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右大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

右大臣(うだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「右府」「右丞相」「右相国」「右僕射」「太保」。和訓は「みぎのおおいもうちぎみ/みぎのおとど」。定員1名。官位相当は、従二位太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。

左大臣とともに太政官の事実上の長官だが、左大臣がある場合は議政官の首座は左大臣であり、左大臣が置かれていない場合や差し支えて出仕しない場合に右大臣が朝議を主催した。また、左大臣が関白であった時にも右大臣が政務を司った。1885年明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止。

右大臣の一覧

[編集]
  • 原則『公卿補任』に基づき、適宜別史料によって補訂した。南朝での補任者は史料に在職徴証がある人物のみ掲出した。
就任 辞任
印は死没と同日)
在職時の天皇 号・典拠
大宝令以前の右大臣
蘇我倉山田石川麻呂 皇極天皇4年6月14日
645年7月12日
大化5年3月25日
649年5月11日
孝徳 山田大臣
大伴長徳 大化5年4月20日
(649年6月5日
白雉2年7月
651年-月)
 
蘇我連子[1] 天智天皇元年1月
662年-月)
天智天皇3年3月
664年4月
天智称制 大臣
蔵大臣
中臣金 天智天皇10年1月5日
671年2月19日
天武天皇元年8月25日
672年9月22日
天智、弘文  
多治比島 持統天皇4年7月5日
690年8月15日
文武天皇4年8月26日
700年10月12日
持統文武
大宝令養老令に基づく右大臣
阿倍御主人 大宝元年3月21日
701年5月3日
大宝3年閏4月1日
703年5月20日
文武  
石上麻呂 大宝4年1月7日
704年2月16日
和銅元年3月13日
708年4月8日
文武、元明 物部大臣
藤原不比等 和銅元年3月13日
(708年4月8日)
養老4年8月3日
720年9月9日
元明、元正  
長屋王 養老5年1月5日
721年2月5日
養老8年2月4日
724年3月3日
元正  
藤原武智麻呂 天平6年1月17日
734年2月24日
天平9年7月25日
737年8月25日
聖武  
橘諸兄 天平10年1月13日
738年2月6日
天平15年5月5日
743年6月1日
西院大臣
藤原豊成 天平感宝元年4月14日
749年5月4日
天平勝宝9歳7月12日
757年8月1日
聖武、孝謙 難波大臣、横佩大臣
藤原恵美押勝 天平宝字2年8月25日
758年10月1日
天平宝字4年1月4日
760年1月26日
淳仁 太保大保
恵美大臣
藤原豊成
(還任)
天平宝字8年9月14日
764年10月13日
天平神護元年11月27日
766年1月12日
淳仁、称徳 難波大臣、横佩大臣
藤原永手 天平神護2年1月8日
(766年2月21日
天平神護2年10月20日
(766年11月26日
称徳 長岡大臣
吉備真備 天平神護2年10月20日
(766年11月26日)
宝亀2年3月
771年3月
称徳、光仁 吉備大臣
大中臣清麻呂 宝亀2年3月13日
(771年4月2日
天応元年6月23日
781年7月18日
光仁、桓武  
藤原田麻呂 天応2年6月21日
782年8月4日
延暦2年3月19日
783年4月25日
桓武 蜷淵大臣
藤原是公 延暦2年7月19日
(783年8月21日
延暦8年9月19日
789年10月12日
牛屋大臣
藤原継縄 延暦9年2月27日
790年3月17日
延暦15年7月16日
796年8月23日
桃園右大臣
神王 延暦17年8月17日
798年10月1日
延暦25年4月24日
806年5月15日
桓武、平城 吉野大臣
藤原内麻呂 延暦25年5月19日
(806年6月9日
弘仁3年10月6日
812年11月13日
平城、嵯峨 後長岡大臣
藤原園人 弘仁3年12月5日
813年1月10日
弘仁9年12月19日
819年1月18日
嵯峨 (前)山科大臣
藤原冬嗣 弘仁12年1月9日
821年2月14日
天長2年4月5日
825年4月26日
嵯峨、淳和 閑院
藤原緒嗣 天長2年4月5日
(825年4月26日)
天長9年11月2日
832年11月27日
淳和 山本大臣
清原夏野 天長9年11月2日
(832年11月27日)
承和4年10月7日
837年11月8日
淳和、仁明 双岡大臣
藤原三守 承和5年1月10日
838年2月8日
承和7年7月7日
840年8月7日
仁明 後山科大臣
源常 承和7年8月8日
(840年9月7日
承和11年7月2日
844年7月20日
東三条
橘氏公 承和11年7月2日
(844年7月20日)
承和14年12月19日
848年1月28日
井手
藤原良房 承和15年1月10日
(848年2月18日
斉衡4年2月19日
857年3月18日
仁明、文徳 白河、染殿
藤原良相 斉衡4年2月19日
(857年3月18日)
貞観9年10月10日
867年11月9日
文徳、清和 西三条大臣
藤原氏宗 貞観12年1月13日
870年2月17日
貞観14年2月7日
872年3月19日
清和  
藤原基経 貞観14年8月25日
(872年10月1日
元慶4年12月4日
881年1月7日
清和、陽成 堀川大臣
源多 元慶6年1月10日
882年2月1日
仁和4年10月17日
888年11月24日
陽成、光孝宇多  
藤原良世 寛平3年3月19日
891年5月1日
寛平8年7月16日
896年8月28日
宇多 致仕大臣
源能有 寛平8年7月16日
(896年8月28日)
寛平9年6月8日
897年7月11日
近院大臣
菅原道真 昌泰2年2月14日
899年3月29日
昌泰4年1月25日
901年2月16日
醍醐 菅丞相
源光 昌泰4年1月25日
(901年2月16日)
延喜13年3月12日
913年4月21日
西三条
藤原忠平 延喜14年8月25日
914年9月17日
延長2年1月22日
