コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山名義路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山名義路
山名義路
時代 江戸時代後期 - 昭和時代
生誕 万延元年11月4日1860年12月15日
死没 昭和15年(1940年11月22日
墓所 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡の御殿山御廟
官位 従五位下因幡守正三位
主君 明治天皇大正天皇
但馬村岡藩
氏族 山名氏
父母 父:山名義済、母:堀直格の娘・縁子
兄弟 義路、快子、忻子
佐藤信有の娘・トヨ
義鶴
テンプレートを表示

山名 義路(やまな よしみち)は、但馬国村岡藩の第2代(最後)の藩主(知藩事)。官位は従五位下・因幡守、のち正三位男爵陸軍軍人

経歴

[編集]

万延元年(1860年)11月4日、初代藩主・山名義済の嫡男として生まれる。明治4年(1871年)2月11日、父の隠居に伴って家督相続し知藩事となる。同年7月、廃藩置県で免官となり、翌月、東京へ転居する。明治17年(1884年)、華族令によって男爵に叙せられた。

維新後は、陸軍教導団歩兵科を卒業し広島鎮台陸軍歩兵伍長となる。さらに陸軍士官学校1887年7月21日に卒業(旧9期)して、同日付で歩兵少尉に任官し、翌日に歩兵第5連隊小隊長となる[1]。のち輜重兵少佐に昇進。第4旅管軍法会議判士や輜重兵第3大隊中隊長、第1師団衛生予備廠長などを歴任する。

1911年7月10日、貴族院男爵議員に就任し[2][3]1916年7月11日に辞任した[4]。昭和15年(1940年)11月22日、81歳で死去。

栄典

[編集]

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第1221号、明治20年7月25日。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  4. ^ 『官報』第1184号、大正5年7月12日。
  5. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  6. ^ a b c d e f g h i 昭和新修華族家系大成 下」国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
村岡山名家初代
1884年 - 1940年
次代
山名義鶴