花山院常雅
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年2月3日(1700年3月23日) |
死没 | 明和8年2月16日(1771年3月31日) |
別名 | 号:順正院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 東山天皇→中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇 |
氏族 | 花山院家 |
父母 | 父:花山院持実 |
兄弟 | 師夏、常雅 |
妻 | 正室:鷹司輔信の娘 |
子 |
長熙、東園基辰室、野宮定業室、 橋本実誠正室、敬姫ら |
花山院 常雅(かさんのいん ときまさ 又は、つねまさ )は、江戸時代中期の公卿。権大納言・花山院持実の子。官位は従一位・右大臣。花山院家27代当主。
経歴
[編集]父・持実が権大納言を辞職して朝廷の官職から離れた元禄16年(1703年)に叙爵。以降累進して元文元年(1736年)に内大臣に任じられ、元文4年(1739年)まで務めた。延享4年(1747年)に従一位昇進。寛延2年(1749年)に右大臣となるもすぐに辞職し、以降薨去まで政界に復帰することはなかった。
明和7年(1770年)、片歌を提唱した建部綾足に『片歌道守』の称号を授けた。また、和漢をよくし伊藤東涯に深く心酔していた。東涯が死去した際には、その墓碑の銘文を東涯の弟子らに追贈した。