924年2月29日
小一条、五条
藤原定方 延長2年1月22日
(924年2月29日)
承平2年8月4日
932年9月6日
醍醐、朱雀 三条
藤原仲平 承平3年2月13日
933年3月11日
承平7年1月22日
937年3月6日
朱雀 枇杷
藤原恒佐 承平7年1月22日
(937年3月6日)
承平8年5月5日
938年6月5日
一条、土御門
藤原実頼 天慶7年4月9日
944年5月4日
天暦元年4月26日
947年5月19日
朱雀、村上 小野宮
藤原師輔 天暦元年4月26日
(947年5月19日)
天徳4年5月2日
960年5月29日
村上 坊城、九条
藤原顕忠 天徳4年8月22日
(960年9月15日
康保2年4月24日
965年5月27日
富小路
源高明 康保3年1月16日
966年2月9日
康保4年12月13日
968年1月15日
村上、冷泉 西宮
藤原師尹 康保4年12月13日
(968年1月15日)
安和2年3月26日
969年4月15日
冷泉 小一条
藤原在衡 安和2年3月26日
(969年4月15日)
安和3年1月27日
970年3月7日
冷泉、円融 粟田、万里小路
藤原伊尹 安和3年1月27日
(970年3月7日)
天禄2年11月2日
971年11月22日
円融 一条
藤原頼忠 天禄2年11月2日
(971年11月22日)
貞元2年4月24日
977年5月14日
三条
源雅信 貞元2年4月24日
(977年5月14日)
貞元3年10月2日
978年11月5日
一条、鷹司
藤原兼家 貞元3年10月2日
(978年11月5日)
寛和2年7月20日
986年8月27日
円融、花山一条 法興院、東三条
藤原為光 寛和2年7月20日
(986年8月27日)
正暦2年9月7日
991年10月17日
一条 後一条
源重信 正暦2年9月7日
(991年10月17日)
正暦5年8月28日
994年10月5日
六条
藤原道兼 正暦5年8月28日
(994年10月5日)
長徳元年5月8日
995年6月8日
粟田、二条
藤原道長 長徳元年6月19日
(995年7月19日
長徳2年7月20日
996年8月6日
法成寺、御堂
藤原顕光 長徳2年7月20日
(996年8月6日)
長和6年3月4日
1017年4月3日
一条、三条後一条 堀川、広幡
藤原公季 長和6年3月4日
(1017年4月3日)
治安元年7月25日
1021年9月4日
後一条 閑院
藤原実資 治安元年7月25日
(1021年9月4日)
寛徳3年1月18日
1046年2月26日
後一条、後朱雀後冷泉 後小野宮、賢人右府
藤原教通 永承2年8月1日
1047年8月24日
康平3年7月17日
1060年8月15日
後冷泉 大二条
藤原頼宗 康平3年7月17日
(1060年8月15日)
康平8年1月5日
1065年2月12日
堀河
藤原師実 康平8年6月3日
(1065年7月8日
延久元年8月22日
1069年9月10日
後冷泉、後三条 京極、後宇治
源師房 延久元年8月22日
(1069年9月10日)
承保4年2月17日
1077年3月14日
後三条、白河 土御門
藤原俊家 承暦4年8月14日
1080年8月31日
永保2年10月2日
1082年10月25日
白河 大宮、壬生
源俊房 永保2年12月9日
(1082年12月30日
永保3年1月26日
1083年2月15日
堀河
源顕房 永保3年1月26日
(1083年2月15日)
寛治8年9月5日
1094年10月16日
白河、堀河 六条
藤原忠実 康和2年7月17日
1100年8月24日
天永3年11月18日
1112年12月8日
堀河、鳥羽 知足院、富家殿
源雅実 永久3年4月28日
1115年5月23日
保安3年12月17日
1123年1月16日
鳥羽 久我
藤原家忠 保安3年12月17日
(1123年1月16日)
天承元年12月22日
1132年1月12日
鳥羽、崇徳 花山院
源有仁 天承元年12月22日
(1132年1月12日)
保延2年12月9日
1137年1月2日
崇徳 花園
藤原宗忠 保延2年12月9日
(1137年1月2日)
保延4年2月26日
1138年4月7日
中御門
三条実行 久安5年7月28日
1149年9月1日
久安6年8月21日
1150年9月13日
近衛 八条
源雅定 久安6年8月21日
(1150年9月13日)
仁平4年5月28日
1154年7月10日
中院
藤原宗輔 保元元年9月13日
1156年9月29日
保元2年8月19日
1157年9月24日
後白河 京極、蜂飼大臣
近衛基実 保元2年8月19日
(1157年9月24日)
永暦元年8月11日
1160年9月12日
後白河、二条 梅津、六条、中殿
徳大寺公能 永暦元年8月11日
(1160年9月12日)
永暦2年8月11日
1161年9月2日
二条 大炊御門
松殿基房 応保元年9月13日
(1161年10月3日
長寛2年閏10月23日
1164年12月8日
松殿、菩提院、中山
藤原経宗 長寛2年閏10月23日
(1164年12月8日)
仁安元年11月11日
1166年12月5日
二条、六条 中御門
九条兼実 仁安元年11月11日
(1166年12月5日)
文治2年10月17日
1186年11月29日
六条、高倉安徳後鳥羽 後法性寺、月輪
徳大寺実定 文治2年10月29日
(1186年12月11日
文治5年7月10日
1189年8月23日
後鳥羽 後徳大寺
三条実房 文治5年7月10日
(1189年8月23日)
建久元年7月17日
1190年8月19日
三条
藤原兼雅 建久元年7月17日
(1190年8月19日)
建久9年11月14日
1198年12月13日
後鳥羽、土御門 後花山院
藤原頼実 建久9年11月14日
(1198年12月13日)
正治元年6月22日
1199年7月16日
土御門 六条、中山
近衛家実 正治元年6月22日
(1199年7月16日)
元久元年12月14日
1205年1月5日
猪隈
藤原隆忠 元久元年12月14日
(1205年1月5日)
建永2年2月10日
1207年3月10日
大覚寺
花山院忠経 建永2年2月10日
(1207年3月10日)
承元2年5月28日
1208年7月12日
花山院
近衛道経 承元2年7月9日
(1208年8月21日
承元3年3月26日
1209年5月1日
