コロムビア・ライト
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(コロンビア・ライトから転送)
コロムビア・ライト | |
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本名 |
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生年月日 | 1927年3月30日 |
没年月日 | 2010年10月26日(83歳没) |
出身地 | 日本 東京都港区 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 大倉高等商業学校中退 |
師匠 | 柳家三亀松 |
コンビ名 | コロムビア・トップライト |
相方 | コロムビア・トップ |
芸風 | 漫才 |
活動時期 | 1949年 - 2010年 |
他の活動 |
落語芸術協会理事 社団法人あゆみの箱常務理事 |
コロムビア・ライト(1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2010年〈平成22年〉10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名∶鳥屋 二郎。東京都港区出身。大倉高等商業学校中退[1]。出囃子は『自由』。
声帯模写漫談家柳家三亀松の弟子柳家亀次としてデビューし、後にコロムビア・トップライトの2代目ライトとして活躍。トップの議員転出に伴うコンビ解消後も、漫談や司会などで活躍。
愛煙家がたたり喉頭癌を患い、声帯を摘出し一時は声を失うが、食道を振動させる発声法(食道発声)を会得。その後は「ガンファイターズ」などのコンビでの医療漫才や、癌・煙草・禁煙に関する講演活動、ACジャパンのCM出演などを精力的に行なった。息子は上田哲の議員秘書から不動産管理会社社長となったが、息子(ライトにとっての孫)に刺され殺人事件の被害者となった[1]。
略歴
[編集]- 1949年 トップと「青空トップ・ライト」結成。
- 1952年 コロムビア芸能と契約し、コロムビア・トップ・ライトに改名。時事、風刺漫才で活躍。
- 1955年 ラジオ東京(現・TBS)専属となりテレビ、ラジオ担当。
- 1959年 記者クラブ賞、読売新聞演芸賞、ラジオ・オリムピック賞(担当、東竜太郎)受賞。
- 1963年 文部省芸術祭奨励賞受賞。
- 1977年 あゆみの箱理事。
- 1991年 喉頭ガン手術のため声帯摘出、障害者三級。
- 2010年 急性心不全のため死去[2]。83歳没。
出演番組
[編集]レコード
[編集]- 昭和一けた/ゴルフ・ブギ(1975年10月)
- ザ・タイトルマッチ/夜逃げするならいまのうち
- 名もない花の詩/悲しきギャンブラー
家族
[編集]- 子・鳥屋多可三 ‐ 慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、公益社団法人マスコミ世論研究所勤務、同所代表の上田哲の議員秘書を経て不動産仲介業ブルースカイリビングサポート代表、人材開発コンサルタント業グラスティ役員を務め、父親の意志を継いで禁煙運動にも携わっていたが、2018年に大田区南雪谷の自宅で慶応高校生の次男を酔って恫喝し、口論を止めに入った慶大生の長男に刺されて58歳で死亡した[1][3][4][5]。
脚注
[編集]- ^ a b c 慶大生の父親殺人事件 「有名漫才師」の孫が容疑者、息子が被害者――数奇な家庭デイリー新潮、新潮社、2018年1月22日
- ^ “漫才コンビ「コロムビア・トップ・ライト」のライトさん死去 83歳”. FNNニュース (フジテレビジョン). (2010年10月26日) 2010年10月26日閲覧。
- ^ 第6回タバコフリー学会学術大会タバコフリー学会事務局、2017年9月17日
- ^ 鳥居多可三Linkedin
- ^ 慶大生らDV父親刺殺事件 自分がやらないと家族が…と責任感 2018.02.12 女性セブン