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久我清通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
久我清通
時代 室町時代前期 - 中期
生誕 明徳4年(1393年
死没 享徳2年9月5日1453年10月7日
別名 後久世(号)
官位 従一位太政大臣
主君 称光天皇後花園天皇
氏族 久我家
父母 父:久我通宣
兄弟 清通、守遍、隆雅
通博
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久我 清通(こが きよみち)は、室町時代前期から中期にかけての公卿権大納言久我通宣の子。官位従一位太政大臣

嘉吉元年(1441年)11月2日、嘉吉の変足利義教が殺害された混乱に乗じて、源氏長者の地位を申請して任ぜられる。だが、没後に足利義政が再び源氏長者に任じられたため、源氏長者の地位は再び足利将軍家に戻った。

経歴

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明徳4年(1393年)、誕生。永享元年(1429年)、内大臣(1429年 - 1432年)となる。

嘉吉2年(1442年1月5日 叙従一位。享徳元年(1452年太政大臣(1452年 - 1453年)となる。

享徳2年(1453年)、薨去。

系譜

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