知足院
九条良輔 承元3年4月10日
(1209年5月15日
建暦元年10月4日
1211年11月10日
土御門、順徳 八条
徳大寺公継 建暦元年10月4日
(1211年11月10日)
建保3年10月9日
1215年11月1日
順徳 野宮
九条道家 建保3年12月10日
(1215年12月31日
建保6年12月2日
1218年12月21日
光明峯寺
源実朝 建保6年12月2日
(1218年12月21日)
建保7年1月27日
1219年2月13日
鎌倉
鎌倉幕府3代将軍
近衛家通 建保7年3月4日
(1219年4月19日
承久3年閏10月10日
1221年11月25日
順徳、仲恭後堀河 猪隈、近衛
徳大寺公継
(還任)
承久3年閏10月10日
(1221年11月25日)
元仁元年12月25日
1225年2月4日
後堀河 野宮
大炊御門師経 元仁元年12月25日
(1225年2月4日)
嘉禄3年4月2日
1227年5月18日
大炊御門
九条教実 嘉禄3年4月9日
(1227年5月25日
寛喜3年4月26日
1231年5月29日
洞院
近衛兼経 寛喜3年4月26日
(1231年5月29日)
嘉禎元年10月2日
1235年11月13日
後堀河、四条 岡屋
西園寺実氏 嘉禎元年10月2日
(1235年11月13日)
嘉禎2年4月18日
1236年5月24日
四条 常盤井
二条良実 嘉禎2年6月9日
(1236年7月13日
嘉禎4年7月20日
1238年8月31日
普光園院
三条実親 嘉禎4年7月20日
(1238年8月31日)
仁治元年9月27日
1240年10月13日
白川
一条実経 仁治元年10月20日
(1240年11月5日
寛元2年6月13日
1244年7月19日
四条、後嵯峨 円明寺、後一条
鷹司兼平 寛元2年6月13日
(1244年7月19日)
寛元4年12月24日
1247年2月1日
後嵯峨、後深草 称念院
九条忠家 寛元4年12月24日
(1247年2月1日)
建長4年7月20日
1252年8月26日
後深草 一音院
二条道良 建長4年7月20日
(1252年8月26日)
建長4年11月3日
(1252年12月5日
九条
花山院定雅 建長4年11月3日
(1252年12月5日)
建長6年11月17日
1254年12月28日
粟田口
西園寺公相 建長6年12月25日
1255年2月3日
正嘉元年11月8日
1257年12月15日
冷泉
西園寺公基 正嘉元年11月26日
1258年1月2日
正嘉2年10月22日
(1258年11月18日
万里小路、京極
山階実雄 正嘉2年11月1日
(1258年11月27日
弘長元年3月27日
1261年4月28日
後深草、亀山 山階
近衛基平 弘長元年3月27日
(1261年4月28日)
文永2年10月5日
1265年11月14日
亀山 深心院、西谷
鷹司基忠 文永2年10月5日
(1265年11月14日)
文永5年12月2日
1269年1月5日
円光院
一条家経 文永5年12月2日
(1269年1月5日)
文永6年4月23日
(1269年5月25日
後光明峯寺
花山院通雅 文永6年4月23日
(1269年5月25日)
文永8年3月10日
1271年4月20日
後花山院
二条師忠 文永8年3月27日
(1271年5月7日
建治元年12月22日
1276年1月9日
亀山、後宇多 香園院
九条忠教 建治元年12月22日
(1276年1月9日)
正応元年7月11日
1288年8月9日
後宇多、伏見 報恩院
近衛家基 正応元年7月11日
(1288年8月9日)
正応2年9月28日
1289年10月13日
伏見 高山寺、浄妙寺
鷹司兼忠 正応2年10月18日
(1289年11月2日
正応4年12月25日
1292年1月16日
猪隈、歓喜園院
二条兼基 正応4年12月25日
(1292年1月16日)
永仁4年12月27日
1297年1月21日
中院、光明照院
九条師教 永仁4年12月27日
(1297年1月21日)
正安元年4月26日
1299年5月26日
伏見、後伏見 己心院、浄土寺
西園寺公衡 正安元年4月26日
(1299年5月26日)
正安元年12月20日
1300年1月12日
後伏見 竹林院
徳大寺公孝 正安元年12月27日
(1300年1月19日
乾元元年11月22日
1302年12月11日
後伏見、後二条 後徳大寺
鷹司冬平 乾元元年11月22日
(1302年12月11日)
嘉元3年閏12月21日
1306年2月5日
後二条 後照念院
近衛家平 嘉元3年閏12月21日
(1306年2月5日)
延慶2年10月15日
1309年11月17日
後二条、花園 岡本
二条道平 延慶2年10月15日
(1309年11月17日)
正和2年12月26日
1314年1月12日
花園 後光明照院
近衛経平 正和2年12月26日
(1314年1月12日)
正和5年10月22日
1316年11月7日
後浄妙寺
洞院実泰 正和5年10月22日
(1316年11月7日)
文保元年6月21日
1317年7月30日
後山本
西園寺公顕 文保元年6月21日
(1317年7月30日)
文保元年12月10日
1318年1月13日
今出河
花山院家定 文保2年8月24日
(1318年9月19日
文保3年4月10日
1319年4月30日
後醍醐 金光院
九条房実 元応元年閏7月28日
(1319年9月12日
元亨2年8月11日
1322年9月22日
後一音院
今出川兼季 元亨2年8月11日
(1322年9月22日)
元亨3年7月
1323年8月
今出河、菊亭
近衛経忠 元亨4年4月27日
1324年5月20日
元徳2年2月26日
1330年3月16日
堀河、後猪隈
近衛基嗣 元徳2年2月26日
(1330年3月16日)
元徳3年2月1日
1331年3月10日
後岡屋
久我長通 元徳3年2月1日
(1331年3月10日)
正慶元年7月13日
1332年8月5日
後醍醐、光厳 後中院
大宮季衡 正慶元年10月14日
(1332年11月2日
正慶2年3月12日[2]
1333年4月26日
光厳 大宮
近衛経忠[3]
(還任)
元弘3年5月17日
(1333年6月29日
元弘3年6月12日
(1333年7月24日
後醍醐 堀河、後猪隈
久我長通
(還任)
元弘3年6月12日
(1333年7月24日)
