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  • 太政大臣(だいじょうだいじん/だじょうだいじん)は、太政官(律令官制および明治時代の太政官制)の長官・最高職。 唐名は「(大)相国」「太師」。和訓は「おおまつりごとのおおまえつぎみ/おおきおとど」。定員1名で、律令下においては具体的な職掌のない名誉職で、適任者がなければ設置しない則闕(そっけつ)の官…
    74キロバイト (4,912 語) - 2024年6月16日 (日) 12:24
  • 藤原実頼のサムネイル
    藤原実頼 (カテゴリ 小野宮流)
    ^ a b 『右記』 ^ 『二中歴』 ^ 『類聚符宣抄』 川上多助『平安朝史 上』(昭和5年) 竹内理三「口伝と教命」(「歴史地理」75-3・4 昭和15年) 太田静六「右大臣藤原実資の邸宅、小野宮に就いて」(「早稲田建築学報」18 昭和17年) 山口博「源高明と藤原氏-西宮左大臣
    23キロバイト (2,915 語) - 2024年8月25日 (日) 06:02
  • 大臣(さだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。…
    57キロバイト (568 語) - 2024年5月14日 (火) 02:28
  • 藤原頼忠 (カテゴリ 小野宮流)
    藤原 頼忠(ふじわら の よりただ)は、平安時代中期の公卿。 藤原北家小野宮流の祖である藤原実頼の嫡男として、関白太政大臣にまで登り詰める。しかし、天皇と外戚関係を得ることができず、摂関の座を従弟にあたる九条流の家系に独占されることとなり、子孫は栄達しなかった。…
    17キロバイト (2,412 語) - 2024年8月18日 (日) 09:09
  • 大臣(うだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「右府」「右丞相」「右相国」「右僕射」「太保」。和訓は「みぎのおおいもうちぎみ/みぎのおとど」。定員1名。官位相当は、正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。 左大臣とともに太政
    66キロバイト (434 語) - 2024年5月14日 (火) 02:25
  • 藤原師輔のサムネイル
    師輔の家系の全盛に繋がり、長男・伊尹を筆頭に、兼通、兼家、為光、公季と実に五人の息子が太政大臣に昇進し、子供達の代で摂関家嫡流を手にする事となった。 略系図 実頼との比較 最終的に弟・師輔の九条流が兄・実頼の小野宮流を抑えて藤原北家の嫡流となったことから、二人の間でも、師輔が才覚の面で優勢であったと…
    16キロバイト (1,518 語) - 2024年9月29日 (日) 11:12
  • 藤原兼家のサムネイル
    - 永祚2年〈990年〉)は、平安時代中期の公卿。藤原北家九条流の祖・藤原師輔の三男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。東三条大入道殿と呼ばれた。 兄である兼通との確執、北家小野宮流との後宮争い、花山天皇退位の策略などを経て北家嫡流(摂関家)の位置をつかみ、子孫は摂政・関白を継承した。室の1人に『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母がいる。…
    22キロバイト (2,923 語) - 2024年7月11日 (木) 07:19
  • 大臣(ないだいじん)は、日本の律令官制で太政官に置かれた令外官の一つ。左大臣・右大臣に次ぐ官職。唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。和訓は「うちのおおまえつぎみ/うちのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。員外の大臣の意から「数の外(ほか)の大臣」とも、太政大臣と左・右大臣
    87キロバイト (1,812 語) - 2022年1月27日 (木) 08:35
  • 村上源氏のサムネイル
    大臣を輩出した。顕房の娘・賢子が産んだ堀河天皇の治世では、「左右大臣、左右大将、源氏同時に相並ぶ例、未だ此の事あらず」、「近代公卿廿四人、源氏の人半ばを過ぎるか、未だ此の如き事あらんか」とあるように天皇の外戚として隆盛を極めた。源顕房長男・源雅実は源氏として初めて太政大臣
    16キロバイト (915 語) - 2022年12月28日 (水) 18:55
  • 藤原公任のサムネイル
    藤原公任 (カテゴリ 小野宮流)
    小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。中古三十六歌仙の一人、百人一首では大納言公任、『和漢朗詠集』の撰者としても知られる。 祖父・実頼、父・頼忠はともに関白・太政大臣を務め、母(醍醐天皇の孫)・妻(村上天皇の孫)ともに二世の女王。また、いとこに具平親王、右大臣
    28キロバイト (4,822 語) - 2024年10月24日 (木) 08:51
  • 藤原頼通のサムネイル
    藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。 父道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世にて、関白を…
