西園寺公名
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時代 | 室町時代前期 - 後期 |
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生誕 | 応永17年(1410年) |
死没 | 応仁2年5月22日(1468年6月12日) |
改名 | 公名→永存(法名) |
別名 | 道号:菊畹、号:観音寺相国 |
官位 | 従一位、太政大臣 |
主君 | 称光天皇→後花園天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺実永、母:持明院基親の娘 |
妻 | 広橋兼宣の娘 |
子 | 実遠、公源、公承 |
西園寺 公名(さいおんじ きんな)は、室町時代前期から中期にかけての公卿。右大臣・西園寺実永の子。官位は従一位・太政大臣。道号は菊畹。号は観音寺相国。
経歴
[編集]応永27年(1420年)12月5日に参議となる。永享10年(1438年)に内大臣(1438年 - 1441年)となる。宝徳2年(1450年)4月25日、叙従一位。康正元年(1455年)に太政大臣(1455年 - 1457年)となる。
長禄元年(1457年)8月28日に出家。法名は永存。応仁2年(1468年)に薨去。