建武元年2月22日
1334年3月27日
後中院
近衛経忠
(還任)
建武元年2月23日
(1334年3月28日
建武元年10月7日
(1334年11月4日
堀河、後猪隈
鷹司冬教 建武元年10月9日
(1334年11月6日
建武2年2月16日
1335年3月11日
後円光院
洞院公賢 建武2年2月16日
(1335年3月11日)
建武4年7月12日
1337年8月8日
後醍醐、光明 中園
九条道教 建武4年7月12日
(1337年8月8日)
暦応2年12月27日
1340年1月26日
光明 三縁院
鷹司師平 暦応2年12月27日
(1340年1月26日)
康永2年3月27日
1343年4月22日
昭光院
二条良基 康永2年4月10日
(1343年5月4日
貞和3年9月16日
1347年10月20日
後普光園院
九条経教 貞和3年9月16日
(1347年10月20日)
貞和5年9月13日
1349年10月25日
光明、崇光 後報恩院
近衛道嗣 貞和5年9月13日
(1349年10月25日)
延文5年9月30日
1360年11月9日
崇光、後光厳 後深心院
鷹司冬通 延文5年9月30日
(1360年11月9日)
貞治元年12月27日
1363年1月12日
後光厳 一心院
久我通相 貞治元年12月27日
(1363年1月12日)
貞治5年8月29日
1366年10月4日
千種
西園寺実俊 貞治5年8月29日
(1366年10月4日)
貞治6年9月29日
1367年10月23日
後常盤井
二条師良 貞治6年9月29日
(1367年10月23日)
応安3年3月16日
1370年4月12日
是心院
九条忠基 応安3年3月16日
(1370年4月12日)
永和元年11月18日
1375年12月11日
後光厳、後円融 後己心院
二条師嗣 永和元年11月18日
(1375年12月11日)
永和4年8月27日
1378年9月19日
後円融 後香園院
近衛兼嗣 永和4年8月27日
(1378年9月19日)
嘉慶2年3月26日
1388年5月2日
後円融、後小松 後六条
久我具通 嘉慶2年5月26日
(1388年6月30日
明徳5年3月28日
1394年4月28日
後小松 久世
今出川公直 明徳5年3月28日
(1394年4月28日)
応永元年12月25日
1395年1月16日
今出川
今出川実直 応永元年12月25日
(1395年1月16日)
応永2年3月24日
(1395年4月14日
後今出川
花山院通定 応永2年3月24日
(1395年4月14日)
応永2年6月21日
(1395年7月8日
如住院
洞院公定 応永2年9月12日
(1395年10月25日
応永3年7月24日
1396年8月27日
後中園
三条実冬 応永3年7月24日
(1396年8月27日)
応永6年2月22日
1399年3月29日
後三条
九条教嗣 応永6年2月22日
(1399年3月29日)
応永10年8月
1403年-月)
中山
今出川公行 応永10年8月19日
(1403年9月5日
応永18年4月11日
1411年5月3日
後今出河
鷹司冬家 応永18年4月11日
(1411年5月3日)
応永21年12月
1415年1月
後小松、称光 後一心院
九条満教 応永21年12月15日
(1415年1月25日
応永25年12月2日
1418年12月29日
称光 後三縁院
徳大寺公俊 応永25年12月2日
(1418年12月29日)
応永26年12月5日
1419年12月21日
後野宮
二条持基 応永26年12月5日
(1419年12月21日)
応永27年閏1月13日
1420年2月26日
後福照院
西園寺実永 応永27年閏1月13日
(1420年2月26日)
応永27年12月
1421年1月
慶寿院
三条公冬 応永27年12月5日
(1421年1月8日
応永30年10月14日
1423年11月17日
後白川
一条兼良 応永31年4月20日
1424年5月18日
正長2年8月4日
1429年9月2日
称光、後花園 後成恩寺
近衛房嗣 正長2年8月4日
(1429年9月2日)
永享10年9月4日
1438年9月23日
後花園 後法興院
鷹司房平 永享10年9月4日
(1438年9月23日)
文安3年4月29日
1446年5月24日
後昭光院
二条持通 文安3年4月29日
(1446年5月24日)
享徳3年3月17日
1454年4月14日
大染金剛院
洞院実熙 享徳3年7月16日
(1454年8月10日
康正元年8月27日
1455年10月8日
東山
一条教房 康正元年8月27日
(1455年10月8日)
康正3年6月17日
1457年7月8日
妙華寺
三条実量 康正3年6月17日
(1457年7月8日)
康正3年9月8日
(1457年9月26日
後三条
近衛教基 康正3年9月8日
(1457年9月26日)
寛正3年8月1日[4]
1462年8月25日
後九条
徳大寺公有 寛正3年8月5日
(1462年8月29日
寛正5年9月2日
1464年10月2日
後花園、後土御門 後野宮
久我通尚 寛正5年11月28日
(1464年12月26日
寛正7年1月16日
1466年2月1日
後土御門 東久世
二条政嗣 寛正7年2月16日
(1466年3月2日
応仁2年1月11日
1468年2月4日
如法寿院
九条政基 応仁2年1月11日
(1468年2月4日)
文明7年3月10日
1475年4月15日
慈眼院
鷹司政平 文明7年3月10日
(1475年4月15日)
文明8年8月28日
1476年9月16日
専称院
近衛政家 文明8年8月28日
(1476年9月16日)
文明11年4月19日
1479年5月10日
後法興院
三条公敦 文明11年4月19日
(1479年5月10日)
文明12年3月
1480年4月
龍翔院
今出川教季 文明12年3月11日
(1480年4月20日
文明13年1月20日
1481年2月18日
法雲院
西園寺実遠 文明13年1月25日
(1481年2月23日
文明15年1月1日
1483年2月8日
後竹林院
大炊御門信量 文明15年1月1日
(1483年2月8日)
長享元年8月4日
1487年8月22日
深草
花山院政長 長享元年8月29日
(1487年9月16日
延徳2年3月5日
1490年3月25日
後鳳栖院
