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[[1971年]](昭和46年)[[早稲田大学]][[大学院]][[修士課程]][[修了]]、株式会社[[日建設計]]に入社。設計部長、常務取締役大阪本社代表、NUI日建設計都市・建築研究所長、NSRI日建設計総合研究所役員等を歴任。日建設計公開連続講演「都市経営フォーラム」を2002年~2010年(毎月開催)主宰。2007年~2011年九州大学大学院芸術工学府・HME育成ユニット講義担当、2011年株式会社日建設計顧問退任。2012年自宅に思索アトリエを開設し研究思索と著述活動を展開。 |
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代表作に、[[ひろしま美術館|ひろしま美術館(建設業協会第二十回BCS賞・1979年)]]、[[西宮市大谷記念美術館]](日本建築学会作品選集・1992年)、住友生命いずみホール、あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー&ザ・フェニックスホール、クラブ関西、国際高等研究所(京阪奈)、OBPキャッスルタワー、関電ビルディング他多数。 |
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2023年8月19日 (土) 03:36時点における版
斜体文
與謝野 久(よさの ひさし、1946年 - )は、日本の建築家。公益社団法人JIA日本建築家協会2006~2010年理事・副会長、フェロー会員、一般社団法人日本建築協会理事・副会長1995年~2001年、日本建築学会終身正会員、2004年国土交通大臣表彰、2011年博士(工学)、2015年紺綬褒章受章。人間の創造的思考生成の流れとその全体像について、独特の「生の哲学----生きるは創る、創るは生きる(生即是創創即是生--循環する生の創るいとなみ)」にもとづく、こころのいとなみの哲学、最新の脳科学と生命科学、量子力学的視座等の多分野横断的・包括的な心脳一体的視座で思索執筆。2011年以来、東日本大震災災禍供養他の趣旨で魔訶般若波羅蜜多心経の写経を京都東山・法然院に納め、令和四年十一月に参千七百巻を納経。最新の新自然学、認知神経科学、量子脳的知見、非線形科学、こころの哲学、唯識、生命誌、文化芸術的知見、創発的・工学的知見等、とりわけ量子の振る舞いと脳内神経組織との統合的なはたらきの視座から、人間の「創造性」の生成の流れと仕組みを追究する新たな知の体系に強い関心を向けている。大阪府生まれ。
「生即是創 創即是生」---生きるいとなみは「創る」いとなみである。我々の生体細胞は寸刻ごとに変質し、こころも絶えず変容しつつ、心身ともに、その都度新たな生存様態を創り出しこれを積み重ね、一つの生体全体レベルにおいて尊い生の創造的営為を繰り返し間断なく続けている。悠久数十万年の人類の進化史のなかで、自らの生体細胞の「創(ハジメ)」を際限なく繰り返し、絶えず「唯一無二」の「生のかたち(個体と軌跡)」を生み出し積み重ねて来ているこの営為には、遺伝子(実体としてのDNA)にもとづく厳かな「生の循環」のいとなみの摂理が息づいている。我々の生体の生の存続のいとなみは、言わば「創(ハジメ)」の円環的な繰り返しから成り、生体の個体としての滅死を迎えてもそれ以前に継承されたその個体の遺伝子が、これまでの人類全体の遺伝子群の壮大な継承の流れのなかに織り込まれ続ける。このことから結局のところ、ゲノムの個別性と普遍性の交雑・融合という視座では「終わり」のない、時空を超えた連鎖積層的な、言わば不死のそして不私の生のいとなみという側面がある。