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建長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

建長 (けんちょう、旧字体建󠄁長)は、日本元号の一つ。宝治の後、康元の前。1249年から1256年までの期間を指す。この時代の天皇後深草天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼嗣宗尊親王執権北条時頼

改元

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宝治3年2月1日、里内裏となっていた閑院が焼失する火災(閑院火災)があったことを受けて改元が行われた。しかし、改元からわずか5日後に洛中の主要部(三条・西洞院・八条・東京極を囲む一帯)を焼き、更に鴨川対岸の蓮華王院まで焼失する大火災が発生している(2月の火災は内裏を焼いたとは言え、被害自体は近辺のみに留まっていた)[1]

建長期におきた出来事

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3年
4年

西暦との対照表

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※は小の月を示す。

建長元年(己酉 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月※
ユリウス暦 1249/2/14 3/16 4/15 5/14 6/13 7/12 8/10 9/8 10/8 11/6 12/6 1250/1/5
建長二年(庚戌 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月※ 十一月 十二月
ユリウス暦 1250/2/3 3/5 4/4 5/3 6/2 7/1 7/31 8/29 9/28 10/27 11/25 12/25
建長三年(辛亥 一月※ 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 閏九月※ 十月※ 十一月 十二月
ユリウス暦 1251/1/24 2/22 3/24 4/23 5/22 6/21 7/20 8/19 9/17 10/17 11/15 12/14 1252/1/13
建長四年(壬子 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※
ユリウス暦 1252/2/12 3/12 4/11 5/10 6/9 7/8 8/7 9/6 10/5 11/4 12/3 1253/1/2
建長五年(癸丑 一月※ 二月 三月※ 四月 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
ユリウス暦 1253/1/31 3/1 3/31 4/29 5/29 6/28 7/27 8/26 9/24 10/24 11/23 12/22
建長六年(甲寅 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 閏五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
ユリウス暦 1254/1/21 2/19 3/21 4/19 5/18 6/17 7/16 8/15 9/14 10/13 11/12 12/12 1255/1/10
建長七年(乙卯 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月 十二月※
ユリウス暦 1255/2/9 3/10 4/9 5/8 6/6 7/6 8/4 9/3 10/2 11/1 12/1 12/31
建長八年(丙辰 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月 十二月※
ユリウス暦 1256/1/29 2/28 3/28 4/27 5/26 6/24 7/23 8/22 9/20 10/20 11/19 12/19

出典

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後漢書」の「久之策」より

脚注

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  1. ^ 片平博文『貴族日記が描く京の災害』思文閣出版、2020年、P87-106.

関連項目

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