近衛尚通 延徳2年3月5日
(1490年3月25日)
明応5年12月3日
1497年1月6日
後法成寺
今出川公興 明応5年12月3日
(1497年1月6日)
明応6年4月27日
(1497年5月29日
後法雲院
二条尚基 明応6年5月10日
(1497年6月10日
明応6年10月10日
(1497年11月4日
後如法寿院
久我豊通 明応8年5月28日
1499年7月6日
明応9年3月30日
1500年4月28日
志禅院
九条尚経 明応10年2月19日
1501年3月8日
永正3年2月5日
1506年2月27日
後柏原 後慈眼院
西園寺公藤 永正3年2月5日
(1506年2月27日)
永正4年3月
1507年-月)
得生院
鷹司兼輔 永正4年4月6日
(1507年5月17日
永正12年4月16日
1515年5月29日
法音院
三条実香 永正12年4月16日
(1515年5月29日)
永正15年5月28日
1518年7月5日
後浄土寺
二条尹房 永正15年5月28日
(1518年7月5日)
永正18年7月1日
1521年8月3日
後大染金剛院
大炊御門経名 永正18年7月1日
(1521年8月3日)
大永3年3月2日
1523年3月18日
自性院
近衛稙家 大永3年3月9日
(1523年3月25日
享禄元年8月20日
1528年9月3日
後柏原、後奈良 恵雲院
久我通言 享禄元年8月20日
(1528年9月3日)
天文5年閏10月8日
1536年11月21日
後奈良 陽春院
鷹司忠冬 天文6年12月21日
1538年1月21日
天文10年1月12日
1541年2月7日
後専称院
一条房通 天文10年1月12日
(1541年2月7日)
天文11年閏3月3日
1542年4月17日
唯心院
三条西公条 天文11年閏3月3日
(1542年4月17日)
天文12年7月16日
1543年8月16日
称名院
三条公頼 天文12年7月28日
(1543年8月28日
天文14年6月2日
1545年7月10日
後龍翔院
今出川公彦 天文14年6月2日
(1545年7月10日)
天文15年3月10日
1546年4月10日
上善院
二条晴良 天文15年3月13日
(1546年4月13日
天文16年2月17日
1547年3月8日
浄明珠院
一条兼冬 天文16年2月17日
(1547年3月8日)
天文22年1月26日
1553年2月8日
後円明寺
近衛晴嗣 天文22年1月26日
(1553年2月8日)
天文23年4月11日
1554年5月12日
東求院
西園寺公朝 天文23年4月11日
(1554年5月12日)
弘治3年9月2日
1557年9月24日
慈光院
花山院家輔 弘治3年9月2日
(1557年9月24日)
天正2年2月24日
1574年3月17日
後奈良、正親町 法雲院
九条兼孝 天正2年2月24日
(1574年3月17日)
天正4年11月21日
1576年12月11日
正親町 後月輪
一条内基 天正4年11月21日
(1576年12月11日)
天正5年11月20日
1577年12月29日
自浄心院
織田信長 天正5年11月20日
(1577年12月29日)
天正6年4月9日
1578年5月15日
総見院
二条昭実 天正7年1月20日
1579年2月15日
天正12年12月[5]
1585年1月
後中院
今出川晴季 天正13年3月10日
(1585年4月9日
文禄4年7月25日
1595年8月30日
正親町、後陽成 豊臣秀次事件に連座
し、越後配流される
今出川晴季
(還任)
慶長3年12月19日
1599年1月15日
慶長8年1月
1603年-月)
後陽成 景光院
徳川家康 慶長8年2月12日
(1603年3月24日
慶長8年10月16日
(1603年11月18日
安国院
江戸幕府初代将軍
豊臣秀頼 慶長10年4月12日
1605年5月29日
慶長12年1月11日
1607年2月7日
嵩陽寺
九条忠栄 慶長12年1月11日
(1607年2月7日)
慶長17年3月13日
1612年4月13日
後陽成、後水尾 惟忖院
鷹司信尚 慶長17年3月18日
(1612年4月18日
慶長19年1月14日
1614年2月22日
後水尾 景皓院
近衛信尋 慶長19年1月14日
(1614年2月22日)
元和6年1月13日
1620年2月16日
本源自性院
西園寺実益 元和6年8月17日
(1620年9月13日
元和7年1月2日
1621年2月23日
一真院
花山院定熙 元和7年1月2日
(1621年2月23日)
元和7年1月12日
(1621年3月5日
霜松院
一条兼遐 元和7年1月12日
(1621年3月5日)
寛永6年9月11日
1629年10月27日
智徳院
二条康道 寛永6年9月13日
(1629年10月29日
寛永9年12月28日
1633年2月6日
後水尾、明正 後浄明珠院
鷹司教平 寛永9年12月28日
(1633年2月6日)
寛永17年3月21日
1640年5月11日
明正 一致院
三条西実条 寛永17年6月24日
(1640年8月11日
寛永17年10月4日
(1640年11月17日
香雲院
九条道房 寛永17年11月3日
(1640年12月15日
寛永18年12月2日
1642年1月2日
後浄土寺
近衛尚嗣 寛永18年12月2日
(1642年1月2日)
正保4年7月3日
1647年8月3日
明正、後光明 妙有真空院
二条光平 正保4年7月3日
(1647年8月3日)
慶安5年2月9日
1652年3月18日
後光明 後是心院
今出川経季 慶安5年2月9日
(1652年3月18日)
照一院
二条光平
(還任)
慶安5年2月21日
(1652年3月30日
慶安5年9月15日
(1652年10月17日
後是心院
三条実秀 慶安5年9月17日
(1652年10月19日
承応2年2月3日
1653年3月2日
己心院
花山院定好 承応2年11月14日
1654年1月2日
承応3年6月12日
(1654年7月25日
淳貞院
西園寺実晴 承応3年6月17日
(1654年7月30日
承応3年12月28日
1655年2月4日
後光明、後西 大忠院
一条教輔 承応4年1月25日
(1655年3月3日
万治2年12月22日
1660年2月3日
後西 後唯心院
徳大寺公信 万治3年1月13日
(1660年2月23日
