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[[1978年]]は8勝をマークするが、8勝中6勝は秋の福島で挙げ、[[10月29日]]の第10競走河北新報杯では11頭中11番人気のベンテンクインで勝利<ref name="夏のバス停で" />。[[1979年]]と[[1981年]]は共に福島戦4勝を含む5勝、[[1980年]]には4年ぶりの2桁で福島戦6勝を含む10勝をマーク。[[1982年]]には[[11月20日]]の福島第3競走3歳新馬・コバシマカイジンで勝利し、同馬には[[1984年]]に降雪でダート変更になった[[アメリカジョッキークラブカップ]]<ref>[https://race.sanspo.com/keiba/news/20190123/etc19012312040005-n3.html 【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(70)】月齢や大寒の教訓忘れず降雪の怖さ見据えて機を待つ(3/3ページ)]</ref>にも騎乗して、[[ホリスキー]]・[[ビンゴカンタ]]・[[ビクトリアクラウン]]の豪華メンバー<ref>[https://uma-jin.net/new/salon/salon_detail/11609/0/104 【アメリカジョッキークラブC】仕切り直しのガイアフォース 充実の1年にするためにも、ここは負けられない一戦]</ref>を相手に4着と健闘している。
[[1978年]]は8勝をマークするが、8勝中6勝は秋の福島で挙げ、[[10月29日]]の第10競走河北新報杯では11頭中11番人気のベンテンクインで勝利<ref name="夏のバス停で" />。[[1979年]]と[[1981年]]は共に福島戦4勝を含む5勝、[[1980年]]には4年ぶりの2桁で福島戦6勝を含む10勝をマーク。[[1982年]]には[[11月20日]]の福島第3競走3歳新馬・コバシマカイジンで勝利し、同馬には[[1984年]]に降雪でダート変更になった[[アメリカジョッキークラブカップ]]<ref>[https://race.sanspo.com/keiba/news/20190123/etc19012312040005-n3.html 【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(70)】月齢や大寒の教訓忘れず降雪の怖さ見据えて機を待つ(3/3ページ)]</ref>にも騎乗して、[[ホリスキー]]・[[ビンゴカンタ]]・[[ビクトリアクラウン]]の豪華メンバー<ref>[https://uma-jin.net/new/salon/salon_detail/11609/0/104 【アメリカジョッキークラブC】仕切り直しのガイアフォース 充実の1年にするためにも、ここは負けられない一戦]</ref>を相手に4着と健闘している。


[[1983年]]には3年ぶりの2桁となる10勝、1984年には2年連続2桁となる14勝をマーク。[[1985年]]には[[共同通信杯|共同通信社杯4歳ステークス]]でジョーダッシュに騎乗し、不良馬場で特に状態の悪かった内側から突っ込み、馬場に苦しむ[[サクラユタカオー]]に迫る<ref>『[[優駿]]』1993年5月号 66頁</ref>。同馬を上回る勢い<ref>『優駿』1985年4月号 128頁</ref>であったが、クビ差<ref>『優駿』1985年4月号 129頁</ref>2着に終わる。[[1986年]][[8月31日]]の[[新潟競馬場|新潟]]で自身最後の1日2勝を挙げるが、同日の第4競走4歳未勝利をダイワマーチスで逃げ切って通算100勝を達成。[[1987年]][[7月4日]]の福島第2競走4歳未勝利・サクラコマチが最後の勝利、[[1988年]][[3月20日]]の東京第12競走4歳以上900万下・キャピタルシロー(13頭中6着)が最後の騎乗となった。1988年引退。
[[1983年]]には3年ぶりの2桁となる10勝、1984年には2年連続2桁となる14勝をマーク。[[1985年]]には[[共同通信杯|共同通信社杯4歳ステークス]]でジョーダッシュに騎乗し、不良馬場で特に状態の悪かった内側から突っ込み、馬場に苦しむ[[サクラユタカオー]]に迫る<ref>『[[優駿]]』1993年5月号 66頁</ref>。同馬を上回る勢い<ref>『優駿』1985年4月号 128頁</ref>であったが、クビ差<ref>『優駿』1985年4月号 129頁</ref>2着に終わる。同じく不良馬場で行われた[[東京優駿]]では1コーナー付近では早くも内ラチ沿いから馬の姿が消え、2コーナーを回って向こう正面の段階では、先行した馬が争うように馬場の中央より外へと殺到する中、ただ1頭だけ乾坤一擲で内ラチ沿いのコースを取って一発逆転を狙ってはみたものの、最下位に沈んでいる<ref>[https://retsuden.com/horse_information/2023/15/306/5/ シリウスシンボリ列伝 ~漂泊の天狼星 - Retsuden]</ref>。
[[1986年]][[8月31日]]の[[新潟競馬場|新潟]]で自身最後の1日2勝を挙げるが、同日の第4競走4歳未勝利をダイワマーチスで逃げ切って通算100勝を達成。[[1987年]][[7月4日]]の福島第2競走4歳未勝利・サクラコマチが最後の勝利、[[1988年]][[3月20日]]の東京第12競走4歳以上900万下・キャピタルシロー(13頭中6着)が最後の騎乗となった。1988年引退。


