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岩城徳栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピー子から転送)
岩城 徳栄
生誕 (1961-03-03) 1961年3月3日(63歳)
出身地 日本の旗 日本石川県輪島市
学歴 青蘭学院高等学校(現:青稜高等学校
事務所 新栄プロダクション(引退時まで)

岩城 徳栄(いわき とくえ、1961年3月3日 - )は日本の元歌手、元タレントである。現在は芸能界を引退し結婚している。タレント時代も本名で活動した。158cm、46kg、石川県輪島市出身[1]。青蘭学院高等学校(のちの青稜高等学校)卒業[1]。タレント時代は新栄プロダクションに所属していた。

人物

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愛称はピー子。これは、赤ちゃんの頃「ピーピー」泣いてばかりいたので、近所の人からピー子と呼ばれていたことによる[2]。小学生になると「きかん気のピー子」と言われるようになり、地元・輪島では少し有名な存在だったという[2]

実家は映画館を営む[2]

歌手としてシングルを5枚リリースしているが、その歌声は「ハスキーかつパンチの効いた」声と評されている[3]

経歴

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  • 日本テレビ音楽学院で半年間学んだ[4]後、『スター誕生!』に出場。日本テレビスター誕生!』の第19回決戦大会で合格。同番組からの50組目の合格者である[4]
  • 1978年1月10日に「ダウン・タウン・ベイビー」の曲でキングレコードよりデビューする[5]
  • 歌手としてはヒットには恵まれなかったもののテレビ朝日笑アップ歌謡大作戦』ではピー子の愛称で呼ばれ元祖バラドル的なおバカキャラで人気を得る。
  • 1980年代前半まではテレビレギュラーを数本持ち、また女優として映画にも数本出演した。
  • レギュラー出演していたTBSテレビ街かどテレビ11:00』の生放送中に突然「明日大きな地震が起こります」と発言[3]。司会者の五木田武信から「そんなことは分からないでしょ」とたしなめられたが、岩城は「本当なんです!本当なんですよ!」と力説した。番組はそのままコマーシャルに入りコマーシャル明けに司会者が謝罪し、その横で岩城は半泣きのまま一緒に頭を下げた。そして岩城はこの日を最後に同番組を降板した。この出来事が岩城の芸能界引退に繋がったとも言及された。
  • 芸能界引退後はメディアに姿を現すことはなく結婚しているという[6]

主な出演

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テレビ

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映画

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CM

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  • 荒川長太郎合名会社(のちのアラクス)『ノーシン』 ※出演時のセリフ『頭痛が痛いの〜』が流行した[7]

ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
キングレコード
1 1978年
1月10日
A面 ダウン・タウン・ベイビー 千家和也 長戸大幸 馬飼野俊一 GK-154
B面 乙女恋 杉本真人 小六禮次郎
2 1978年
6月
A面 あいつ 馬飼野康二 GK-200
B面 なんとかしなくちゃ
3 1978年
6月
A面 ダイナマイト 伊藤アキラ 小田裕一郎 高田弘 GK-251
B面 秋物語 長戸大幸
ビクター
4 1981年
9月
A面 愚痴ともだち 亜蘭知子 長戸大幸 SV-7147
B面 ふられYOKOHAMA 亜蘭知子 長戸大幸
ポリスター
5 1983年
7月25日
A面 ふられ酒[8] 佐々木勉 桜庭伸幸 7P-78
B面 ふられ酒(ピーコ)

脚注

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  1. ^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年4月4日号 p.37
  2. ^ a b c 月刊 晨(あした)(ぎょうせい)1984年10月号 p.144
  3. ^ a b 昭和40年男(クレタパブリッシング)2023年6月(vol.79)号「コメディアン顔負けのお笑いセンス 実力派歌手のコミカルな魅力」(77頁)
  4. ^ a b 平凡パンチ 1981年3月16日号『林家しん平の大看板絶頂トーク』(p.68-71)より。
  5. ^ 『タレント名鑑』(連合通信社音楽専科社)1980年版 閲覧。
  6. ^ 新潮45』(新潮社)2007年4月1日号「芸能界の黒い履歴書」73頁 閲覧。
  7. ^ オリジナルコンフィデンス年鑑』(1979年版、1980年版、1984年版) 閲覧。
  8. ^ ピーコ&アンクル・ベン名義

関連項目

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