寛文元年5月26日
1661年6月22日
正桂院
鷹司房輔 寛文元年6月8日
(1661年7月4日
寛文3年1月12日
1663年2月19日
後景皓院
大炊御門経孝 寛文3年2月6日
(1663年3月15日
寛文4年2月22日
1664年3月19日
霊元 後光福寺
三条公富 寛文4年4月5日
(1664年4月30日
寛文5年1月11日
1665年2月25日
唯心院
久我広通 寛文5年1月11日
(1665年2月25日)
寛文5年3月5日
(1665年4月20日
妙雲院
九条兼晴 寛文5年3月6日
(1665年4月21日
寛文11年5月7日
1671年6月13日
後往生院
近衛基熙 寛文11年5月25日
(1671年7月1日
延宝5年12月8日
1678年1月1日
応円満院
一条冬経 延宝5年12月24日
(1678年1月17日
天和3年1月13日
1683年2月9日
円成寺
鷹司兼熙 天和3年1月13日
(1683年2月9日)
元禄3年12月26日
1691年1月24日
霊元、東山 心空華院
大炊御門経光 元禄3年12月26日
(1691年1月24日)
元禄5年12月13日
1693年1月18日
東山 後香隆寺
今出川公規 元禄5年12月13日
(1693年1月18日)
元禄6年8月7日
(1693年9月6日
一林院
近衛家熙 元禄6年8月7日
(1693年9月6日)
元禄17年1月11日
1704年2月15日
予楽院
三条実治 元禄17年1月22日
(1704年2月26日
元禄17年2月5日
(1704年3月10日
暁心院
九条輔実 元禄17年2月5日
(1704年3月10日)
宝永5年1月21日
1708年2月12日
後洞院
二条綱平 宝永5年1月21日
(1708年2月12日)
正徳5年8月12日
1715年9月9日
東山、中御門 円覚敬信院
近衛家久 正徳5年8月12日
(1715年9月9日)
享保7年5月3日
1722年6月16日
中御門 如是観院
二条吉忠 享保7年5月3日
(1722年6月16日)
享保11年9月15日
1726年10月10日
安祥院
一条兼香 享保11年9月15日
(1726年10月10日)
元文2年11月7日
1737年11月28日
中御門、桜町 後円成寺
二条宗熙 元文3年1月24日
1738年3月14日
元文3年6月18日
(1738年8月3日
桜町 常観喜院
西園寺致季 元文3年8月8日
(1738年9月21日
元文3年8月16日
(1738年9月29日
円寿光院
中院通躬 元文3年8月16日
(1738年9月29日)
元文3年8月19日
(1738年10月2日
歓喜光院
一条道香 元文3年8月19日
(1738年10月2日)
延享2年3月23日
1745年4月24日
得成寺
醍醐冬熙 延享2年3月23日
(1745年4月24日)
延享2年5月9日
(1745年6月8日
後信性普明寺
久我惟通 延享2年5月16日
(1745年6月15日
延享2年閏12月16日
1746年2月6日
後志禅院
近衛内前 延享2年閏12月24日
(1746年2月14日
寛延2年2月8日
1749年3月26日
桜町、桃園 大解脱院
花山院常雅 寛延2年2月23日
(1749年4月10日
寛延2年11月9日
(1749年12月18日
桃園 順正院
二条宗基 寛延2年11月15日
(1749年12月24日
宝暦4年1月18日
1754年2月9日
後敬心院
三条実顕 宝暦4年2月19日
(1754年3月12日
宝暦4年5月13日
(1754年7月3日
誠心院
久我通兄 宝暦4年5月14日
(1754年7月4日
宝暦5年1月28日
1755年3月10日
含華光院
九条尚実 宝暦5年1月29日
(1755年3月11日
宝暦9年11月26日
1760年1月13日
遍照金剛寺
鷹司輔平 宝暦9年11月26日
(1760年1月13日)
安永7年12月10日
1779年1月27日
桃園、後桜町後桃園 後心空院
醍醐兼潔 安永7年12月10日
(1779年1月27日)
安永8年1月14日
(1779年3月1日
後桃園 妙観寺
三条季晴 安永8年1月14日
(1779年3月1日)
安永8年3月29日
(1779年5月15日
後誠心院
一条輝良 安永8年3月29日
(1779年5月15日)
天明7年5月26日
1787年7月11日
後桃園、光格 後得成寺
近衛経熙 天明7年5月26日
(1787年7月11日)
寛政3年11月28日
1791年12月23日
光格 後予楽院
二条治孝 寛政3年11月28日
(1791年12月23日)
寛政8年4月24日
1796年5月30日
法寿金剛院
大炊御門家孝 寛政8年4月24日
(1796年5月30日)
寛政8年9月26日
(1796年10月26日
瑶台寺
西園寺賞季 寛政8年9月26日
(1796年10月26日)
寛政8年12月22日
1797年1月19日
後大忠院
一条忠良 寛政8年12月22日
(1797年1月19日)
文化11年4月2日
1814年5月21日
大勝寺
三条実起 文化11年4月2日
(1814年5月21日)
文化11年9月28日
(1814年11月9日
後暁心院
近衛基前 文化11年9月28日
(1814年11月9日)
文化12年1月4日
1815年2月12日
証常楽院
徳大寺実祖 文化12年1月4日
(1815年2月12日)
文化12年2月26日
(1815年4月5日
摩尼珠院
鷹司政通 文化12年2月26日
(1815年4月5日)
文政3年6月1日
1820年7月10日
光格、仁孝 真誠院
花山院愛徳 文政3年6月1日
(1820年7月10日)
文政3年10月15日
(1820年11月20日
仁孝 温恭院
二条斉信 文政3年10月15日
(1820年11月20日)
文政7年1月5日
1824年2月4日
成徳院
九条尚忠 文政7年1月5日
(1824年2月4日)
弘化4年6月15日
1847年7月26日
仁孝、孝明 後遍照金剛寺
近衛忠熙 弘化4年6月15日
(1847年7月26日)
安政4年1月4日
1857年1月29日
孝明  
大炊御門経久 安政4年1月4日
(1857年1月29日)
安政4年2月8日
(1857年3月3日
後瑶台寺
鷹司輔熙 安政4年2月8日
(1857年3月3日)
安政6年3月28日
1859年4月30日
 