    25キロバイト (3,597 語) - 2024年11月17日 (日) 11:05
  • 藤原実資のサムネイル
    藤原実資 (カテゴリ 小野宮流)
    小野宮流、参議・藤原斉敏の四男。 藤原北家嫡流・小野宮流の膨大な家領を継ぎ、有職故実に精通した当代一流の学識人であった。藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴に阿らぬ人との評価を受けた。最終的に従一位・右大臣に昇り、「賢人右府」と呼ばれた。実資の残した日記『右記』はこの時代を知る貴重な資料となっている。…
    31キロバイト (5,407 語) - 2024年11月3日 (日) 14:48
  • 小野宮家の藤原公任の娘婿となって公任が著した『北山抄』を相伝した。これによって更に小野宮流の故実を取り込むことに成功して、御堂流故実を形成することになったとされている。 その一方で道長自身は自らが示した新儀(御堂流)の作法を小野宮流など他家の公卿にも強要しようとしていたことが藤原実資の『
    9キロバイト (998 語) - 2024年4月17日 (水) 09:32
  • 藤原伊尹のサムネイル
    (あこう)に任じ、太甲を一時追放して摂政となった名臣の名である(「阿衡事件」を参照)。 藤原北家、右大臣・藤原師輔の長男。 妹の中宮・安子が生んだ冷泉天皇・円融天皇の即位に伴って栄達し、摂政・太政大臣にまで上り詰めたが、まもなく病気により早逝した。孫に書家として名高い藤原行成がおり、子孫は世尊寺家として書道を世業とした。…
    14キロバイト (1,952 語) - 2024年5月28日 (火) 04:25
  • 花山院家のサムネイル
    大臣となった家忠は「花山院左大臣」と呼ばれた その息子である忠宗は父に先立ったため権中納言に留まり、当時の慣例で父との同居を避けたので花山院に居住した形跡はないが、忠宗の子である忠雅は祖父の死を受けて花山院に住したようで、仁安3年(1168年)に太政大臣に昇進し「花山院太政大臣」と呼ばれた。…
    23キロバイト (2,199 語) - 2024年9月23日 (月) 15:35
  • 藤原忠平のサムネイル
    いる麗景殿を訪ねた際、上皇は天皇を几帳の中に呼び入れ、五つの事を遺言した。その中で、「左大臣藤原忠平の訓を聞くこと」と話した(延喜御遺誡)。 承平2年(932年)従一位に叙せられる。承平6年(936年)太政大臣に昇り、天慶2年(939年)准三后となる。天慶4年(941年)朱雀天皇が元服したため摂政…
    16キロバイト (1,647 語) - 2024年5月4日 (土) 01:33
  • 藤原道長のサムネイル
    村上朝末の康保3年(966年)摂関家の流れを汲む藤原兼家の五男として生まれる。村上朝の実力者であった祖父の右大臣・藤原師輔(九条流の祖)は既に天徳4年(960年)に没しており、師輔の兄にあたる藤原実頼(小野宮流の祖)が左大臣として太政官の首班に立っていた。 道長の母は摂津守・藤原中正の娘である時姫。兼家は色好みで多数の…
    98キロバイト (17,787 語) - 2024年11月15日 (金) 15:30
  • 藤原佐理のサムネイル
    藤原佐理 (カテゴリ 小野宮流)
    藤原 佐理(ふじわら の すけまさ/さり)は、平安時代中期の公卿・能書家。藤原北家小野宮流、摂政関白太政大臣・藤原実頼の孫。左近衛少将・藤原敦敏の長男。三跡の一人で草書で有名。 天暦元年(947年)佐理が4歳の時に父・敦敏が39歳で亡くなったため、祖父の実頼によって育てられる。左近衛将監を経て、応…
    20キロバイト (3,376 語) - 2024年2月20日 (火) 19:12
  • 藤原 兼通(ふじわら の かねみち)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、右大臣・藤原師輔の次男。官位は従一位・関白太政大臣、贈正一位。 天慶6年(943年)従五位下に叙爵し、天慶9年(946年)村上天皇の即位後に侍従に任ぜられる。天暦2年(948年)左兵衛佐、天暦9年(955年)左近衛少将と武官を歴任…
    21キロバイト (3,326 語) - 2024年5月7日 (火) 07:16
  • 公実(ふじわら の きんざね)は、平安時代の後期の公卿、歌人。正二位、権大納言に至り、三条大納言と称す。 大納言実季の長男で、母は藤原経平女。閑院家の祖・太政大臣公季の玄孫にあたる。弟に保実・仲実、妹に苡子(堀河天皇女御、鳥羽天皇生母)らがいる。白河院とは従兄弟に当たるため朝廷の信任も篤く、堀河天皇に近臣と…
    7キロバイト (833 語) - 2024年1月26日 (金) 12:29
  • めつらしき-ちよのはしめの-ねのひには-まつけふをこそ-ひくへかりけれ 00290 [詞書]小野宮太政大臣家にて子の日し侍りけるに、下らふに侍りける時、よみ侍りける 三条太政大臣 ゆくすゑも子の日の松のためしには君かちとせをひかむとそ思ふ ゆくすゑも-ねのひのまつの-ためしには-きみかちとせを-ひかむとそおもふ
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