三条実治
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶安3年12月6日(1651年1月27日) |
死没 | 享保9年8月12日(1724年9月28日) |
改名 | 季房、実通→実治 |
別名 | 号:暁心院観照 |
墓所 | 右京区二尊院 |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 後西天皇→霊元天皇→東山天皇→中御門天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条公富、母:不詳 |
兄弟 | 実治、法雲院、宗義真養女 |
妻 | 不詳 |
子 | 公兼、公充、井伊直通正室 |
三条 実治(さんじょう さねはる)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。右大臣・三条公富の子。官位は従一位・左大臣。三条家22代当主。主に霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代に亘り仕えた。号は暁心院観照。
経歴
[編集]三条公富の子として誕生。初名は季房・実通。
明暦元年(1655年)、叙爵。清華家三条家の当主として速いスピードで昇進し、寛文8年(1668年)には従三位となり公卿に列している。権中納言、権大納言、神宮伝奏、踏歌節会外弁などを歴任。天和3年(1683年)には霊元天皇中宮鷹司房子の中宮大夫となり、貞享2年(1685年)には右近衛大将を兼務。貞享4年(1687年)に中宮大夫を辞した。元禄2年(1689年)、実治に改名した。
元禄6年(1693年)に内大臣に就任したが、同年のうちに右近衛大将と内大臣を辞職。さらに宝永元年(1704年)には右大臣となったが、やはりすぐに辞職している。宝永2年(1705年)に従一位を授与された。正徳5年(1715年)に左大臣となったが、やはりすぐに辞職。