花山院家厚 安政6年3月28日
(1859年4月30日)
文久2年1月4日
1862年2月2日
寛恭院
二条斉敬 文久2年1月4日
(1862年2月2日)
文久3年12月23日
1864年1月31日
 
徳大寺公純 文久3年12月23日
(1864年1月31日)
慶応3年9月27日
1867年10月24日
孝明、明治  
一条実良 慶応3年9月27日
(1867年10月24日)
慶応3年11月30日
(1867年12月25日
明治 華厳光寺
大炊御門家信 慶応3年11月30日
(1867年12月25日)
慶応4年5月24日
1868年7月13日
 
三条実美 慶応4年5月24日
(1868年7月13日)
明治2年7月8日
1869年8月15日
新設の右大臣に転任
南朝(吉野朝廷)の右大臣
二条師基 延元4年(1339年)?任 - 後村上 南方紀伝
洞院実世 正平8年(1353年)?任 - 園太暦
洞院公泰   新葉和歌集
西園寺公重   仁和寺本系図』
北畠顕信   『新葉和歌集』
洞院実守   師守記
二条教頼 - 建徳2年2月1371年-月)見 - 長慶 南朝三百番歌合
北畠顕能 文中元年(1372年)?任 - 『新葉和歌集』
二条冬実 - 弘和元年12月1381年12月)見 - 『新葉和歌集』
吉田宗房   後亀山 近衛家文書』
武家官位としての右大臣
徳川秀忠 慶長19年3月9日
1614年4月17日
元和9年7月27日
1623年8月23日
後水尾 江戸幕府2代将軍
徳川家綱 承応2年7月10日
1653年9月1日
延宝8年5月8日
1680年6月4日
後光明、後西、霊元 江戸幕府4代将軍
徳川綱吉 宝永2年2月5日
1705年2月28日
宝永6年1月10日
1709年2月19日
東山 江戸幕府5代将軍
徳川吉宗 寛保元年7月7日
1741年8月17日
寛延4年6月20日
1751年7月12日
桜町、桃園 江戸幕府8代将軍
徳川家重 宝暦10年1月11日
1760年2月27日
宝暦11年6月12日
1761年7月13日
桃園 江戸幕府9代将軍
徳川家治 安永9年8月2日
1780年8月31日
天明6年9月8日
1786年9月29日
光格 江戸幕府10代将軍
徳川家斉 文化13年3月11日
1816年4月8日
文政5年2月6日
1822年3月28日
光格、仁孝 江戸幕府11代将軍
徳川家茂 文久4年1月21日
1864年2月28日
慶応2年7月20日
1866年8月29日
孝明 江戸幕府14代将軍
明治時代太政官制における右大臣
三条実美 明治2年7月8日
(1869年8月15日)
明治4年7月29日
1871年9月13日
明治  
岩倉具視 明治4年10月8日
(1871年11月20日
1883年(明治16年)7月19日[6]  