== 騎手成績 ==
== 騎手成績 ==

2023年6月12日 (月) 09:36時点における版

花松進
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1953-07-06) 1953年7月6日(71歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
初免許年 1975年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1988年3月20日
重賞勝利 0勝
通算勝利 104勝
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花松 進(はなまつ すすむ、1953年7月6日 - )は、日本の元騎手

経歴

1975年3月1日中山第2競走4歳未勝利・ベルシャンティ(15頭中10着)で初騎乗を果たし、10月12日福島第10競走4歳以上300万下・ルプートターフで初勝利を挙げる。翌週の10月18日には福島第1競走3歳未勝利・カズマで2週連続勝利で2勝目、11月2日の福島第8競走伊達特別・スガナイトで初の特別勝ちを挙げる。福島開催では秋の3勝のほか、春秋合わせて2着5回、3着7回と活躍した。

2年目の1976年には初の2桁で自己最多の18勝をマークし、18勝中9勝は福島開催でマーク。5月15日翌16日の福島では初の2日連続勝利、6月12日東京では初の1日2勝を記録。12月11日の中山第6競走4歳以上300万下では22頭中19番人気のマルキミオーで勝利するが、2着にはアタマ差で15番人気のダンバーズシチーが入り、3着と4着はハナ、ハナという大接戦で波乱を演出。

マルキミオーでは3年目の1977年6月26日の中山第10競走下総特別でも16頭中14番人気で勝利し、1977年は第22回有馬記念が行われた12月18日、有馬記念の前の第8競走4歳以上600万下をセツザンで勝利[1]

1978年は8勝をマークするが、8勝中6勝は秋の福島で挙げ、10月29日の第10競走河北新報杯では11頭中11番人気のベンテンクインで勝利[1]1979年1981年は共に福島戦4勝を含む5勝、1980年には4年ぶりの2桁で福島戦6勝を含む10勝をマーク。1982年には11月20日の福島第3競走3歳新馬・コバシマカイジンで勝利し、同馬には1984年に降雪でダート変更になったアメリカジョッキークラブカップ[2]にも騎乗して、ホリスキービンゴカンタビクトリアクラウンの豪華メンバー[3]を相手に4着と健闘している。

1983年には3年ぶりの2桁となる10勝、1984年には2年連続2桁となる14勝をマーク。1985年には共同通信社杯4歳ステークスでジョーダッシュに騎乗し、不良馬場で特に状態の悪かった内側から突っ込み、馬場に苦しむサクラユタカオーに迫る[4]。同馬を上回る勢い[5]であったが、クビ差[6]2着に終わる。同じく不良馬場で行われた東京優駿では1コーナー付近では早くも内ラチ沿いから馬の姿が消え、2コーナーを回って向こう正面の段階では、先行した馬が争うように馬場の中央より外へと殺到する中、ただ1頭だけ乾坤一擲で内ラチ沿いのコースを取って一発逆転を狙ってはみたものの、最下位に沈んでいる[7]

1986年8月31日新潟で自身最後の1日2勝を挙げるが、同日の第4競走4歳未勝利をダイワマーチスで逃げ切って通算100勝を達成。1987年7月4日の福島第2競走4歳未勝利・サクラコマチが最後の勝利、1988年3月20日の東京第12競走4歳以上900万下・キャピタルシロー(13頭中6着)が最後の騎乗となった。1988年引退。

騎手成績

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 104 139 121 1094 1458 .071 .167

脚注

  1. ^ a b 第189便 夏のバス停で | 2010年 | 烏森発牧場行き | JBISコラム | お楽しみ
  2. ^ 【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(70)】月齢や大寒の教訓忘れず降雪の怖さ見据えて機を待つ(3/3ページ)
  3. ^ 【アメリカジョッキークラブC】仕切り直しのガイアフォース 充実の1年にするためにも、ここは負けられない一戦
  4. ^ 優駿』1993年5月号 66頁
  5. ^ 『優駿』1985年4月号 128頁
  6. ^ 『優駿』1985年4月号 129頁
  7. ^ シリウスシンボリ列伝 ~漂泊の天狼星 - Retsuden