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徳大寺公有

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳大寺公有
時代 室町時代
生誕 応永29年2月5日1422年2月26日
死没 文明18年1月26日1486年3月2日[1]
諡号 後野宮
官位 従一位右大臣
主君 称光天皇後花園天皇後土御門天皇
氏族 徳大寺家
父母 父:徳大寺実盛、母:持明院基親の娘
兄弟 公有教覚尊任
高倉永豊の娘
実淳空覚三条公敦室、足利義尚側室、細川教春室、烏丸益光
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徳大寺 公有(とくだいじ きんあり)は、室町時代公卿。官位は従一位右大臣は後野宮。

経歴

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応永31年(1424年)に叙爵。左近衛少将讃岐権介左近衛中将相模権介を経て、永享9年(1437年)に参議となり、公卿に列する。その後、近江権介権中納言を経て、文安3年(1446年)には権大納言に就任した。文安5年(1448年)に造営上卿となり、享徳3年(1454年)には左近衛大将左馬寮御監に任じられる。寛正元年(1460年内大臣拝命、同年左近衛大将を辞し、寛正2年(1461年)には右大臣に任じられた。寛正5年(1464年)に右大臣を辞す。文正元年(1466年従一位に進み、文明4年(1472年)51歳で出家して引退した。

系譜

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脚注

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関連項目

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