87,849 | 51,288 | 36,561 | 16,977 | ||
1930 | 270,687 | 6,052 | 27,261 | 35,503 | ▲ 8,242 | 16,551 | ||
1931 | 204,321 | 18,634 | 21,860 | ▲ 3,226 | 償却金26,543 | 17,205 | ||
1932 | 184,572 | 17,056 | 11,250 | 5,806 | 9,577 | |||
1933 | 186,537 | 17,294 | 13,771 | 3,523 | ||||
1934 | 192,894 | 18,234 | 13,311 | 4,923 | 7,000 | |||
1935 | 182,807 | 16,670 | 12,899 | 3,771 | 7,561 | |||
1936 | 183,119 | 16,380 | 16,990 | ▲ 610 | 償却金26,106 | 5,774 | ||
1937 | 149,345 | 12,847 | 13,203 | ▲ 356 | 2,863 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
[編集]開業時、初瀬軌道ではアメリカのフロンティア期における蒸気機関車のような「カウキャッチャー」(排障器)を取り付けた、日本では例の少ない蒸気動車4両(工藤式。当時は自働客車と称した。いずれも汽車製造製)を導入した(「日本の気動車史」も参照)。
長谷鉄道の時代には乗客増加に対処するために客車2両を増備した。詳細は不明だが定員より明治中期製造の2軸客車を譲り受けたものだとされている[12]。
1918年には貨物営業開始のため有蓋貨車2両が製造され、翌年度には鉄道省より無蓋貨車を購入した。これらの貨車は当初は蒸気動車に連結されていたが、運行上の問題が多く、1924年にオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製の蒸気機関車1両(C形タンク)を購入し、長谷鉄道1号とした。
1930年には日本車輌製造製の軌道自動車(ガソリンカー)であるレカ1形レカ1 - レカ3の3両を購入し、7月には蒸気動車を置き換えた。1両は余市臨港軌道へ譲渡され同社のキハ1とされ、その後1939年7月に小湊鉄道へ渡りキハ1として使用されたが、短期間で無動力の客車に改造され、1954年(昭和27年)まで使用された[13]。
レカ1形は長谷線廃止後3両とも大和鉄道へ譲渡されレカ21形となった。
駅一覧
[編集]桜井駅 - 北口停留所 - 外山停留所 - 宇陀ヶ辻停留所 - 慈恩寺停留所 - 黒崎停留所 - 初瀬駅
慈恩寺停留所は、1944年(昭和19年)に開設された大和朝倉駅に近接。初瀬駅は長谷寺駅より大阪寄りにあり、現在は観光バス用の駐車場と化している。
接続路線
[編集]脚注
[編集]- ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1912年2月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1915年11月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「第参拾五回報告書」大阪電気軌道、1928年 p.3
- ^ 「第参拾五回報告書」大阪電気軌道、1928年 p.12
- ^ 「第参拾八回報告書」大阪電気軌道、1929年 p.4
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「第参拾九回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.2
- ^ 「第四拾回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.3
- ^ 「第四拾回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.2
- ^ 「鉄道営業廃止実施」『官報』1938年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1973年10月号、55頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1973年10月号、54頁
参考文献
[編集]- 山崎寛「長谷鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.284 1973年1月号