こうした「個別性と普遍性の繰り返し」、「創(ハジメ)の遠大な多層化」、それでも「絶えず唯一無二」、悠久不断の「生の循環」等々、これらの厳かにして尊い生体構造は、人間の身体内の器官細胞の基幹的な組織部位に、そもそも生得的に織り込まれているとの知見もある。一方、その脳細胞神経組織のはたらきのなかで、「意識」のはたらきと量子の振る舞いとの相関性に、脳内神経組織網の統合的活動を解明するヒントがあることと、その「意識」の複数のはたらき状態(顕在・潜在・覚醒・無意識、六識・末那識・阿頼耶識など。量子論での複数の”波動関数”の動きに相当)と一点集中化した意識状態(”波動関数の収縮”に相当)との動的ないとなみのなかに、エネルギー概念の量子の振る舞いと、意識を活性化させている脳内各器官のニューロン組織群の発火の振る舞いなどに、構造的同型に近い様相がある、などの知見も見られる。つまり、「もの」の究極的な極微小のエネルギー因子と、「意識」というこころの活動の究極因子とが、E=MC2の理の通り、一定係数のもとでの交換図式上に、意味ある連関を示唆しているようである。このことから、上述の生の循環の摂理は、人間の脳細胞における思考のいとなみと、意識活動を活性化させる脳内ニューロン活動の発火(一点集中)のはたらき、そしてこれらから生まれる「創造性」生成の流れ等々には、重要な脳内の分子組織以下の極微小次元での連続性がはたらいていて、その働きの構造は、量子の振る舞いという観点からも同一視座で解明できるのではないか、とも推察されるのである。
数万年前の弱小生物であった人類が捕食動物からの脅威を凌ぐための創発的営為を重ねて来た歴史的軌跡は、現代においても、日々のいとなみのなかでの身近な体験例として、逆境に立ち向かう逞しい生の創発的ないとなみ、生の存続のためのクリエイティブな活動のなかでの「ひらめき」などにも受け継がれている、と考えられる。そしてこの視座をさらに広げていけば、少し飛躍するが、「意識→量子→意識」という、脳科学と量子エネルギー科学との統合的視座から、極微小細胞の分子組織レベルでの基盤的に広く深い解明の道も拓かれ、脳内組織の「ひらめき」におけるその発火へ向けての発生の構造の解明も一層深められるようにも感じられる。
略歴
1971年(昭和46年)早稲田大学大学院修士課程修了、株式会社日建設計に入社。設計部長、常務取締役大阪本社代表、NUI日建設計都市・建築研究所長、NSRI日建設計総合研究所役員等を歴任。日建設計公開連続講演「都市経営フォーラム」を2002年~2010年(毎月開催)主宰。2007年~2011年九州大学大学院芸術工学府・HME育成ユニット講義担当、2011年株式会社日建設計顧問退任。2012年自宅に思索アトリエを開設し研究思索と著述活動を展開。
代表作に、ひろしま美術館(建設業協会第二十回BCS賞・1979年)、西宮市大谷記念美術館(日本建築学会作品選集・1992年)、住友生命いずみホール、あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー&ザ・フェニックスホール、クラブ関西、国際高等研究所(京阪奈)、OBPキャッスルタワー、関電ビルディング他多数。
著作物
- 「新建築住宅設計競技1970」 入選--低層超高密度集合住宅計画の提案 新建築1970年11月
- 「路と集団--住環境の構成に関する一考察」昭和46年早稲田大学大学院理工学研究科修士論文 1971年
- 「ひろしま美術館の設計」新建築社 1978年
- 「成熟したオフィス空間をめざして」日本建築協会機関誌”建築と社会” 投稿 1986年10月
- 「音楽の源泉を求めて--いずみホール誕生」1990年オープン記念誌 共著
- 「OBPキャッスルタワービル」日本建築学会作品選集1990年
- 「西宮市大谷記念美術館」日本建築学会作品選集 1992年
- 「ザ・フェニックスホール--室内楽と空間と都市のトライアングル」1995年オープン記念誌 共著
