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「ノート:後三年の役」の版間の差分

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== 合戦名は「後三年の役」か「後三年合戦」か。 ==
== 合戦名は「後三年の役」か「後三年合戦」か。 ==

すでに「後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。」とありますので、大きな問題ではありません。ただ、どちらをメインの合戦名称にするか、ということです。
すでに「後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。」とありますので、大きな問題ではありません。ただ、どちらをメインの合戦名称にするか、ということです。
このことを疑問に思いましたのが、秋田県横手市の「後三年の役資料館」が、最近(具体的にいつかも不明)「後三年合戦資料館」に名称変更されていることに気づいたからです。
このことを疑問に思いましたのが、秋田県横手市の「後三年の役資料館」が、最近(具体的にいつかも不明)「後三年合戦資料館」に名称変更されていることに気づいたからです。
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:::このように安部氏などは蝦夷の一族とされて「役」が使用されたと思われますが、近年では安部氏らの出自についても中央(朝廷)貴族に系譜があるとされているようです(永田英明「古代から中世への変革と戦乱」東北大学日本史研究室編『東北史講義【古代・中世篇】』筑摩書房、2023年、80頁、ISBN9784480075215)。記事名の検討のご参考になれば幸いです。--[[利用者:上野ハム|上野ハム]]([[利用者‐会話:上野ハム|会話]]) 2023年5月6日 (土) 05:32 (UTC)
:::このように安部氏などは蝦夷の一族とされて「役」が使用されたと思われますが、近年では安部氏らの出自についても中央(朝廷)貴族に系譜があるとされているようです(永田英明「古代から中世への変革と戦乱」東北大学日本史研究室編『東北史講義【古代・中世篇】』筑摩書房、2023年、80頁、ISBN9784480075215)。記事名の検討のご参考になれば幸いです。--[[利用者:上野ハム|上野ハム]]([[利用者‐会話:上野ハム|会話]]) 2023年5月6日 (土) 05:32 (UTC)
:{{コメント}} 書店で『もういちど読みとおす 山川 新日本史 上』(2022年発行、{{ISBN2|978-4634591264}})を立ち読みしたら「合戦」表記になっていました。とりあえず報告だけ。--[[利用者:ねこざめ|ねこざめ]]([[利用者‐会話:ねこざめ|会話]]) 2023年6月7日 (水) 19:40 (UTC)
:{{コメント}} 書店で『もういちど読みとおす 山川 新日本史 上』(2022年発行、{{ISBN2|978-4634591264}})を立ち読みしたら「合戦」表記になっていました。とりあえず報告だけ。--[[利用者:ねこざめ|ねこざめ]]([[利用者‐会話:ねこざめ|会話]]) 2023年6月7日 (水) 19:40 (UTC)

*{{自動失効}} 議論停止から1か月以上経過したたため自動失効。必要なら再度改名提案をしてください。--[[特別:投稿記録/2001:268:C208:3056:C1B0:3347:CB26:D31D|2001:268:C208:3056:C1B0:3347:CB26:D31D]] 2023年8月5日 (土) 14:51 (UTC)

2023年8月5日 (土) 14:52時点における版

「国庫からの恩賞支弁を拒否」とありますが、恩賞は通常「官位」「官職」特に京近くの大国・熟国の受領などで、「物」ではないと思いますが如何でしょうか。

次ぎに、「10年後の承徳2年(1098年)の従四位下昇進に伴う免除によって解由が下される」とありますが、そのときになったのは「正四位下」だったと思います。

もうひとつ、「解由が下される」つまり「受領功過定」を通らなければ昇進も次の官職もないというのが当時の法制度だったと思いますが、セットで考えるにしても記述としては順序をつけた方がよいのではないでしょうか。

また、これを「免除」されたとすれば、「中右記」1098年(承徳2)正月23日条の「今日左府候官奏給云々、是前陸奥守義家朝臣依済舊國公事、除目以前被忩行也、件事依有院御気色也 、左大史廣親候奏」だと思いますが、元木泰雄氏は『王朝の変容と武者』p431(精文堂 2005年)でこれを「ようやく官物を完済」と解釈されています。この「官奏」を「免除」ととられた理由はどういったことなのでしょうか。私自身はその解釈に迷っているところなので、御教示頂ければ幸いです。(--KTMCHI 2007年11月14日 (水) 13:29 (UTC)[返信]

