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徳大寺実堅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳大寺 実堅 
德大寺 實堅
時代 江戸時代後期
生誕 寛政2年5月23日1790年7月5日
死没 安政5年11月11日1858年12月15日
官位 従一位右近衛大将内大臣
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 鷹司家徳大寺家
父母 父:鷹司輔平、母:家女房(山形氏)
養父:徳大寺公迪
兄弟 鷹司政煕徳大寺実堅、隆範、高演、覚尊、円祥、達子、富子、誠子、致子
醍醐信子(醍醐輝久の娘)
四辻公績中院通富、定君(西園寺師季室)、養子:公純
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徳大寺 実堅(とくだいじ さねみ、旧字体德大寺 實堅)は、江戸時代後期の公卿

経歴

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寛政2年5月23日、鷹司輔平の末子として誕生。母は山形氏(家女房)。

享和元年(1801年)に侍従となり、以後順調に出世を重ねる。仁孝天皇の信任が厚く、天皇より学問所(後の学習院)設置の意向を受けると、武家伝奏として江戸幕府と交渉した。

嘉永元年(1848年)に内大臣右近衛大将に任じられ、翌年辞任すると従一位を授けられた。

国学者としても知られる香川景樹は実堅に仕えていたことがあり、実堅は景樹から親しく和歌を学んだと言われている。

家族・親族

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系譜

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東山天皇男系三世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の子。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。

官歴

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脚注

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  1. ^ 鷹司家系譜

関連項目

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