西園寺師季
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政9年9月1日(1826年10月2日) |
死没 | 嘉永4年7月19日(1851年8月15日) |
官位 | 正三位、右近衛権中将 |
主君 | 仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺治季 |
妻 | 定君(徳大寺実堅の娘) |
子 |
秀源上人[1] 養子:公望 |
西園寺 師季(さいおんじ もろすえ)は、江戸時代後期の公卿。左近衛中将・西園寺治季の子。官位は正三位・右近衛権中将。西園寺家36代当主。主に仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)の二帝に亘り仕えた。
経歴
[編集]天保7年(1836年)に先代の右近衛権中将・西園寺公潔が早世したために西園寺家を相続する。同年に叙爵し、以降累進して侍従・左近衛権少将・右近衛権中将などを歴任し、弘化2年(1845年)に従三位となり公卿に列する。翌年に正三位となったが、嘉永4年(1851年)、薨去。享年26。
徳大寺公純の次男の公望を養子として西園寺家を相続させた。後に公望は内閣総理大臣・大蔵大臣・外務大臣などの要職を歴任し、明治時代・大正時代・昭和時代に至るまで政界の重鎮として重きをなした。