- 「ARCHITECT’s EYE 」日本建築協会機関誌 投稿 1995年 9月~12月
- 「建築と私と社会--21世紀を見据えて」日本建築協会座談会(座長横尾義貫京都大学名誉教授)講演誌1997年4月
- 「多様展開と専門深化の両極を共在」建設通信新聞インタビュー 2000年7月3日
- 「都市経営フォーラム--日建設計」講演誌を毎月発行 2002年~2010年
- 「国際高等研究所(京阪奈)」日本建築学会作品選集 2004年
- 「(仮称)設計者選定法の取り組み」JIA日本建築家協会アニュアルレポート 投稿 2005年
- 「時は、いま----品確法の施行を機に」建設通信新聞 投稿 2005年6月
- 「私の景観論---糸玉づくり」建設通信新聞投稿 2005年10月
- 「まちへ」--建築家の本 都市・景観を考える” 共著 2006年
- 「”建築士法改正”へ向けての取り組みの軌跡」JIA日本建築家協会機関誌 投稿 2006年
- 「活動シーズの変遷とその行方(”建築と社会”1000号記念誌)日本建築協会 2006年7月
- 「技術力に基づく適正な選定方式に向けての現状と課題」--建設コンサルタンツ協会との座談会 2007年
- 「関電ビルディング」日本建築学会作品選集 2007年
- 「ひろしま美術館オープン30周年記念講演--愛とやすらぎのために」JIA日本建築家協会中国支部広島地域会講演 2008年11月
- 「ホールと工学技術--九州大学大学院芸術工学府 ”HME(Hall-Managing-Engineer)育成ユニット”の講義--「ホール技術」担当」2007年~2010年
- 「職能と資格(心)、地域の潮流(技)、若手とオープン(体)」 JIA日本建築家協会京都大会シンポジウム・セミナー報告 2009年
- 「新告示を含む--改正法体系への期待と今後の論点」公共建築 寄稿 2009年4月
- 「多主体の視座に立つ実践設計論の研究」平成23年神戸大学博士論文(工学)神戸大学図書館 アトリエYOSANO研究叢書Ⅰ
- 「創造思考のダイナミズムを組織する”多重螺旋統合”に関する実践研究」アトリエYOSANO研究叢書Ⅱ
- 「”設計”といういとなみの尊さについての実践研究」アトリエYOSANO研究叢書Ⅲ
- 「底つ貝さぐらばあらん触れがたし・・・・・・」与謝野晶子倶楽部機関誌第14号 晶子挽歌選 寄稿 2017年3月
- 「あいさつ--人・自然・社会との「ともいき」の表明に見られる創発の構造に関する考察」アトリエYOSANO研究叢書Ⅳ
- 「ひらめきの発見---小さな生成誌”創推曼荼羅論”から」アトリエYOSANO研究叢書Ⅴ 2018年4月
- 「創るというこころのいとなみ---作品を通じて、その全体像(曼荼羅)を考える」--JIA日本建築家協会近畿支部兵庫地域会講演 2020年1月
- 「創るというこころのいとなみ--”意味の場”を考える」アトリエYOSANO研究叢書Ⅵ 2020年9月
- 「こころの声を」与謝野晶子倶楽部通信”潮の遠鳴り” 創刊号 寄稿 2021年3月
- 「生即是創 創即是生 自覚覚他 覚行円満」 法然院・霊標揮毫 2023年1月
- 「クラブの”元気”のルーツ考」 阪急仁川テニスクラブ 会報 NO.35 投稿 2023年3月
親族
- 曾祖父:與謝野礼厳 - 僧侶・歌人
- 祖父:與謝野鉄幹 - 歌人
- 祖父(母方)国府精一--住友総本社・理事
- 祖母:與謝野晶子 - 歌人
- 伯父:與謝野秀 - 外交官
- 義伯母:與謝野道子 - 評論家
- 従兄弟:與謝野馨 - 政治家
- 従兄弟:與謝野達 - 金融家
- 父:與謝野健 - 住友金属工業・副社長
参考文献
- 「特集日建設計創業100周年企画 第三部 座談会/100年を考える-過去から未来へ」建築と社会 2000年