合戦名は「後三年の役」か「後三年合戦」か。

すでに「後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。」とありますので、大きな問題ではありません。ただ、どちらをメインの合戦名称にするか、ということです。 このことを疑問に思いましたのが、秋田県横手市の「後三年の役資料館」が、最近(具体的にいつかも不明)「後三年合戦資料館」に名称変更されていることに気づいたからです。

そこで、国会図書館のサイトで調べましたら、最近この関係で出版された本は、すべて「後三年合戦」のようです。 ウィクショナリーで「役」を調べましたら、中央政府が武器を持って辺境に遠征して反乱軍を鎮圧するイメージがあるみたいで、そんなふうに合戦を一面的に規定する「役」は学術上、好ましくないと考えられて、学者さんの間で「後三年合戦」に変えられてのでしょうか。

これを変更することになると、「前九年の役」も「前九年合戦」に変えることになりますね。そういえば、こちらも、国会図書館のサーチで、「前九年の役」などと称する出版物は古いものばかりで、最近のは「前九年合戦」ですね。

専門の歴史学者の方々に編集していただいたほうがよいと思いまして、ここでは問題提起だけしておきます。問題提起だけで申し訳ありません。自分では、調べるすべがないのです。

---以上は2020年6月13日 (土) 12:34‎ Hana87hana さんの投稿

最近wikipediaから遠ざかっていましたが、私も「後三年合戦」とするのが適切であろうと思います。
---Ktmchi会話2020年6月14日 (日) 16:23 (UTC)[返信]
歴史にはあまり詳しくありませんが、横手市公式サイトの解説ページにも「『後三年合戦』が正しい表記で、近年ではこちらが使用されている」といった情報があるようですね。--Raripochi会話2022年2月11日 (金) 08:49 (UTC)[返信]
議論が始まってからだいぶ時が経っていますが、「後三年合戦」への改名提案を出します。かつて「後三年の役」という表記が用いられていたということは事実ですが、今日では「後三年合戦」の表記がメインに用いられるようになっため、そちらを優先して表記すべきだという考えです。(上記の会話も参照)--Rarisan会話2023年4月25日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
(現状では反対より) 前九年、後三年合戦の表記がメインになったというのが主観に過ぎず客観的に示されていません。例えば横手市では後三年合戦ですが、岩手県では後三年の役です。CiNii検索でざっと見た限り後三年合戦がメインかなとは思いますが、改名するには明確な根拠が必要と考えます。--たびびと551会話2023年4月25日 (火) 11:37 (UTC)[返信]
こんにちは!参考になるか分かりませんが、乱・変・役の語の使い分けについて「レファレンス協同データベース」に回答がありました。また、役から合戦への語句の推移については、一般書ですが戸川点による説明があったので引用します。
また明治以降、近年まで前九年・後三年の役と「役」の語を用いて呼ばれてきたが、「役」は異民族、他国との戦いに用いられる場合が多く、安部氏や清原氏を蝦夷として蔑視して「役」の語を用いてきたのではないかと指摘もある(木村茂光「乱と変と役」『歴史評論』四五七号、一九八八)。そのために最近は「役」ではなく合戦の名称を用いるようになっているのである。
戸川点、「前九年合戦・後三年合戦」佐藤信編『古代史講義【戦乱篇】』筑摩書房、2019年、256頁、ISBN9784480072122
このように安部氏などは蝦夷の一族とされて「役」が使用されたと思われますが、近年では安部氏らの出自についても中央(朝廷)貴族に系譜があるとされているようです(永田英明「古代から中世への変革と戦乱」東北大学日本史研究室編『東北史講義【古代・中世篇】』筑摩書房、2023年、80頁、ISBN9784480075215)。記事名の検討のご参考になれば幸いです。--上野ハム会話2023年5月6日 (土) 05:32 (UTC)[返信]
コメント 書店で『もういちど読みとおす 山川 新日本史 上』(2022年発行、ISBN 978-4634591264)を立ち読みしたら「合戦」表記になっていました。とりあえず報告だけ。--ねこざめ会話2023年6月7日 (水) 19:40 (UTC)[返信]