贈右大臣の一覧

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没後に右大臣を追贈された人物の一覧。

追贈 生前の官位 典拠・備考
大伴御行 文武天皇5年1月15日701年2月27日 大納言正広参 続日本紀
藤原百川 延暦2年2月5日783年3月12日 参議従三位
紀船守 延暦11年4月2日792年4月27日 大納言正三位 日本紀略
藤原済時 寛弘9年4月1012年-月) 大納言・正二位 公卿補任
北畠顕家 正平7年(1352年)以前 権中納言従二位 高野山文書』。 南朝による追贈
勧修寺尹豊 慶長4年12月13日1600年1月28日 内大臣・正二位 続史愚抄
三条実万 文久2年8月9日1862年9月2日 内大臣・従一位 『公卿補任』。 諡号忠成公
大久保利通 1878年明治11年)5月15日 参議正三位
存疑
文室大市 大納言正二位 『公卿補任』
石上宅嗣 大納言・正三位

脚注

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  1. ^ 在職期間は『扶桑略記』による。『日本書紀』『公卿補任』にはただ「大臣」とあるのみで、左右の区別をしていないが、本来はこの方が正確か。
  2. ^ 園太暦観応2年3月4日条所引勘例は、正慶2年2月8日1333年2月22日)とする。
  3. ^ 師守記』貞治3年8月7日条による。
  4. ^ 大乗院日記目録』は7月25日8月20日)、『大乗院寺社雑事記』は7月27日とする。
  5. ^ 公卿補任』『諸家伝』はこの月に左大臣へ転任したとするが、実際は右大臣のまま留任していたと考えられる。詳細は左大臣#脚注を参照。
  6. ^ 『官報』第16号号外、明治16年7月19日

参考文献

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関連項目

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